ガルシア公爵邸での密談

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ガルシア公爵邸での密談

人と馬と馬車の車輪とで踏み固められたでこぼこ道を、一台の荷馬車が下っていく。御者台には手綱を手にした肉屋と、その隣にゾエの茶色い帽子。肉の保冷に魔法具が使われているらしく、荷台に魔力の気配がある。 あたしとジゼルはその様子を木のてっぺんから眺めていた。 石榴宮から皇宮の丘の大通りまではところどころ鬱蒼と草木が生い繁り、馬車は見えては隠れの繰り返しだ。視界を鳥影が過ぎるたび、ジゼルは鬱陶しそうに木陰に身を隠した。 「あの女の魔法具がなければ馬車に乗れるのに」 羽音がユーリックの鳥でないことを確認すると、ジゼルは愚痴を漏らして木から飛び立つ。 ゾエが付けていた魔獣専用の魔力探知魔法具(アーティファクト)の探知範囲がどれくらいあるのか分からないため、あたしたちは馬車からかなり距離をとっていた。 「主、先回りしてガルシア公爵邸に行くのはどうだ?」 「ジゼルが場所を知ってるならいいよ」 「まったく、こんなことなら魔塔主に聞いておくんだった」 文句を言いながらジゼルは馬車を追う。でもそこはあたしとジゼルのコンビ。ジゼルがどこまで近づけるか確認することにした。 あたしがゾエの傍にいてジゼルが徐々に距離を縮め、彼女が「ん?」と手首を見たのは馬車の後方三十メートルくらいにジゼルが近づいたとき。 「思ったより性能がいいな」 ジゼルが舌打ちする。 「でも、この距離で魔獣に気づいてから逃げても遅くない?」 「剣の腕はあるというから、臨戦態勢さえとれれば何とかなるのかもな。ぼくがこのリボンを解けばもっと遠くから反応するかもしれない」 結局、ガルシア邸まではあたしがゾエについて行くことにし、ジゼルは「狩りをしてくる」と森の中に姿を消した。ゾエの気配は追えなくても、ジゼルにはあたしの居場所がわかる。 ゾエは馬車に揺られながらパンを頬張り、皇宮の丘を抜けたところで肉屋と別れた。そこから延々と歩き続けているけれど、時間感覚が曖昧なあたしにはどれくらい歩いたのかよく分からない。 皇宮の丘がずっと右手に見えていた。山城を囲う城下町という感じで人々の往来は多く、景観はどこかのテーマパークみたいに美しく整えられている。 ゾエの地味な格好は、この街では逆に目立っていた。ボストンバッグを手にずんずん突き進む平民の女に、道端の紳士淑女がヒソヒソ囁く。ゾエは彼らの視線を愉しむようにニヤニヤと笑みを浮かべる。一人でいるときのゾエはずいぶん表情豊かだ。 彼女の足が止まったのは鉄柵の前。十メートルほど先に立つ正門の門兵に手を振り、反対方向に向かって塀沿いに歩いた。どうやらここがガルシア公爵邸で間違いない。 「クソ暑いな」 口の悪いのが素のようだった。ゾエの能面はもしかしたら平民っぽさを隠すためなのかもしれない。うなじを流れる汗を見て、あたしはそっと彼女の近くに寄る。 「日陰はちょっと涼しいな」 ううん、あたしの冷気。 「ゾエ!」と女性の声がした。裏門の前に兵士と一緒に女中らしいエプロン姿があり、ゾエとは対称的な人懐こい笑みを浮かべて手を振っている。 「久しぶり、ヘス」 ここでも能面キャラなのか、ゾエは無表情の上にわずかな微笑を浮かべた。「無表情の微笑」がおかしな表現なのはわかっているからツッコミはノーサンキュー。 「ゾエが来るって公爵様から聞いてた。話があるから今夜は泊まっていくようにって」 「そうなの? 手紙だけ置いてこのまま立つつもりだったんだけど」 「そんなに急がなくていいじゃない。皇宮での話聞かせてよ」 「ダメ。皇宮の中のことをおいそれと話すわけにいかないでしょ」 ケチ、と口を尖らせるヘスを放って、ゾエは門兵にひと声かけ敷地内に入っていく。勝手知ったるという様子で、邸内の人々も気安く「久しぶり」と迎え、ボストンバッグを下ろしたのは石榴宮であてがわれているのと同じくらいの小さな部屋。違うのは彼女がマナ石の付いた鍵を使ってその部屋に入ったことと、部屋の中に所せましと本が積み上げられていること。 「泊れだなんて、何かあったかな」 ドスンとベッドに仰向けになり、天井を見上げるゾエの目に警戒の色が浮かんだ。 ジゼルの気配が公爵邸付近にあると気づいたのは、空が茜色になり低い位置に青白い月が見えた頃。警戒しているのか邸内には入っていないようだ。 ゾエはあちこち顔を出して情報収集していたけれど、目立った成果はなさそうだった。