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帝都の外、ガルシア領研究都市ニール地区
主役や準主役級の登場人物のまわりにいたせいか異世界ライフっぽく魔術を身近に感じていたけれど、駅馬車に揺られているとここは普通の人間が住む街なのだと実感する。
時おり感知する魔力のほとんどが日用魔法具で、生物の内側に脈動する魔力の気配はガルシア公爵邸を出てから――いや、魔塔を離れてから二、三回ほどしか感じていない。もちろんジゼルを除いてなんだけど、もう帝都を出てガルシア領に入ったというのに、あまりにも少なくない?
「あたしの感知能力のせいかな?」
あたしはゾエの膝の上のジゼルに尋ねた。
「だろうな。主が感知したのはおそらく治癒師だろう。他に人間のふりした獣人もいたし、ほぼ浄化されかかった魔獣も何匹かいた」
「獣人の魔力って分かりづらい」
「たしかに、ちょっと特殊だからな」
「普通の魔力とは違うの?」
「主はどう感じる?」
魔塔主の癖がうつったのか、ジゼルは質問に質問で返してニヤッと笑う。
「ジゼル、城壁が気になる?」
ニャアニャア鳴いていたのが幽霊との会話だと思いもしないゾエは、馬車の背後に遠ざかっていく城壁に目をやっていた。ジゼルは調子良く「違うけどな」と答え、ゾエは「気になるよね」と噛み合わない返しをする。
昨日はあれほど姿を隠すことに苦心したのに、今日になってみれば旅は道連れ。こんな状況になっているのは、……隠れるのが面倒になったからだ。
「ガルシアとの会話は聞けたんだから、もう隠れなくてもいいんじゃないか?」
と、ジゼルは帝都を出た直後、ゾエの乗る馬車に飛び乗った。
ちなみにペットレベルの魔力とはいえ魔獣のジゼルは城壁の兵士に止められてしまう可能性があるから、二人で空を飛んで帝都を出た。
上空から眺める城郭都市、グブリア帝国の帝都は思った以上に広大で、城壁は緩やかなカーブを描き、その全貌を知るには雲よりも高く飛ぶ必要がありそうだ。遥か彼方に城壁の途切れた箇所が見えたのは、河が流れている場所。
帝都が魔塔を中心としたアンモナイトのような造りをしているのなら、あの河はアンモナイトがニュッと足を出す一番外側の部分ではないだろうか。
アンモナイトの螺旋構造には何か名前がついていたはずだけど、当然あたしに思い出せるわけもなく、生きていたときに天気予報を見ながら「台風とアンモナイトって似てるよね」という会話を妹とした記憶が蘇る。
ジゼルが言っていたマナの循環は、もしかしたら帝都の螺旋構造と関わりがあるのかもしれない。
一方、帝都の外側は螺旋構造を引き継いでいるようには見えなかった。アンモナイトの殻に棒を突き刺すように大通りが真っ直ぐ伸びている。城壁近くは宿場町らしく道に沿って栄えているようだった。
「お嬢さんの猫かい?」
馬車の最後部で隣に座っていた男性がゾエに声をかけた。
駅馬車に乗り合わせているのは平民ばかりで、座席などなくみんな板敷きの床にお尻をついて座っている。荷台の幌は前後が上げられトンネル状。土埃を避けるように乗客は布で頭を覆っていた。
「ガルシア領に住む知り合いが飼ってる猫よ。迎えに来てくれたみたいね」
ゾエは平然と嘘を吐く。
「そりゃあ、ずいぶん賢い猫だな。もしかして魔獣なのかい?」
「ええ。でも魔力はほとんどないし、もうじき普通の猫になってしまうはずよ。危険はないから安心して」
ジゼルが大人しくしているからか、男は警戒することなく「ああ」とうなずいた。
「それにしても、お嬢さんには悪いんだが、おれには帝都近くで魔獣を飼うやつの気が知れない。高い金出して買ったところで、いずれ普通の猫になっちまうんだろう? だったら最初から普通の猫を飼えばいいじゃないか」
「わたしも同感。貴族の娯楽は理解不能だわ」
たしかにな、と男は腰袋から干し肉を一切れ出してジゼルの鼻先にもっていった。
「悪くない」
ジゼルは猫らしく前足で干し肉を抑えてガジガジ噛んでいる。
