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突然のキスは終わりと始まりの狭間で
ユーリックが魔塔の書斎を訪れたのは事件があった日の翌々日。あたしはなぜかノードからプレゼントされたドレスを着て出迎えることになった。
魔力付与されたドレスに、魔力付与された白いブーツと長手袋。顔や髪を触られない限りユーリックにあたしの正体がバレる心配はない。
大量の本に囲まれカウチソファに足を組んで座る皇太子、その背後に立つ皇太子補佐。
「お久しぶりです。皇太子殿下」
お辞儀のために膝を曲げようものなら積み上がった本にドレスがぶつかって雪崩が起きる。あたしは下半身マネキン状態でゆ~っくり頭を下げ、幽霊の構成要素に筋肉なんてないのに腹筋がプルプル震えた。
「こういうドレスを着るとサラ殿は大人びて見えるな」
「サラはユーリック殿下より四つ年上ですよ」
ノードはあたしのすぐそばに立っている。
「それよりランド殿、納得いただけましたか? わたしがサラに贈ったのはこのドレス一着です。陛下の部屋をのぞいていた不審者はピンク色のドレスでしょう?」
ランドはあたしの頭のてっぺんから足の先までじっと観察し、チラと視線を合わせる。皇城に忍び込んだときに垂れ幕の陰からランドの姿を見たけれど、こうやって正面から顔を拝むのは初めてだ。
「陛下の執務室は明かりが点いていなかったのでハッキリとは見えませんでしたが、このドレスでないことは確かです。夜空のようなドレスですね。とても良くお似合いです」
ランドはリップサービスだけでなく主君の目を盗んであたしにウィンクする。
ウィンクなんて二十歳以下のアイドルしかしないと思っていた。赤銅色の瞳が血の色を想起させるせいか夜行性の肉食獣という印象。濃い灰色の髪は触ったらゴワゴワしてそうだけど野性味があってよき。
「サラ殿は以前ピンクの服を着ていたことがあったが」
ユーリックに言われてギクッとした。
「殿下。サラがあの格好で舞踏会に出ていたらあっという間に笑い者ですよ」
「たしかにそうだ。魔塔主殿も自分の趣味が変わっているという自覚はあるのか」
「以前も言いましたが、あれはわたしではなくサラの好みです。ねえ、サラ」
あたしが否定できないってわかってて言う卑怯者。仕方なくギクシャクうなずく。
「まあ、魔塔主殿の仕業だとは思っていない。ランドが一応確認しておきたいと言うし、魔塔主殿がどんなドレスをサラ殿に贈ったのか興味があっただけだ。陛下の部屋を盗み見るならその猫で十分だろうからな」
うず高く積まれた本のてっぺんで、白猫がピクッと耳を立てる。
「よくもまあ、ぬけぬけと騙してくれたものだ」
皮肉のこもった笑みを向ける皇太子に、ノードは恭しく頭を下げる。
「申し訳ありません。ジゼル殿の正体を明かす前に無害だと証明しておきたかったのです。思いがけず拾ってしまったとはいえ、召喚獣ですから」
「ニャア」と猫が鳴いた。
「喋れ、悪魔」ユーリックはヒヤリと冷たい声を出す。
「言っておくがぼくは悪魔じゃなくて聖魔だ。世にも珍しい聖獣だぞ」
やっぱり、聖魔ネタを喋るとき得意げにピンとヒゲを立てるジゼルはかわいい。風呂敷を首に巻いて「スーパー〇ンだ」って息巻いてる三歳児みたい。
ノードは初耳らしく顎に手をあてて口元の笑みを隠した。
「お前がナリッサの傷を治癒したというのは本当か?」
「傷? ああ、イタチが噛んだ傷か。治癒師が処置していたがぼくが完治してやった」
「なぜだ? ナリッサから聞いたがお前の契約者は死んだのだろう。誰の命令で動いている」
「しいて言うなら死んだ主の意思だ。善意と楽観のお気楽人間だからな。ちなみに主は死んだが、ぼくと主との契約は継続している。理由は魔塔主にもわからん」
ユーリックがノードに確認の視線を送り、ノードがうなずいた。ジゼルは喋り続ける。
「人間どもは召喚獣がすべて悪魔だと思い込んでいるようだが、血の契約で結ばれた魔獣の本質は契約した人間の本質に左右される。自分で言うのもなんだが、ぼくは悪魔と呼ぶにはいいヤツ過ぎる。この世界に来てぼくが狩ったのは食料だけだ。お前らと違って人間は殺していない。魔術師だって殺さず捕まえてやっただろう?」
殺すなと言ったら面倒くさそうにしていたくせに、調子がいいんだから。