ただ、皇太子が石榴宮に出入りしていることは使用人のほとんどが知っていた。魔塔主の出入りは噂になっていないみたいだけれど。 門や庭園にマナ石ランプが灯った後、公爵邸に動きがあった。 使用人たちが帰宅した主人を迎え、邸内がにわかに活気づく。一方、ゾエが呼び出された書斎で、ガルシア公爵は疲れ果てた顔をしてソファに体を埋めていた。 「ゾエ、久しぶりだな。構わんからそこに座ってくれ」 「お疲れのご様子ですね」 ゾエは言いながら、公爵が示した対面のソファに腰をおろす。「ああ」と苦笑とともに答え、公爵はテーブルの隅の四角い石に触れた。その瞬間部屋の壁に沿ってパアッと光が走る。 ……あれ? あたし閉じ込められちゃった? ゾエは研究者だし、もしかして幽体探知魔法具とかを持ってて、あたしが後をつけてるのを知りながらここにおびき寄せた? もし捕まったら――? 一瞬の間に色んな思考が駆け巡ったけれど、「防音は大事だからな」という公爵の一言でどっと力が抜けた。 確かめてみると防音結界の魔力でも壁抜けはできそうになかった。でも、いざとなったら普通にドアを開けて出られそうだ。 「報告は手紙にまとめましたが、ベルトラン家の子息からナリッサ様にお見舞いと舞踏会のパートナーの申し入れがありました」 ゾエの言葉にガルシア公爵は「やはりそうか」とこめかみを押さえる。 「先日、本宮でベルトラン公爵と子息に会った。今年から父親について官吏見習い中だそうだ。そのとき舞踏会の話もしたよ」 「陛下はベルトラン卿がナリッサ様のパートナーを申し出たことをご存じなんですか?」 「いや。ベルトランがわたしに揺さぶりをかけただけかもしれんと思ったから、先に君に確認することにした。ユーリック殿下の最近の動向で陛下も頭を悩ませておられる。むやみやたらと報告して煩わせるわけにもいかない」 「でも、ベルトランは動きました。皇帝派の中から皇太子派が分離しつつあるという噂を耳にしましたが、ベルトランもそうなのでしょうか」 ガルシア公爵は否定とも肯定ともいえない唸り声を漏らし、ため息とともに首を振る。 「公爵様」と、ゾエは〝能面〟にふさわしい冷ややかな声を出した。 「石榴宮のことではありませんが、ひとつ伝えておくべきことがあります」 「あまり良くない話のようだな」 「そうですね。むしろ腹立たしいというか、図々しいと言うか。ベルトランの面の皮の厚さには恐れ入ります」 ゾエの毒舌はこれが初めてではないらしく、公爵はクッと笑い声を漏らした。 「ニールの研究所から連絡があったのですが、イアン・ベルトランの名前でイブナリア王族に関する論文を閲覧したいという申し出がありました」 「イブナリア……? 君の書いた論文か?」 「はい。イブナリア王族やオーラに関する論文にいくつか閲覧申請を出したようです。公爵様もご存知の通りイブナリア研究に関するものはすべて皇室の許可がないと外に出すことはできません。ですが、イアンの父親であるベルトラン公爵様と言えばグブリア帝国宰相ですから」 「ゾエ、せめてイアン卿と呼んであげなさい」 「卿の前ではそうします。それよりも、ガルシア公爵様に確認しておきたいことがあります」 ほんの数秒の沈黙のあいだ二人は見つめ合い、あたしはゾエが何を言おうとしているのか分かった。 「もしかしてナリッサ様とローズ様はイブナリア王族の血をひいてらっしゃるのですか?」 二度目の沈黙はさきほどよりも少し長く、ガルシア公爵は咳払いでその沈黙を終わらせる。 「研究者を騙し続けるのは無理のようだ。君にはいずれ話そうと思っていたが、今夜がそのタイミングだったということだろう」 「ではやはり」 「ああ。だがナリッサ様に近づく貴族が出てきたということは、貴族が我々より先にオーラの発現を知る可能性もある。それは避けなければならない」 「それなら、いっそイブナリアの血を引くことを公にされてはどうです?」 「いや、それはまだ早い」 「ですが、もしベルトランがナリッサ様の血筋に気づいているのなら、彼女を政争の具にさせないためにもイブナリアの血筋はグブリア皇家の庇護下にあると明言すべきです」 「ナリッサ様は守れたとして、その一族はどうする?」 「一族、ですか?」 「……ローズ様が金色のオーラを持つとわかったのは陛下を治癒したときのことだ。当時病は公にされなかったが、皇宮医ではどうにもならなかった。ゾエも知っての通り陛下は魔術師に頼ることを嫌う。おそらくローズがいなければ陛下は……」 ゾエが唾を飲む音がした。 