皇宮の周辺と違って、景色も、人間模様もずいぶんとのどかだった。ゾエは石榴宮や公爵邸で見せる能面を外し、一人の平民としてこの景色に馴染んでいる。
ヒラヒラミニスカートのあたしだけが妙に浮いていた。久しぶりにユニク○ワンピに着替え、白のカーデイガンの袖を腰紐代わりに巻きつけてみる。
「ねえジゼル、こっちの方が平民っぽくない?」
ジゼルは興味なさそうに「いいんじゃないか」と一言。それでもあたしは満足し、平民の気分で空いたスペースに腰を下ろした。
「まあ、たしかに目立たないな。皇太子が現れても気づかないかもしれない」
ジゼルはゾエから離れてあたしの膝に飛び乗ろうとし、一歩手前でハッと気づいて足を止める。あたしに乗ったら浮くからね。
「ジゼル?」
ゾエは不思議そうにこっちを見たけれど、あたしの隣でジゼルが丸くなって目を閉じるとそれ以上何も言わなかった。
駅馬車は何度か停留所で停まり、乗客が入れ替わるたびにゾエは前側に追いやられ、ガルシア領の中心ニール地区の停留所に着いた時には一番前になっていた。
空はまだ明るいけれど、青白い月がうっすらと建物の間に輝きはじめている。夕飯どきらしく、沿道の店からは肉の焼ける匂いが漂ってきた。
「さてと」
ここが終着点らしく、他の乗客が降りるのを待ってゾエはボストンバッグを手に立ち上がった。馬車の後ろで待っていた御者がゾエの荷物を受け取って降ろし、ついでのように「泊る場所はあるのかい?」と聞く。
「決まってないなら知り合いの宿を紹介してやるよ。清潔な上に宿賃も安い」
男の声に下心はなさそうだった。
「ありがとう。でも、帰ってきたところだから泊まる場所は必要ないの」
「そうかい、お疲れさん。気をつけてな」
ゾエは愛想よく手を振り返したけれど、ボストンバッグを手に歩き始めたときには能面になっていた。
帝都のように平民と貴族の居住区域がはっきり分かれていないらしく、道行く紳士淑女に靴磨きや花売りが声をかける光景は異世界小説というよりも童話の世界。
ゾエは黙々と歩く。
「どこに行くんだ? 家に帰るのか? ああ、帝都の平民街出身だからここに家はないのか」
ジゼルの問いかけはひとり言、もちろんゾエには伝わらない。まわりに人がいなくなったタイミングを見計らってゾエは足を止め、道の端に寄ってしゃがみ込んだ。
「呼び捨てにしたのは許して下さいね、ジゼル様。他の人の前で猫に様をつけては怪しまれるから、仕方なかったんです」
「別にそんなのは気にしないぞ」
「ジゼル様はきっと魔塔主様に言われてわたしについて来たんですよね。魔獣であるジゼル様がどれだけわたしの言葉を理解しているかは分かりませんが、ジゼル様を追い返すつもりはありませんし、大人しくしていただけるなら研究所の中にお連れすることもやぶさかではありません」
ジゼルは姿勢を正してお座りし、大人しさを目一杯アピールした。
「魔塔主様に協力すれば、きっとわたしの研究にも協力して下さるはず。そうよね、ジゼル様」
ゾエは祈りを込めるようにジゼルの頭をなで、「さあな」という素っ気ないジゼルの返事は伝わらないから一人で満足している。
ゾエと並んで歩きながら、ジゼルが「そういえば」と、あたしを見上げた。
「主はまだ魔塔主の位置がわかるか? ぼくは城壁近くの宿場町を過ぎたあたりで分からなくなった。どこかに片方のピアスが存在する気配は感じるんだが」
「あたしも分からない」
そう、だからちょっと不安になってる。
「ニール地区に入るまではぼんやり方角が分かったんだけど、今はジゼルと同じ。うっすら気配を感じるけど、どこにいるのか見当もつかない」
「魔塔主の予想通り、主には移動できる範囲があるってことか。今夜は瞬間移動実験ができそうだな」
「瞬間移動、できるかな?」
「できなくても主なら一分ほどで魔塔に行けるんじゃないのか?」
「無理だよ。ノードの位置がわからないと魔塔の方角もわからない」
「ああ、そうか」
