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5 婚約者ユリアウス
「お嬢様、どうか、お気をつけて」
いつもは付き添うサナが玄関先から心許ない顔つきで見送っている。
アロワが現れた数時間後、イリアは柔らかな生地の衣服を纏って華やかな化粧を施していた。
翡翠の腕輪や銀製の額飾りなどを装着したので煌びやかさが増している。
貴婦人専用の豪奢な輿に乗っている間、アロワはイリアと目を合わそうとはしなかった。アロワは頑固な娘でイリアに敵対心を抱いている。
輿の周囲には刺繍入りの薄い布で覆われている。輿の担ぎ手達はアロワか乗っていることに気付いていなかった。
バース産の美しい馬に乗り、輿を先導するのはシードの役目だ。
オスベルのしきたりでは、婚約期間は半年と決められている。その間に、婚約者同士は、こうやって頻繁に行き交うのが慣例となっている。しかし、今夜はアロワの為に訪問している。
「イリア様、着きました」
シードの声が前方から聞えてきた。イリアは輿の中から担ぎ手の男達に告げる。
「御苦労様、あなた達、ユリアウス様の御宅の奴隷部屋て待機していなさい。美味しいお菓子をくださるわよ」
担ぎ手を労って遠退けておいた。ユリアウスとの話がつくまでは、アロワは輿の中に残しておいた。
「イリア様、どうぞ、こちらへ」
出迎えたユリアウスの執事に導かれた。額飾りから背中にかけて垂らしているベールを優雅に揺らして書斎へと向かうと、ユリアウスは不思議そうに問いかけてきた。
「珍しいですね。こんな時間に、どうされたのですか?」
いつもならば訪問する時間を予告している。急遽、こういう形で訪問しているので相手が驚くのは当然である。ユリアウスに会うのは今回を含めて五度目。
今まで二人切りで話す機会はあまりなかった。いつもなら、イリアの隣りにはサナがいるし、ユリアウスの側には従僕がいるののだが、今は、人払いをしてもらっている。
完全に二人切りになると、未来の夫に向けて真剣な顔つきで語り出していた。
「ユリアウス様、突然の訪問をお許し下さい。どうか、ナグルの奴隷の娘であるアロワを匿って下さいませんか。あなたを殺すようにスツラに依頼されたのですが、それを断ったが故に追われています」
「どういうことですか……」
殺すという言葉に敏感に反応している。それはそうだろう。
イリアが話し終えると、彼は乾いた笑みを浮かべた。
「なるほど、つまり、僕は危うく殺されるところだったのですね。つい先刻、スツラ主催の宴が中止になったという知らせがありました。スツラの体調が悪くなったと聞きましたが、これでようやく事情が呑み込めましたよ」
宴に出る為に盛装しているユリアウスの首筋からはベルガモットの品の香りが漂っている。
本来ならば、今頃は、ちょうど、スツラの邸宅で豪華な食事をとっていたに違いない。
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