ユーリックは演説する白猫を興味深そうに眺めていた。
「召喚獣とは存外忠義なもののようだな。死んだ主の遺志に従うとは」
「生きた人間に使われるよりよっぽどいい。生きた人間は欲深いからな」
ジゼルは見てくれと言わんばかりに背の羽を立ててパタパタとあたしたちの頭上を飛んだ。ドヤ顔が可愛すぎて萌える。
「ランド、あれをジゼル殿に返すことにしよう」
ユーリックは後ろを振り返り、補佐官が手のひらサイズのケースを開けて彼に差し出した。
入っていたのは青いリボンと紋章付き真鍮タグ。月と剣を象った帝国の紋章ではなく、ランドの制服の胸に縫い付けられているのと同じ、紫蘭の花の紋章。
ユーリックはそれを無造作に掴み、「ほら」と猫じゃらしのようにジゼルの前でブラブラ揺した。
「首に巻くのは鬱陶しい」
ジゼルはプイッとそっぽを向く。
「その魔力で街をウロウロされると困るのだ。平民街で事件があったせいか、魔獣探知の魔法具を身に付ける者が増えている。騒ぎになって通報されたくなかったら魔塔の外に出るときは必ずつけろ」
わたしが預かりましょう、とノードが受け取り、ジゼルは不服そうにフンと鼻を鳴らした。
「この愛くるしい子猫を怖がる意味がわからん」
「分かってると思うが、召喚獣とバレるようなことは絶対にするな。今回はやむなくマリアンナに正体をバラしたのだろうが、あの場にいた者には口止めした。他に正体を知ってる者はいないだろうな?」
ジゼルは「さあな」とあたしの胸に着地する。
「懐いているようですね。サラ殿はジゼル殿の声が聞こえるのですか?」
聞いてきたのはユーリックでなくランドだった。その質問は想定内だ。
「そこの梯子を踏み外して足をくじいたことがあったんですけど、ノードがいなくて代わりにジゼルが治癒魔法で治してくれたんです。その後にジゼルの声が聞こえるようになりました」
なるほどな、とユーリックは簡単に納得してしまった。さすがノードの考えた嘘。
「昨日石榴宮に行ったとき本人から聞いたが、ベルトラン卿にも召喚獣の声が聞こえるらしいな、魔塔主殿」
「そのようですね。殿下もお気づきかもしれませんが、ベルトラン卿はわずかに魔力をお持ちです。オーラを使う機会がないためか、過度にオーラが減少した反動でオーラ発現時に一度塞がれたマナ経路が再び開かれたのだと思います」
本当に嘘つくのが上手い。
ニール研究所に行ったときにはイアンに流れる魔獣の魔力に気づいていたというから、やっぱり魔塔主は感知能力のレベルが違う。
「イアンの魔力は微々たるものだが、どうもぼくの魔力とは波長が合ったらしい」
ジゼルは口を挟んだものの、「他には誰が知ってる」と鋭い目つきでユーリックに問われて胸元のフリルに顔を埋めた。あたしの出番らしい。
隠すと後々面倒になりそうなのはナリッサの近くにいるゾエ。
「ジゼルから聞いたんですが、皇女様の家庭教師もジゼルの正体に気づいているようです。声は聞こえないけどジゼルがベルトラン卿と話してるとこを見たらしくて。それから……」
オクレール卿の前では猫の鳴きマネで誤魔化したし、あとはフィリス。
フィリスはジゼルの正体だけじゃなくイアンの血の契約のことも知っている。マリアンナと面識があったわけだし、下手に名前を出して巻き込んだら隠避罪に問われるかもしれない。
「それから?」と、ユーリックが急かした。
「ええっと、……石榴宮に来る青い鳥にはバレてないみたいだって。その鳥にはジゼルの声が聞こえないらしくて」
ユーリックとランドが顔を見合わせて同時にプッと吹き出した。やっぱりスクルースはそういうキャラらしい。
「サラ殿は色々と秘密を知りすぎているようだな」
「鳥だけでなくわたしの正体もご存知のようですし」
皇太子も補佐官も笑顔であたしを見てるけど一気に血の気が引いた。ジゼルの肉球が頬に触れ、ペロッと舌の感触がある。もしかしてあたしの感情はジゼルに伝わるんだろうか。
「魔塔主殿。その猫には嫉妬しないのか?」
ユーリックが突然おかしなことを口にした。
「誰もサラ殿に触れさせたくないのだろう?」
「殿下、ジゼル殿は魔獣です」
「獣の姿なら近寄っても良いということですか?」
ランドも主君に便乗する。この二人は魔塔主をからかって憂さ晴らしでもするつもりで来たの?
