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「グネビア様、グネビア様。」
侍女が心配して声をかけた。鎧を拭いている王女の手が止まっていた。顔色は青白く生気を失った死者のような目で、鎧についた血の跡をじっと見ていた。
それは騎士が死んだ時に着ていたものだった。
その様子を王が少し離れた場所で見ていた。となりには、王女のいとこで隣国の王家に嫁いでいるマリーがいた。子供の頃から王女とは姉妹にように仲が良かく、王が呼び寄せたのだった。
王がマリーに悲しそうに言った。
「あの鎧をランスロの亡骸といっしょに埋葬しようとしたのだが、グネビアが泣いて離そうとしない。それから毎日、血の跡を拭き取ろうするのだが、もう1か月になるのに、ずっとあのとおりだ。ランスロの死に際を想い出して、悲しみがこみ上げてくるのだろう。」
「叔父様、あのままではグネビアの精神が壊れてしまいます。私が嫁ぐ前には、よく2人で城下を散策に行ったものです。この王都イスタンには、素敵な場所がたくさんあります。私が無理矢理にでも、グネビアを連れ出しましょう。」
「お願いしたい。たとえ少しの時間でも、悲しみを忘れさせてほしい。」
ベールを顔に着けた王女とマリーが城下を歩いていた。魔王軍を完全に撃退した後に訪れた平和の中で、治安が安定してとてもにぎわい、高貴な2人が護衛もつけずに歩いていた。
「グネビア、2人で城下を歩くのも久し振りね。」
「はい、姉様。」
「ねえねえ、あの大道芸人のジャグリングすごいわね。」
「はい、姉様。」
「あの焼き菓子、おいしそうね。グネビアも好きだったでしょう。一緒に食べようか。」
「はい、姉様。」
快活だった王女が、何を聞いても感情のない機械的な声で返事をするのを聞いて、マリーは大変心を痛めたが、少しでも元気づけようと思った。
「じゃあ、焼き菓子を買ってくるわね。とても人気があるのね、屋台に長い行列ができているわ。少しここで待っていてね。」
「はい、姉様。」
王女はその場で待ち始めた。すると、背中に不思議なとても強い感じを受けて、大通りの反対側を振り返った。そこには古ぼけた骨董屋があり、そのショーウィンドウに飾られていた砂時計からだった。
ほとんど感情の動きがなくなっている王女だったが、フラフラと骨董屋に歩いて行き店の中に入った。カウンターに店主が立っていた。
「いらっしゃい。何かお眼鏡にかなうものはありませんか。」
店主は王女の高貴な身なりを見て、高価なものを買ってもらえるのではないかと期待していた。
「砂時計を。」
とても小さな声で王女が言った。
「え、砂時計。砂時計なんてあったかな。」
店主がそう言ったのを聞いて、王女はショーウィンドウを指さした。店主がその方向を見ると、確かに砂時計が置かれていたが、それは店主が全く知らないもので、仕入れた記憶もなかった。けれど、何でもいいから高く売りつけてやろうと店主は思った。
「レディ、大変お目が高い。あれは東方の国から仕入れたばかりのとても貴重な砂時計です。とても正確に時を示します。」
王女はショーウィンドウのそばに歩いて行き、砂時計を近くで見た。
すると、驚くべきことに砂時計が王女に話しかけてきた。
「グネビア様でいらっしゃいますね。私はこの砂時計に宿る時間の精霊でございます。あなた様のこと、それ以上に亡くなられたランスロ様のことをよく存じ上げております。」
「ランスロのことをよく知っているのですか!」
「はい、世界最強の騎士、古今東西を探しても最強のお方ですね。ただ、魔王ゲールも大したものです。結局、相打ちでしたね。」
王女の心に火が灯った。
「相打ちではありません。完全な勝利です。卑怯なゲールが魔王の剣を避難民に向けて何回も振るい、ランスロは魔風斬を防ごうとして、隙を見せざるを得なかったのです。」
