2 退屈なお嬢様の日常

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『イリア様、おたくのシードは年上のオナゴが好きなようですぜ』 『どういう事よ?』 『場末の食堂で働くナグル人の年増女と抱き合っているのを見ましたぞ。危険なサイコロで儲けた金で奴隷女を解放したんです。年増女は一人でナグルに帰っちまったようです』  その時、ナグルの女性の境遇に同情したのだろうとイリアは考えたのだった。  オスベルには四季がある。海が荒れる真冬は交易に適していない。砂漠へと向かうのは夏の終わりから秋にかけてと決まっている。そして、潮流に乗って春から初夏にかけて異国からの船がオスベルに到着する。  シードとの思い出はたくさんある。あれは、シードがずっとオスベルに滞在するようになった直後の事だ。  あの日、シードと一緒に倉庫の二階のバルコニーから荷担ぎ人が動き回る光景を眺めていると、海風に乗って猛烈な獣の臭いが漂ってきた。弾かれたようにシードは埠頭へと駆け出している。何事かと思い、イリアも大急ぎで追いかけていったところ、シードは、今朝、埠頭に着いたばかりの獣の檻の前で顔を強張らせて呟いたのだ。 『何なんだよ。死にかけているじゃないかよ! 長い間、船底に閉じ込められたせいだ。毛並みも酷い。あれじゃ、剣闘士に斬り殺される前に死んじまうぞ』  本気で憤っていた。その表情は哀しげに揺れている。 『囚われの身がどんなに辛いものなのか……。高慢なオスベル人には絶対に分からないだろうな』  イリアは弾かれたように顔を上げた。 『分かるわよ!』 『いいや。おまえには分らないよ……。ていうか、わざわざ、おまえが知る必要はないさ』  シードにしてみれば、イリアは何の悩みも無い呑気なお嬢様で叔父や使用人からも愛されているように見えるのだろう。 『そんなことより、おまえ、市場に行きたいんだろう。警護してやるぜ』  そんなふうにして、シードは会話を切り替えていたのだが、あれから何年も経過している。  イリアは深い悩みを抱えている。オスベルの女子は財産を自由に使う権利がない。結婚相手も親や後継人が決める決まりになっている。つまり、どんなに想っていようとも好きな人とは結婚出来ない。 (何かに縛られることなく生きている人なんて、この世のどこにもいないのよ)  数年前、叔父は交易権が手に入らなくて困っていたのである。ユリアウスとの婚約が決まった事で叔父は自由に交易できる権利を得られたのだ。  ユリアウスと結婚する事で、かつてナグル商人が牛耳っていた絹の交易にも叔父は参加できるようになっている。でも、本当は、シードと永遠に暮らしたかった。結ばれたいと願ってきた。 (子供の頃から大好きなのよ……)  その想いは消せやしない。だからこそ胸がひりついている。ユリアウスとの結婚式まで、あと二ヶ月。結婚するしかない。でも、この気持ちを消し去る事など出来ない。
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