「ランド殿はサラの半径一メートル以内には近づかないで下さい」
「半径一メートルですか。それなら互いに手を伸ばせばエスコートできそうです。サラ殿、機会があればぜひ」
流し目を送ってくるランドからは、ノードの放つ色気とは違って生々しい欲を感じる。
「ランド殿、そういう軽口は先日のやりとりで懲りたと思っていたのですが」
「魔塔主殿は結婚する気がないとおっしゃっていたでしょう? 魔塔主殿のそばにいてはサラ殿は一生結婚できません。それでもわたしがサラ殿をお誘いするのを邪魔されるのですか」
ランドが必要以上に食い下がってるのはあたしの正体を探るためかもしれない。でも、ユーリックは自分の頭越しにバチバチ散る火花に面食らっているようだった。
「ランド、まさか本気でサラ殿に惚れたのか?」
まさかね。
「そのまさかです。サラ殿は香水をつけていないし、気取らない雰囲気がいい。貴族令嬢たちの香水はわたしには拷問です」
あたしには肉体がないから体臭がない。あるのはジゼルから供給されてるわずかな魔力。それと精霊力に近い〝霊力(仮称)〟みたいなのがあるかもしれないってノードが言っていた。それでピアスに触れたとき世界樹の精霊力に反応したんじゃないかって。
「サラ殿、一生結婚しないつもりではないでしょう?」
結婚しないまま一生を終えたけど、それが何か?
「ランドさんはあたしに求婚しに来たんですか? それともあたしの正体を探ろうとしてるの?」
ストレートな質問に男三人はきょとんとした。ジゼルがケケッと笑う。
「正体を探るという言い方は少々心外ですが、サラ殿に興味があるのは事実です。求婚したら検討していただけますか?」
検討するまでもなく幽霊と獣人の結婚なんて無理だ。
さっきから無言のノードは、あたしとランドのやりとりを面白がってるのかもしれない。なんだかムカついてノードの方を見たら、前触れもなくグイと引き寄せられた。
「えっ」
バランスを崩したあたしの胸からジゼルが咄嗟に飛び降りる。次の瞬間、ノードの唇があたしの唇に触れていた。
……えっ
えっ?
ええっえええぇぇぇぇええっ!
ハァ、と聞こえたのはユーリックのため息のようだった。
「ランド、諦めろ。魔塔主殿に殺されたいか?」
「そうですね。せっかく殿下に救っていただいた命ですから」
あたしは魔塔主に命を救われるどころか燃やされてキスされて、心臓もないのに胸がバクバクいってる。そういえばジャム瓶に詰めたあたしの遺骨はどこにいったんだろう。
ノードは徹底的にランドとあたしの接近を予防するつもりなのか、キスはまだ継続中。腰に回された彼の手が離れる気配もない。
「魔塔主殿、そろそろ本題に入ろう」
ゴホン、とユーリックが咳払いをした。
ようやく解放されたあたしの視界に、耳たぶを赤くして気まずそうに目をそらすユーリック。
ダメ押しのようにノードがあたしの耳にキスをして思わず「ひゃあっ」と声を漏らすと、ランドとジゼルがうんざりした顔をした。
顔が熱くて頬に手を当てたら予想通り冷たくて、あたしはちょっと冷静さを取り戻す。
「ではユーリック殿下、本題に入りましょうか」
何事もなかったようにしれっと言うノードはやっぱりノードだ。ユーリックは気を取り直すようにもう一度咳払いして足を組み替えた。
「あの夜はずいぶん派手にやってくれたようだが、銀月騎士団の者たちは魔術関連の案件に慣れていない。昨日、紫蘭騎士団が引き継いだときには時間が経ちすぎて魔力やマナの痕跡までは調査不能だった。現場にあったのは捕まった魔術師の魔術痕だけだ」
だろうな、とジゼルは得意げな顔でソファに飛び乗りユーリックを見上げる。
「火球を放ったのは魔術師で、ぼくはその魔術の一部を解いて魔力を放り込んだだけだ。魔獣が魔術など使ったらおかしいだろう?」
「ずる賢い悪魔だ」
「ぼくは聖魔だと言ってるだろう。言っておくが、ぼくがいなかったらナリッサは死んで……ああ、別に死にはしないか。あいつらはナリッサを殺そうとしてたわけじゃないからな」
ユーリックが後ろのランドと視線を交わした。
