ある街の記録

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ちゃぽん。 天井から落ちてきたしずくが湯船の中の湯を打ち、広い浴室にその音が響く。 静かだ。 平日の昼下がりの銭湯。 私以外には、年配の女性が二人だけ。 一人は洗い場にいて、一人は静かに湯船に浸かっている。 はじめて訪れた小さな街。 その街中にある商店街の外れの銭湯。 私は今その銭湯で、湯船に浸かっている。 ロッカー、体重計、牛乳やサイダーが並ぶ冷蔵庫。色の褪せた広告看板。 浴室の壁には、かすれた富士山の壁画。 まるで昔の映画に出てくるような佇まい。過去に一度も自分では経験したことはないのに、感じる何か、これはなんだろう。まさか、懐かしさとでも言うのだろうか… 温度は、熱くもなくぬるくもない。 こういうのを、丁度いいというのだろう。 湯船の中でゆっくり足を延ばす。浴室の縁(ふち)にタオルを置き、そこに頭をあずけ、天井を見上げる。 なんとも言えない解放感だ。 何かに例えたいと言葉を探したが見つからなかった。 かろうじて頭の片隅に小さく浮かんだのは、かつて過ごしたファクトリーのプール。 もっともあそこは、暗く冷たく、無機質なつくりであった。 今感じている解放感とは似ても似つかないもの。 慌てて浮かび上がったイメージを消去した。 長湯を満喫して風呂から上る。 扇風機の風を受けながら、サイダーというものを飲んでみる。 特に体が熱いというわけではない。 ただシュワシュワと口の中に広がる炭酸の感触や、扇風機の柔らかな風をしばし楽しむ。 「あなたこの辺の人かい?見かけないけど」 お風呂から出てきて年配の女性が声をかけてきた。 「いえ…」 あいまいに返事を返す。 「若い子なんて珍しいからさ。旅行?ってこともないか、こんな何もない所に旅行に来る人もいないだろうしねぇ」 私は薄く笑いながら、小首をかしげて、受け流す。 あまり、特定の個人と親しくなるのは好ましくない。 まだ何か話しかけてきそうな女性に会釈を返し、銭湯を出た。 そのまま商店街に戻り、歩き続ける。 歩行者も少なく、大半の店が閉まっている。 肉屋、理髪店、喫茶店、わずかに営業しているいくつかのお店もひっそりとしており、街全体が眠っているかのようだ。 そんな静かな街並みを、スマートフォンのカメラに収めていく。 まあ、カメラのような外部記憶装置に頼る必要もないのだが、気分だ。 途中で小さな川にかかる橋を渡る。 橋は重要だ。二度、三度と往復し、念入りに撮影する。 さらに、周りに人がいないことを確認し、橋の上で、少し跳ねてみたりもした。 時間をかけてから橋を離れると、たもとにネオンが点滅する、けばけばしい建物を見つけた。 看板に「パチンコ」と書かれている。 ネオンは一部切れた所があり、けばけばしさの中にも寂しさを感じる。 初めてみたパチンコ屋に興味をそそられ足を踏み入れてみる。 チカチカとネオンを点滅させた機械がずらり並んだ列が三列。全部で50台ほどのパチンコ台が並んでいる。 お客は私を入れて5人、私以外は年配の男性ばかりだ。 みな黙って身動きせずハンドルを握っている。 パチンコの台からは、にぎやかな音色が流れ、その音だけが店内に響いている。 なぜだろう、騒がしいのに静寂を感じる。 ゆっくり店内を歩き店の奥まで進む。 店の奥にカウンターがあり、年配の女性がテレビを見ていた。 私に気づき、一瞬珍しいものを見るような目でこちらを見たが、すぐにテレビに視線を戻してしまった。 見渡して見ると店全体が古い博物館のようだ。 パチンコ台の前でハンドルを握る男性たちも展示物の一部、そんな風に私には見えた。 中を一回りして静かに店を出た。 夕刻、街が黄昏に染まる中、ふらりと入った定食屋。 特に食欲があるわけでもない、ただ戻るには時間が早いように思われたのだ。 メニューからメンチカツ定食というのを注文する。 揚げたてならではの油の香り、サクサクとした触感、とろりと口の中に溢れ出る肉汁。 味は、まあ普通だ。たぶん。 店内に置かれたテレビでニュースが流れていた。 アナウンサーが抑揚を抑えた口調でニュースを読んでいる。 「政府は、アンドロイド法の施行にともない実現した、アンドロイドによる全国巡回の取り組み、通称「旅するアンドロイド計画」、この施策をさらに拡大していく方針であると発表しました。既に来期予算にも…」 ニュースを見ていた客、中年男性の二人組みが話を始めた。 「これってあれだろう、アンドロイドを日本各地に巡回させるってやつ…」 「ああ、橋とかトンネルとかの実地調査とか、使わないと老朽化する施設の利用とかな。少額のお金を使わせて地域経済への還元もされてるらしいな」 「へーそんなことまで」 「うちのお袋も商店街に人がいなくて寂しいって、よくぼやいてるし。いいんじゃねぇか」 「まあ、役にたつならいいけど…、ちょっと気持ち悪いな」 「確かにな、店に来た客が実はアンドロイドでした…なんてのはな」 「ぱっと見じゃ、わからんらしいし…」 食べながら、さりげなく男たちを観察をする。アンドロイドに対するリアルの声を聞ける機会は珍しい。見る限り、彼らの声色や表情からは、軽い嫌悪の色が浮かんでいる。 と、男性が、表情を緩めて話を続けた。 「でもまあ、今年86になるうちの親父なんて、体の半分は機械だからな。もうアンドロイドみたいなもんだけどな」 そう言うと二人は声を上げ笑い出した。やがて二人の話題は自分たちの生身の体の心配へと移っていった。 話がアンドロイドから離れたのを潮に、私は席を立った。 外へ出ると夕闇が迫っていた。 街並みが少しずつ夜の闇に飲み込まれはじめている。 静かに確実に夜を迎えようとしているようだ。 しばらく歩き、駅についた。 改札を抜け階段をのぼりホームへ上がる。ホームでは、数人の客が電車を待っており、学校帰りと思われる制服姿の若い女性三人組の笑い声が響いていた。 駅のホームでスマートフォンを使って日報を作成する。 橋や道路の一部に経年劣化が見られたが、近々で対処が必要な場所は見られなかった。 また、使った金額の明細も添付する。 スマートフォンなど使わず、内蔵のデバイスを使えばいいのだが、人目も考慮して人間らしく振舞うよう言われている。 日報を送り終えると、定刻通りに近づく電車の音が聞こえて来た。 電車が到着する前に、改めてホームから今日歩いてきた街並みを見下ろす。 私は、この街をまた訪れることはあるだろうか。 そして、次に訪れた時、この商店街は残っているだろうか。 そんなことを頭に浮かべながら、私は電車に乗り込んだ。 こうして私の初めての任務は終了した。 明日からも同じように、あちこちの街や村を訪ねることになるのだろう。
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