公爵は淡々と話をしているけれど、ローズを呼び捨てにしていることに気づいているだろうか。 「ローズが金色のオーラを持つことは、彼女の血筋の者を除いてわたしと陛下しか知らない。ナリッサ様もご自分のオーラのことをご存じないのだ」 やはり、というようにゾエはひとつ頷き、話の続きを待っている。 「わたしはローズの親族と思われる者を探した。だが、彼らのほとんどが定住せず治癒師として放浪生活をしている。全員を把握するのは難しい」 「治癒にオーラを使っているのであれば噂になるのでは?」 「明るい場所ではオーラの色は判別できない。それに、人々はイブナリア王族が滅亡したと信じているから、優れた治癒師がいてもオーラによるものとは思わない。だが、ナリッサ様がイブナリア王族の末裔だと公表すれば話は変わってくる」 「他にも金色のオーラを持つ者がいると考えられますからね」 「ああ。貴族たちの動きも慌ただしくなるだろう。皇室がナリッサ様を囲い込んでも、他に金色のオーラを継ぐ者を見つけて担ぎ上げることもできる。逆に一族を暗殺しようと企てる者も出てくるだろう。二百年前の惨劇が繰り返されないとも言えない。それに、ことは帝国内だけで収まらない可能性もある」 部屋の空気が重くなるにつれ、あたしはこの世界の主人公がナリッサであることをひしひしと感じた。 彼女の存在がこの世界の中心。彼女の選択がこの世界の未来を決める。 ナリッサが処刑されてしまった回帰前の世界で、グブリア帝国はどんな未来を迎えたのだろう。 ナリッサがユーリックと結ばれた回帰後の世界で、各地に存在する金色のオーラの治癒師たちは平穏な日々を送ることができただろうか。それともエンディングの後に惨劇が待っていたのか。 「イアン卿はどうしましょう」 ゾエはもどかしげに爪を噛んだ。 「舞踏会の件は正直なところ悪い話ではない。他の貴族令嬢と同列に陛下に謁見するとしても、宰相の息子がパートナーであれば周囲の目も違ってくる」 「やはり、ナリッサ様は正式に皇族として列席することはできないのですね」 公爵は無念を抑え込むようにグッと顎を引いた。ゾエが天井を仰いだのは皇帝への毒舌を飲み込んだのかもしれない。 「では、論文は?」 「無碍に断るわけにもいかんだろう」 「差し障りない内容だけを抜き出して渡せばよいかと。問題なのはオーラの顕性についてですが、ベルトランには伏せた方がいいでしょうか?」 「遺伝の話か。金色のオーラと銀色のオーラでは遺伝する際に金色のオーラが顕れるというのはすでに知られていることだろう? 隠す必要もないと思うが」 「手元にある資料では事例が少なすぎて仮説の域を出ません。もしかしたらグブリアの血を濃く受け継ぎ、ナリッサ様が銀色のオーラを発現する可能性も」 「それはない。心配するな」 公爵はゾエを安心させるようにうなずいた。 ナリッサはガルシア公爵とローズの娘なのだからオーラが発現するとしたら金色しかありえない。けれど、公爵はその事実をゾエに打ち明けるつもりはなさそうだ。ゾエは納得してないみたいだけど。 「ナリッサ様のオーラが銀色ならすべて丸く収まります。陛下もそれを期待して皇室に迎えられたのではないですか?」 それは違う。皇帝も自分の子じゃないって知ってるから。 「もしナリッサ様が金色のオーラを発現されたら、民衆は銀色のオーラを持つ皇太子殿下よりもナリッサ様を支持するでしょう。帝都外ではいまだ世界樹信仰が根強いですし、特に金色のオーラを持つ女性は聖女とされています」 「だから!」 なんの前触れもなく、ガルシア公爵は突然声を荒げた。滅多にないことなのか、ゾエは目を丸くしている。 「すまん。だが、だからこそ公にするタイミングが重要なのだ。ゾエはベルトランが気づいたと思うか?」 「イブナリア論文の閲覧を申請し、ナリッサ様に接触しようとしているのです。その可能性を疑ってはいるでしょうが、確証は得ていないのかもしれません。おそらく元凶はイアン……卿」 無理やりくっつけた「卿」にガルシア公爵が苦笑している。ゾエが嫌っているのはベルトラン家門というよりイアン個人のようだ。 「彼は幼いころからよくガルシア領の資料館や研究施設に顔を出されていましたから」 クソガキが、とでも吐き捨てそうな表情がイアンと面識があることを物語っている。 イアンのキャラ変フラグがもれなく回収されそうで、あたしはちょっと悲しくなった。
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