「魔塔主殿、捕まえた魔術師たちがおかしなことを口走っているのだが」
座っているのに立っている魔塔主を見下ろすような目線。こういう傲慢な感じの所作は皇族ならではなんだろうか。
「彼らはなんと?」
「三人とも皇女のオーラの色を確認するために雇われた、と言っている」
ノードが黙ったままでいると、ユーリックは不敵な笑みを浮かべる。
「ちょっと怖がらせて皇女の金色のオーラを発現させるつもりだったと言っていたが、それについて魔塔主殿には心当たりがあるか?」
「……その話をする前に、この度の件をどのように陛下に報告されたのか教えていただけますか?」
ノードが質問に質問で返すのは相手が皇太子でも変わらないらしい。ユーリックはフンと鼻を鳴らし、書類を読むように淡々と経過報告した。
「本宮にいた魔塔主とそのペット魔獣の白猫は、魔力の気配を察知して現場に駆け付けた。彼らは魔術師による馬車襲撃から皇女およびベルトラン卿を救出し、密入国者の魔術師ニ名、魔剣士一名を捕縛。魔塔主が幻覚魔術を用いたため彼らの供述は支離滅裂で当てにならないが、現場にいた者の証言から皇族の暗殺を企てたことに疑いの余地はなく死罪が妥当、と」
「幻覚魔術ですか」
ノードはおかしそうに口角をあげた。
「魔塔主殿。マリアンナから一応報告は受けたが、ローズ殿の件を蒸し返されてもわたしにはどうにもできん。あの時、陛下には隠さねばならぬ事情があったのだろう。今回の件も花火の運搬中の事故として公表しようとしている。それと同じだ」
「さて」と、ユーリックは腕を組む。
「話してもらおうか。亡国イブナリアの魔術師殿」
狸と狐の化かし合いはすでに始まっている。あたしの背に添えられたノードの手にグッと力が入った。
「ジゼル殿が、皇帝陛下とガルシア公爵殿の会話を耳にしました」
「この召喚獣を使って皇室を探ろうとしたということか?」
空気がピリッとする。
「陛下のオーラが予想以上に弱まっていて心配になったのです。もしかしたらオーラ抑制マントだったのではないかと思い、気配を確認するようジゼル殿にお願いしました。執務室でマントは着ないでしょうから」
ノードはあたしの言い訳をそのまま使ったけど、ユーリックはまったく信じていない顔だった。そのくせ、魔塔主の嘘に付き合ってやるというように「で?」とジゼルに目をやる。
「二人はナリッサの金色のオーラの話をしてたんだ。オーラの発現に備えて皇太子にも打ち明けた方がいいだろうってさ。どうやらまだ何も聞いていないようだが」
ユーリックは表情を崩さないままジゼルを見下ろしていた。返事も相槌もないことがジゼルには不満らしく、わざとらしくため息を吐いて先を続ける。
「ナリッサの護衛についているサルを調べるようだぞ。秘密を打ち明けても大丈夫かどうか調査すると言っていた」
「なっ……」
思わず反応したのは皇太子の後ろに控えているランドだった。ユーリックは制するように片手をあげる。
「魔塔主殿は気づいていたからナリッサに近づいたのではないのか?」
「気づいていたのなら平民街で治癒などさせません。金色のオーラは銀色のオーラと違って命の危機で発現するのではなく、相手の治癒を強く願う時に発現するものなのです」
ふうん、と唸ったユーリックは一応納得してやろうという顔だ。
「ナリッサが金色のオーラを継いでいるとすると、ローズ殿の事故もオーラ絡みのようだな。襲撃した魔術師を取り逃がしたことも失態だが、陛下が隠したかったのはそっちか」
「ローズは巻き添えだぞ」とジゼル。
「やつらの会話を聞いた。魔術師が狙ったのはガルシア公爵だ。二人ともに致命傷を負わせたつもりだったようだが、魔術師たちが去ったあとローズが公爵を治癒したのだろう」
「雇い主はオクレールか?」
「今回の襲撃はオクレール男爵のようだが、ローズの件は知らん」
ふむ、と考え込む仕草はやっぱりノードと似ている。