「元気になられましたね。それでは、もっと元気になられることを申し上げましょう。私は時間の精霊ですので、ランスロ様が生きていらっしゃった時まで時間を巻き戻すことができますよ。」
「嘘をいうのは止めなさい。過ぎ去った時は決して戻らない。神ですら変えることのできない、この世の絶対的なことわりです。」
「そうでしょうか。絶対的だと思い込んでいても、実は違っていることが多いものですよ。それでは、御確認ください。…」
その瞬間に王女の意識は飛んだが、気が付くと、骨董屋のカウンターで店主と向き合っていた。
「レディ、大変お目が高い。あれは東方の国から仕入れたばかりのとても貴重な砂時計です。とても正確に時を示します。」
それを聞いて、王女は店主をじっと見た。その後でショーウィンドウのそばに歩いて行き、砂時計の近くに戻った。王女は言った。
「わかりました。私はどうすればいいでしょうか。」
「取りあえず、この汚い店から私を出してください。もう、こんな所にいるのはいやです。」
王女はその砂時計をカウンターに持って行った。
「これを買うことにしました。おいくらですか。」
「金貨3枚です。」
「価値のある物なのに以外に安いですね。」
店主はとても驚いた。
王女は骨董屋の外に出て、待っように言われた焼き菓子の屋台の前に戻った。しばらくすると、マリーが戻ってきた。
「ふー、とても長い行列でものすごく時間がかかったわ。グネビア、待たせてごめんなさい。」
「マリーお姉様、そんなに待っていませんよ。私はとても有意義な時間を過ごしました。さあ、早く焼き菓子を食べましょう。」
「えっ、グネビア、どうしたの!!!」
さきほどまで、感情のない機械的な様子だった王女が、以前の明るく快活な姿に戻っていることにマリーは大変驚いたが、とてもうれしかった。
「いいわ、はい、熱いから気をつけてね。」
「おいしい。最高です。何個でも食べられます。」
「グネビア。元気が出てほんとうによかった。」
宮殿に戻ると、以前の快活な王女に戻ったのを見て、王や家臣達は大変喜んだ。
「お父様、今まで大変御心配をおかけして申し訳ありませんでいた。今日はマリー姉様に、たくさんの素敵な場所に連れて行っていただきました。少し疲れましたのでこれで失礼します。」
王女は自分の部屋に戻った。椅子に座り、怖いほど真剣な顔になり、今日買った砂時計を取り出した。
「砂時計の精霊よ、出て来て。」
「はい、御前に参上しました。」
精霊の姿が目の前に初めて現実化した。
それを見て王女ははっとした。赤い鋭い目に黄金の髪、背中には黒色の翼を生やしていた。
「おまえは!!!」
「魔王ゲールです。でも少しも心配なされることはありませんよ。ランスロが最後に、狙い澄まして放った宝剣プライラスの光を受けて、消滅ぎりぎりで1個の細胞だけ、この砂時計に空間転移で逃げることができた慣れの果てです。今は何の力もなく、完全に蘇るには何百年もかかるでしょう。」
「私をたぶらかしたのか。」
「いや違います。偶然にこの砂時計にたどり着いた時に発見したのですが、確かに、時間を巻き戻す古代の魔法が秘められています。骨董屋でお示ししたでしょう。あの時は、3分前にしか戻せませんでしたが。ランスロが生きていた10年前に戻すことも可能です。」
「どうして。」
「大きな代償を支払えば、大きな魔法を発動させることができます。あなたに幸せをもたらしている王女の地位を捨て、10年前に平民の者と交換転移すればよいのです。」
「ランスロが生きている世界に戻り、生き続ける未来を目指せるのなら、王女の地位など喜んで捨てます。魔法を発動させなさい。」
魔王は砂時計に秘められた魔法を発動させながら、密かに喜んでいた。
(10年前に戻れば、世界最大の災厄である私魔王ゲールが完全に蘇ることが大きな代償。ほんとうは王女の代償など必要ないが、ランスロとの絆を断ち切ることがねらいだ。あの世界最強の力の源泉だからな。)
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