黄昏どきだからか、ノードを感じられない寂しさなのか、あたしは妙にセンチメンタルな気分になっている。先頭を歩くゾエはセンチメンタルとは無縁な表情と足どりで、迷いなく道を突き進む。
駅馬車の停留所近くは繁華街なのか人通りも多くごちゃごちゃした雰囲気だったけれど、しばらく行くと通りを境に風景が一変した。鉄柵の前に門兵、道に沿って敷地を囲う塀。
どこかで似た景色を見たと思ったら、帝都のガルシア公爵邸だ。
それならここがガルシア領主の邸宅なのかと思ったけれど、門には『公立ニール研究所資料館』とある。研究施設と言っても魔塔のように背の高い建物ではなく、ふんだんな土地を贅沢に使った平屋建て。
ゾエは小走りに通りを渡ると、ジゼルを片手に抱いて門兵に「お疲れさま」と声をかけた。
「あれ、ゾエ先生じゃないですか。皇宮に行かれたと聞いてましたが、戻られたんですか?」
顔なじみなのか、二人いる兵士の両方ともが親しげに近寄ってくる。
「わたしの論文に閲覧申請出した面倒なやつがいて、皇室の認可が必要だから戻って来たの。用事だけ済ませたらすぐ帝都に戻るわ」
「大変ですね」
口にした背の高い方の兵士が何か思い出したように「そういえば」と門の奥の資料館を振り返り、そのとき正面にある資料館の扉を開けて一人の男性が顔を見せた。
「ゲッ」とゾエが顔をしかめる。
男性はゾエに目をとめ愛想よく手を振ったけれど、近寄ってくる気配はなかった。ゾエを待っているようだ。
「最悪。明日にしようかな」
ゾエの口の悪さを知っているらしく、門兵二人はククッと笑いを堪えている。
「やっぱり、先生の言う面倒なやつとはベルトラン卿でしたか」
「ご愁傷様です、ゾエ先生」
イアンがあたしの知っている弟キャラの天然系イケメンでないことが確実となった。
「仕方ないか」
ゾエは諦めのため息を吐き、門兵は笑いで肩を揺らしながら門を押し開ける。彼女が敷地に足を踏み入れた瞬間、柵に沿って光が走った。
「えっ? あっ……!」
門兵が慌てた様子でゾエを押し止めた。
「ゾエ先生、もしかしてその猫は魔獣ですか? だったら持ち込み許可を取っていただかないと……」
「許可を出せる人間がここにいますが?」
「でも、申請書類が……」
「ガルシア公爵様からお預かりした魔獣です。書類は入館後すぐに書きますから、とりあえず通して下さい」
ゾエの能面&事務口調に気圧され、二人の門兵は「それなら」と引き下がった。イアンは正面玄関の石段に座り、その一部始終を見て楽しげ口元をニヤつかせている。
「ジゼル様、あの男は狂ってます。人懐こい笑顔に騙されないで下さい」
ゾエはジゼルの耳元でボソッと囁き、能面のままつかつかとイアンに歩み寄った。
門からは遠目でよく分からなかったけれど、イアンはたしかに銀色の髪に菫色の瞳をしている。けれど、ユーリックに比べれば銀髪というよりも白に近かったし、瞳の色もずいぶん薄い。
「主、こいつは皇族の血を引いているんだよな? それにしてはオーラが異常に少ない。おそらく皇太子の百分の一どころか千分の一以下だぞ」
ジゼルの言う通り、イアンからオーラらしき気配はほとんど感じられなかった。その代わり、何か違う気配がする。
「ねえ、ジゼル……」
聞こうとしたとき、立ち上がったイアンがゾエのために玄関扉を開けた。
「ゾエ先生。お久しぶりです」
大きなクリっとした目が印象的だった。アイドルがファンに向けるような甘い笑みを口元に湛え、小首をかしげる仕草は庇護欲をそそる。でも、そのスイートスマイルはゾエにはまったく効果なし。
彼女は施設の中に入ると、彼を置き去りにスタスタと廊下を歩いていく。ジゼルはゾエの胸から飛び降り、キョロキョロと辺りを見回しながら彼女の後を追っていった。
「ガルシア公爵が魔獣を飼っているとは意外です」
イアンはジゼルに手を伸ばし、ジゼルが顔をそむけると肩をすくめてゾエの隣に並ぶ。
「ベルトラン卿には関わりないことです。魔獣といっても、見ての通り尻尾は一本。ほとんど普通の猫ですから」