「公爵の暗殺とオーラの発現では目的が違い過ぎる。捕らえた魔術師たちはバンラードとグブリアを行き来していたようだから、五年前の事件とは違う雇い主と考えるのが妥当だろう。あのころ公爵への貴族の風当たりは強かったしな」
不意に耳元でボソボソと声が聞こえたと思ったら、光の文字が舞って書類の山から数枚の紙がノードの手元に集まった。
「それは何だ?」
眉を寄せたユーリックにノードがその紙を手渡す。
「世界樹信仰に関する調査報告書の中から、オクレール男爵領のものを抜き出しました。魔獣を殺し、聖女降臨の儀式という魔術ごっこをやっているようです」
「ごっこ?」
「ええ。一番上の紙に儀式に用いる魔法陣が載っていますが、その魔法陣は素人の創作です。魔力を流したとしても魔法陣は発動せず魔力は魔術師に跳ね返って内傷を負います」
「魔術師は関与していないと言い切れるか?」
「はい。魔術師であればむしろ関わりを避けるでしょう。魔術師として三流以下どころか、1+1もできないと言っているようなものですから」
ふうん、と手に持った紙を眺めるユーリックには、描かれた魔法陣の何がどうダメなのかわからないらしい。
「そういえば、舞踏会のときオクレール男爵が聖女の話をしていた。聖女は聖獣を連れているとかなんとか」
「男爵も聖女降臨の儀式を行っているのでしょう。魔術がお好きなようで色々と情報を集めていると聞きますが、情報の精査がまったくできていないようです。でなければこんな魔法陣は使いません。まあでも、儀式の演出にはちょうど良かったのかもしれませんね」
「どういうことだ?」
「魔法陣の中で魔獣を興奮状態にさせ、魔力を放出させれば魔術は発動しなくとも魔法陣が光を帯びることはあります。魔獣が魔法陣の中で光に包まれて息絶える。それっぽいでしょう?」
「なるほどな」
ユーリックはこの数分で書類に目を通したらしく、後ろのランドにヒョイとノールックパスした。受け取ったランドはパラパラと紙をめくり、「やはり胡散臭いですね」とこぼす。
「オクレール男爵は無罪放免なんですか?」
素朴な疑問をあたしが口にすると、ユーリックはお前が答えろというようにランドに向かって顎をしゃくる。
「帝都の男爵邸と魔術師らの所持品をザッと調べましたが、両者の繋がりを示す物証がありません。幻覚魔術にかかった密入国者の証言しかありませんので、今のところ罪に問うのは無理です。どのみち表向きは事故として処理するのですが、魔獣皮革の取引に関して少々不穏な噂を耳にしたので」
「ランド」と、ユーリックが遮った。
「喋り過ぎだ」
「申し訳ありません、殿下」
「獣人の件ですか?」
ノードの一言でユーリックとランドは険しい表情になった。
「情報が早いな、魔塔主殿」
「魔獣皮革の卸業者は職人町に多く出入りしています」
男たちの会話からあたしは小説の内容を手繰っていた。〝魔獣皮革〟、それに〝獣人の件〟と言えば、
「……獣人ギルド」
無意識につぶやいた自分の声にハッと顔をあげた。笑ってるのはソファに座ったジゼルだけで、耳元ではノードのため息が聞こえる。探るような目つきであたしを睨んだユーリックが、不意に表情を緩めた。
「ランド、サラ殿は何か知っているようだ。せっかくだから聞かせてもらおう」
「……えっ、あ、あたしは何も」
「獣人ギルドという言葉をどこで知った」
えーっと、えーっと、あたしの経歴はどうなってたんだっけ。
「えっと、あの、娼館に連れて行かれる馬車の中から、男たちの会話が聞こえたんです。魔獣の毛皮がどうとか、獣人ギルドがどうとか。会話の内容はよく聞き取れなかったんですけど、ナントカいう商会の名前を口にしてました」
いま思い出した。帝都外で繰り広げられる獣人関連犯罪のエピソード。以前にも頭を過ったシーンがまたよみがえる。
――血に濡れた青い髪に、お兄様は手を震わせながら触れた。一体彼はどうしてこんなところに倒れているのか、まるで空から降って来たみたいに。
森の中で怪我を負った瀕死の騎士はスクルースで間違いない。このときユーリックとナリッサは帝国商会ギルドの代表格であるザルリス商会を目指していたんじゃなかったっけ?
