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一口飲んだ後、うっかり手を滑らせていたらしい。パリンッと綺麗な瑠璃色の硝子が砕けてしまっている。欠片を拾おうと俯くと額に痛みが走り、思わず顔を歪める。それでも、何とか耐えようとする。怪我の事で皆に心配をかけたくない。
(瑠璃色の綺麗なグラスだったのにな。壊しちゃったわ……)
少し情けない気持ちになり溜め息を漏らしていると、イリアの背もたれの辺りに人影が近付いてきた。シャランッ。奴隷の認識をする銀色の二枚の札がこすれ合う音が聞えた。もちろん、振り返らなくても分かる。シードだ。銅製の札には奴隷の名前と所属先が書かれている。イリアは頬をほころばせて無邪気に微笑んだ。
「シード! おはよう!」
「何がおはようだ。呑気なもんだな! もう午後だよ」
彼は、裏庭にある厩舎で愛馬の世話をしていたのだ。
彼のサンダルの先端に藁屑が貼り付いている。
シードは不機嫌そうにしている。こちらに踏み込む眉間にシワを刻みながら問い詰めてきた。
「なぜ一人で出歩いた? 出かける時はオレを呼べよ!」
「やーだ。そんな恐い顔して怒鳴らないでよ。総督の甥のユリアウスの婚約者だと言えば誰も手を出さないと思ったのよ。あいつら余所者だったから、あたしが誰なのか知らなかったのね」
「ガキの頃にも猫を探しに出て迷子になった事があったよな。あの時と同じだぞ」
幼い頃、金髪の髪と白い肌のせいで、バース人の逃亡奴隷と間違われた事がある
「あの時もシードが駆けつけてきて助けてくれたわ! 五人の男達を相手にして剣で立ち向かってくれたのよ!」
「うっせぇっ。今回は手遅れになるところだったんだぞ!」
容赦ない怒号が鼓膜にキーンッと響いてしまいイリアは顔をしかめた。シードには叱られてばかりだ。これでは、どちらが主人なのか分からないではないか。
イリアは愛らしく頬をプーッと膨らませながら拗ねたように言い返していく。
「あたしが世間知らずなのはあたしのせいじゃないからね。成金の一人娘で着替えも入浴も奴隷任せの生活をしていきたのよ。一体、どうやって、厳しい世の中を理解できるって言うの。世間知らずにしたくないのなら、あなたが、あたしを外に連れ出してよ!」
しかし、シードは白けたような面差しのまま肩をすくめている。
「おまえは金持ちなんだから、今のままでもいいさ。今日は、おまえは出かける用事はないよな。今日ぐらいはじっとしていろ。オレは今から外に出て稼いでくるからな」
シードは剣の扱いが上手いのだ。奴隷の身の上なのだが、副業として近隣の裕福な子息に剣術を教えて小銭を稼いでいる。
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