「そうかなあ? ごく稀に尻尾の数と魔力量が合ってない魔獣がいるでしょう? 先生のブレスレット、しっかり反応してるんじゃないですか?」
鎌をかけたつもりのようだったけれど、「いえ、まったく」とゾエは平然と答えた。
「それに、ベルトラン卿から先生と呼ばれる筋合いはありません。本宮で働かれているとお聞きしたのですが、なぜここに?」
「相変わらずつれないですね。先生もベルトラン卿なんて言わずにイアンと気安く呼んで下さったらいいのに」
ゾエの能面&事務口調は、イアンにはノーダメージのようだった。
学園モノだったら眼鏡の無愛想委員長と、じゃれつく犬系男子(実は腹黒)。いや、年がけっこう離れてるっぽいから、まじめ系養護教諭と保健室に入り浸るアイドル系男子(やっぱり腹黒)かな。ゾエ、白衣似合いそう。
「父から用事を言いつかって来たんです。五年前に皇宮の丘で起きた事故について調べ物を」
能面に警戒の色が浮かんだ。
「帝都での事故なら、本宮の方がよほど充実した資料があると思いますが」
「それはそうなんですが、あの事故の時はガルシア公爵様もご一緒でしたし、ガルシア領になら本宮にない記録があるかと思いまして」
どう考えてもこじつけだ。
「どっちにしろ、それは研究所の管轄ではありません。官吏見習いが聞いて呆れますね」
言葉遣いは丁寧だけど、到底貴族と平民の会話とは思えなかった。それを楽しんでいるイアンはMっ気があるのか、ゾエが「狂ってる」と言った意味もなんとなく分かる。門兵に「ご愁傷様」と言われるくらいだ。
「ゾエ先生が研究者見習いにして下さらないから、仕方なく官吏見習いをやってるんです。いずれ石榴宮にはお伺いするつもりでしたが、それまで待つことなくこうしてお会いできて嬉しいです」
「相変わらず嘘つきですね。わたしがここに来ると予想してたんでしょう? イブナリア関連の論文を閲覧したいと言えば、わたしはここに戻るしかない」
「否定はしません。お話しておきたいこともあったし、先生も興味深く聞いて下さると思います」
イアンが話そうとしているのはナリッサの金色のオーラのことかもしれない。ゾエもあたしと同じ考えらしく、「こっち」とぞんざいに顎で示して『応接室3』と書かれたドアの前に立ち止まった。
首にかかったペンダントを服の中から引っ張り出し、ゾエはシルバーコインのようなチャームをかざして鍵を開ける。
応接というより会議室のような部屋には、二人掛けのソファがテーブルを挟んでふたつ置かれているだけだった。テーブルにはガルシア公爵邸で見たのと同じ四角い石があり、ゾエがそれに触れると壁に沿って光が走る。
「簡単な魔術だな」とジゼルが言った。
「これって防音結界だよね」
「ああ。だが、知識さえあれば治癒師レベルの魔力でも簡単に解除できる。一般人に魔術が浸透していないグブリア帝国ではこういうのも有効なのだろう」
「いいんですか、先生。未婚の男女が密室に二人きりなんて」
イアンがゾエの肩に触れようとして、ゾエは一歩後退った。
「戯言は結構です。話したくて来たなら、話したいことを話してさっさとお帰り下さい」
お帰りはあちらと言うようにゾエは手のひらを扉に向ける。イアンはソファに腰をおろし、優雅な所作で足を組んだ。
「ぼくは年の差なんて気にしませんよ。もちろん身分の差も」
「防音結界に音声記録機能がついていないのが残念です。今の一言を聞けばナリッサ様にもベルトラン卿の本性がお分かりになったのに」
「まだ社交界デビュー前とは言え、恋愛と結婚が別なのは皇女様も理解してらっしゃると思います」
「主、この男はもしかしてこの女に惚れているのか?」
ジゼルが聞きたくなるのも仕方ない。あたしだって目が点だ。
小説で天然キャラを炸裂させながらナリッサ(とあたし)をキュンとさせていたあのイアンは、物語の裏で実はゾエに想いを寄せてたの?
からかってるのか、本気なのか。まさか二人の関係に恋が絡むとは思いもしなかった。
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