でも、ザルリス商会といえばその拠点はマリアンナの出身であるトッツィ男爵領のはず。「オクレール」という名前にすらピンと来ないんだから、このエピソードにオクレールが登場したとは思えないんだけど。
「サラ殿の出身はどこだ?」
ユーリックに問われ我に返った。あとでノードに色々聞かれるんだろうなあとうんざりしながら、あたしはとりあえずこの場を乗り切ることに集中する。
「えっと……、すいません。田舎の寂れた農家で、自分の住んでた場所もよく分からなくて」
「売られて帝都まで来たんだろう? 帝都まで何日かかった」
何日? 何日って言われても、そんな経験ないからわかんない。
「よく分かりません。馬車の荷台に押し込められたままだったから」
「ユーリック殿下、尋問するような言い方はおやめ下さい」
皇太子を窘めたのはランドだった。彼はまだ懲りていないのか、ノードの視線などおかまいなしにニコッと微笑みかけてくる。
「荷台に閉じ込められたままだと時間感覚がわからなくなりますよね。わたしにも経験があります」
えっ?
「そうなんですか? すごく強そうなのに」
ランドのがっしりした肩とか厚い胸板とか手足の筋肉のつき具合を制服越しに想像していたら、ノードの手で視界を塞がれた。
「サラが何か思い出したらわたしから殿下に報告しましょう」
「ああ、そうしてくれ」
それにしても、獣人のエピソードが始まるのはもっと後のはずだった。舞踏会の直後なんてことは絶対にない。
ということは水面下では動きがあったけどナリッサが気づかなかったか、もしくはあたしが関与したせいで前倒しになった。
「近いうちにオクレール領の調査にランドを向かわせる予定だ。状況によっては魔塔に協力してもらうからそのつもりで」
「魔術師が関与すべき案件とも思えませんが」
「今のところはな。だが、獲物が獲物だ。魔術師が関与していないとも言い切れまい」
「でしたら、あらかじめクラリッサをランド殿につけては?」
クラリッサ!!!
あたしの知ってる名前だ。
クライマックスの魔獣討伐エピソードで参戦する魔剣士。身分を偽って辺境地に潜んでいるはずだけど、どうやらユーリックもランドもクラリッサを知ってるっぽい。
「ああ、それでもいいな」
ユーリックはノードの提案に乗り気のようだった。あたしもクラリッサに会ってみたいけど、さすがにオクレール領までは一人で行けない。
「ノードは行かないんですか?」
「行ってほしそうですね」
「サラ殿はやっぱり魔塔主から解放されたいのか」
「魔塔主殿と一緒にゲートで来られては?」
「旅か!」
一周回ってなぜかあたしが喋る番らしく、全員の視線が集まっている。
「クラリッサって誰ですか?」
ノードに聞いたけど彼はユーリックを見た。勝手に口にする権限はないらしい。
「クラリッサはアルヘンソ辺境伯家の治癒師だ」とユーリック。
アルヘンソといえばユーリックの母親である亡き皇后の出身家門で、ランドが養子になったところ。
「魔術師じゃなくてですか?」
あたしの質問にユーリックはおかしそうに肩を揺らした。
「魔塔以外に魔術師がいないのがグブリア帝国。だから、クラリッサは治癒師だ」
なるほど。
身分を偽って辺境地に潜んでいたというから密入国者みたいに市井に紛れて暮らしていたのかと思ったら、まさか辺境伯家にいたとは。
「サラ殿、どうしてクラリッサを気にかける?」
そりゃあ、魔獣討伐で突如現れた美女魔剣士だし、小説ではノードと何かありげな雰囲気だったし、お得意なのは色仕掛けだし。気にならないわけがない。
「魔術師の代わりができるなんて、どんな人かと思っただけです」
「サラ殿と年は変わらんし身分も平民だ。機会があれば紹介しよう」
えっ……、それは困る。
「それに、サラ殿が魔塔主殿に惚れているのならクラリッサと趣味が合うかもしれん」
えっ……、それも困る。
「殿下」
「なんだ?」とノードが割って入るのを予測していたようにユーリックが訊ねた。
「クラリッサにはサラのことは伏せておいて下さい。たとえ味方であっても弱みを知られることがどれだけ重要な意味を持つか、殿下ならおわかりいただけると思います」
「あの朝、魔塔の林でサラ殿に会っていなければわたしにも秘密にしていたのだろう? 未だに魔塔内でサラ殿を知る者がいないのだからよほど徹底していると見える」
「サラとの関係は個人的なことですから」
「どうしようもない弱点というのは、だいたい個人的なものなのだろうな。サラ殿も自覚しておいた方がいい」
自覚?
