1 属州バースの夜明け

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1 属州バースの夜明け

『火事だ!』 この界隈の家は木製で家というよりも小屋に近い。森林が多いバース地方では家具も食器も木で作られており、家畜の餌の藁や積まれており燃えやすい素材が溢れている。一度、火がつくと一気に全焼してしまうのだ。  深夜、バキッと大きな音と共に燃え盛り高熱を発していたかと思うと、ついに屋根の梁が崩れ落ち、ドーンという大きな音が響いた。 『やべぇぞ、ルシルの家が燃えちまったぜ。中にいた父親はどうなったんだ?』 『そんなもん、とっくに焼け死んじまってるよ』  このままでは火の手が一気に広がり取り返しがつかなくなる。 『早くしろよ。やばいぜ』  まだ燃えていない家の住人は、火の手から逃げようと慌てふためいている。テラコッタ製の壷、皿、斧、ナイフ、祭壇、機織機、臼などの家財道具や穀物を手押し車に乗せて逃げ出していく。 檜皮の屋根から屋根へ容赦なく燃え移っていく。忙しなく吼える犬、熱気に怯える子供達の悲鳴、苛立つ男達の怒号が混ざり合い、ひどく混乱している。  逃げ惑う人達のせいで路地が詰まっており、そこにいる誰もが背後からの熱風に慄いている。もちろん、何とかしようと駆けつけた者もいた。 『水を荷車に積んで運ぼうぜ。みんな、消火をしてくれよ』 『いやいや、水をかけるよりも延焼しないように家を壊せ!』 『馬鹿野朗、そんなに簡単に壊れねぇよ。つーか、おいらの家を壊すなんて許さないぞ』  火の粉が風に乗って飛び散る中、ただ時間ばかりが無駄に過ぎていく。これでは埒が明かない。  と、その時。  野次馬を掻き分けて黒髪の若者が飛び出してきたのだ。切れ長の黒い瞳と真っ直ぐな黒髪の若者が両刃の大きな剣をかざして邪魔者を追い払っている。 『おまえ等、消火する気がないならどいてくれよ! ほら、じーさん、行った、行った。どいてくれ!』  彼の名はシード。その顔つきは精悍で一国の王のように威厳がある。荷物を抱えて移動しようとする老女が木切れに躓いて転ぶと、シードが駆けつけて背中を支えた。 『ばぁさんは先に逃げろ。あんたの荷物は他の者に運ばせる! 今夜は西向きの風が吹いている。ここからここまでの住民は家畜も一緒に連れて逃げろ。そして、ここから東側の者は消火を手伝ってくれ。さぁ、動け』  指示が適切だった。喧騒の中であろうとも凛と力強く響く声によって、みんなの意識が変わっている。  このようにして、バース人が一致団結して協力した結果、燃え落ちたのは火元の家と隣接していた七軒だけで済んだのである。延焼を防ぐ為に壊した家が五軒もあるが、それでも、住民は、この程度て済んだ事に安堵していたのだが、まさか、今夜の火災が、オスベルの議会を揺るがす歴史的な事件の前触れとなるとは、誰一人として予測していなかった。             ☆ (えっ……)
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