アルバイト

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 そこは若い女性の一人暮らしにふさわしく、カラフルに装飾された部屋……だったはずだ。しかし今はフローリングの上で固まった血や、壁や家具の至る所にこびり付いた赤黒い物体が嫌でも目に付いてしまう。  清掃道具一式を肩に担いだまま、上がり框で呆然としていると、荒木さんがフンと鼻を鳴らした。 「知ってるか?最近世間を騒がしている連続殺人事件」 「ええ。まあ」 「あれの被害者だってさ。小耳に挟んだ話じゃ、発見が遅れただけで、どうやらこれが一人目らしいぞ」  なぜだか荒木さんは優越感に浸るような笑みを浮かべていた。うちの会社は仕事柄警察関係の人に知り合いが多いそうだ。そこから得た情報だろうが、それを新入りのバイトにひけらかして嬉しいのだろうか。それなら僕だって誰もが腰を抜かすような話を持っているのだけど、さすがにそれをここで詳らかにすることは躊躇われた。 「あ……」と先輩が僕の背後に目を向けた。  振り返ると開いたままのドアの外に、スーツ姿の男が二人立っていた。 「あれ?小田さんと古賀さんじゃないですか」  どうやら顔見知りらしく、荒木さんは僕の横をすり抜けて二人に歩み寄る。 「どうしたんですか?なにか忘れ物ですか?」 「いや、社長からここだって聞いたもんでね」 「え?俺に何か?」 「お前じゃない。用があるのはそっちの若いほうだ」  中年の男が鋭い眼差しを僕に向ける。  もう一人の男がスーツの内ポケットから紙切れを取り出し、広げてこちらに見せた。 「内藤ケイゴ。逮捕状が出てる。殺人容疑だ」 「は?」と先輩が僕を振り返ると同時に刑事の声が聞こえた。 「そいつは連続殺人事件の容疑者なんだよ」    やっぱりこうなったか。  ここは僕が初めて人を殺した場所だ。たまたま駅で目星をつけた女のあとをつけ、部屋に押し入った。恐怖に引きつるその顔を見るうちに得体の知れない快感が全身を駆け巡り、気がつけば女を殴り殺していた。滅多打ちだ。  どこをどう走ったのかも覚えていない。いつの間にか僕は自宅にいた。そこで忘我の境地からはたと覚めたとき、胸のうちでもやもやとしたものが沸き起こった。人を殺したからではない。それは殴り殺すことに夢中になるあまり、僕の犯行を裏付けるような証拠を残したのではないかという焦りに似た感情だった。確かめに犯行現場に戻ろうと思った。でもできなかった。緊張と陶酔感で自分を見失っていたせいで、その所在が記憶から欠落していたのだ。それでも人を殺すときの血が燃え滾るような感覚は忘れられなかった。だから二人、三人と続けた。そのときは証拠が残らないよう細心の注意を払っていたが、ずっと頭に引っかかっていたのは一人目のことだった。  幸いにもその現場が発見されたとのニュースは出なかった。それでもいずれ見つかるのは必然だ。それまでになんとか自分の目で現場を確認したい。そう考えているときに知ったのがこのバイトだ。まさか初日にこの現場に当たるとは思いもしなかったが。  ただこれも悪あがきでしかなかった。荒木さんが言った通り、僕たちが現場に足を踏み入れるのは検証が終わった後なのだ。逮捕状が出たと言うことは、危惧したとおり証拠を残していたわけだ。  手錠をかけられ、二人の刑事と共に部屋を出たところで振り返る。  荒木さんがへなへなと床に崩れ落ちた。  腰を抜かしたその姿を見て、思わず笑いがこみ上げた。
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