あたしが首を傾げるとユーリックは呆れたようだった。
「そなたが魔塔主の寵愛を受けていると知られれば、利用しようとする輩が近づいて来るかもしれんということだ」
「ランドさんみたいに?」
ランドが「グッ」と変な声を漏らし、ユーリックは堪え切れずにクッと笑い声を漏らした。
「魔塔主殿、存在を公にするにはサラ殿は危なっかし過ぎるな。せっかくのドレス姿が日の目を見ることがないのは惜しいが」
「わたし以外の者に見せる必要はありません」
「のろけは聞き飽きた」
ユーリックはポケットから懐中時計を取り出して時刻を確認する。
「帰るぞ、ランド」
ソファから立ち上がり、ランドがドアを押し開けたけれどユーリックの足はソファの前から動かない。
「殿下、何か言い残したことが?」
「魔塔主殿、今後どうするつもりだ?」
「今後とは?」
「魔塔は皇族の下にある。だが一口に皇族と言っても、魔塔主にとって皇女と陛下やわたしはもはや同列ではなかろう?」
「皇族同士で対立することがなければ、味方の味方は味方です」
「わたしと皇女が対立した場合はどうする? 陛下と皇女が対立した場合は?」
「契約書の原本を確認いただければその答えは載っているはずです」
ユーリックは数秒の沈黙のあと、「わかった」と背を向けた。
訪問者二人がドアの向こうに姿を消すと疲労感に襲われ、あたしはさっきまでユーリックがいたカウチソファに座り込む。ジゼルはあたしの膝の上にのって丸くなった。
「サラさん、お疲れのところ申し訳ありませんが」
ノードはまったく申し訳ないと思っていなさそうな笑顔であたしを見る。
黒髪、碧眼……、意識してみると唇はけっこう赤みを帯びていて、あたしはパッと顔をそらした。顎を持たれグイッと引き戻される。
「どうして目をそらすんですか?」
「どうしてノードはそんなに平然としてるんですか」
俺様系男子に詰め寄られるシチュエーションも悪くない、とヨコシマなことを考えつつ、これまでみたいに美しい顔を直視できないのはノードのせいだ。ノードが急にキスなんてするから。
「主、二百三十年生きてきた魔塔主にとってこんなのは些細なことだ」
ヒョイとノードの腕に飛び乗ったジゼルが手を伝ってチョンとあたしにキスをする。すかさずノードに首根っこを掴まれ、半径一メートル以上引き離された。
あたしとチューした白猫が本の上でニヤッと笑う。
「魔獣には嫉妬しないんじゃなかったのか?」
「嫉妬ではありません。ジゼル殿、話の邪魔をしないでください」
「人間の姿になれるほどの魔力がぼくにあれば面白いのだが」
ケケケッと笑うジゼルをノードがジロッと睨んだ。
ジゼルの企みは想像がつくけど、どんなイケメンに変身したとしてもジゼル相手にドキドキキュンキュンすることはない。だってジゼルだし。
むしろ五歳児くらいなら「見た目は子ども頭脳(?)は大人!」的な感じで生意気な発言もドヤ顔も全部許せちゃいそう♡
「サラさん」
むにっと片手で頬を挟まれた。ノードの眉間に珍しくシワ。
「少々気になることがあるのでオクレール領に行くつもりです。サラさんも一緒に行きますか?」
「ひぃひまひゅ」
即答すると掴まれた頬が解放された。でも、
「ランドも行くなら無理なんじゃ……」
「ランドはクラリッサに任せます。彼らとは別件ですから」
「魔塔主、オクレールには魔獣がいるんだろう?」
ジゼルは狩る気満々のようだ。
「その前にサラさんには知ってることを全部話してもらわないと。獣人ギルドと魔獣皮革取引について。あと、クラリッサについてはどこまで知ってるんですか?」
やっぱりだけど、クラリッサのこと知ってたのバレてた。
「辺境地に潜む魔剣士……ですよね。美女でハニートラップが得意な」
ノードの目が驚きで見開かれる。
「サラさんの読んだという本に、クラリッサも出てきたんですか?」
はい、と素直にうなずく。ノードはまだ半信半疑といった顔だったけど、がんばって説明したら信じてもらえるようなことでもない。
「サラさんは思った以上に危険な存在かもしれませんね。自覚してください」
「えっ……」
「サラさんはこの世界の未来を知ってると言っていたでしょう? サラさんが読んだのは何という本なんですか?」
真面目な顔で聞いてくるノードは、もしかしたらこっちの世界で同じ本を探そうとしているのかもしれない。あたしは小説のタイトルを口にするのが申し訳なくて言い淀む。だってラブコメだし。
「魔塔主が考えてるような予言書のたぐいじゃないぞ」
ジゼルはあたしと反対にタイトルを教えたいらしい。明らかに面白がっている。
「題は『回帰した悪女はお兄様に恋をする』だったか」
ケケッとジゼルは笑った。ノードはため息をつくか、うんざりした顔をするか、そんな反応を想像してたのにそのどちらも違った。
「回帰?」
その表情に気圧され、あたしは無言でうなずく。
回帰なんて異世界モノでは定番。『回帰した悪女はお兄様に恋をする』ではナリッサが回帰した原因も理由も描かれていなかったけれど、そういうものだと思っていたし、いちいち疑問に感じてたら楽しく読めないのが異世界ファンタジー。
でもあたしが今いるこの世界には、小説に描かれない重箱の隅がキッチリ詰め込まれている。ということは、
「回帰魔法……?」
あたしの言葉で紺碧の瞳が揺れた。
「魔塔主、そういうのはおとぎ話の世界の魔法だと思っていたが、実際に術式構築がされているのか?」
白猫はひょいひょいと本を渡ってソファに座るあたしの隣で魔塔主の顔を見上げた。ノードがため息とともにソファに身を投げ、挟まれたジゼルは窮屈そうにあたしの膝の上に脱出。
「どうなんだ、魔塔主」
「……まだ未完成です」
「なるほどな」
「ジゼル殿。なるほど、とは?」
「魔塔主がこれから回帰魔法を完成させてナリッサを回帰させるということだろう?」
そういうことなの?
「まったく、サラさんは本当に……」
ノードは(以下略)って感じで喋るのをやめ、気を取り直すようにソファから立ち上がった。
「サラさんの話を聞いていたら日が暮れるどころか一週間、いえ一か月は経ちそうです。先にやるべきことをやってしまいましょう」
あたしの了解も得ずにノードは魔法でドレスを脱がせ、亜空間に収納する。マジカル戦士ラブルーンの制服アレンジバージョンのあたしをじっと見て、彼は「まあいいでしょう」と勝手に納得した。どういうこと?
「じゃあ、行きましょうか」
展開の早さについて行けないんだけど、目の前にはすでに青と黒の光の渦。
「オクレール領に行くんですか?」
「それ以外どこに?」
「狩りだ!」
ノードがゲートを開くときの気軽さって、ネコ型ロボットの「どこ○もドア〜」と一緒、とか考えていたら、いつもどおり猫が真っ先に駆けて行った。
「どうぞ」と誘われるのは、すっかりお馴染みになったゲート移動時のあたしのポジション。ローブの中でノードとのキスを脳内リプレイする間もなく、目の前には鬱蒼とした森が現れた。
これから始まるのは獣人虐殺のエピソードなのか、それとも魔術師の襲撃みたいに小説にはないエピソードなのか。
「血の匂いがする」
と、ジゼルが駆けて行く先に、蔦に埋もれた洞穴が見えた。
【デビュタントと悪女の出生の秘密編】――完――
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