5 婚約者ユリアウス

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 イリアは沼地に落とされたように嫌な気持ちになっているというのに、彼は、涼やかに言い継いでいる 「スツラが悔しがる顔を見たなら、きっと、火事の日に父を殺されたルシルの心も晴れますね。さぁっ、カモミールのお茶をどうぞ」  その時、ちょうどルシルが部屋に入って来た。久しぶりに見た彼女は、バース人の木工職人が作った木製の丸い盆に気説の果物や焼き菓子を載せている。  ルシルが身につけている上等な衣装だ。金色の髪は結い上げられている。見違えたかのように垢抜けているルシルが、瑠璃色の硝子のコップににハチミツ酒を注ぎながら言った。 「旦那様、お客様のお食事はどうされますか?」  こんな時間に予告なしに訪問するなんて不躾だったかもしれない。イリアは急に押しかけたことに対して恐縮したように謝罪していく。 「申し訳ありません。自宅に戻りますね。お願いします。しばらく、アロワの事を匿ってもらえませんか?」 「そうですね。しばらくの間ならば僕の命の恩人であるアロワを保護する事が出来ますよ。まずは、スツラの出方を待つとしましょうか……」  ユリアウスが椅子から立ち上がろうとして手を叩くと、奴隷の従僕が駆け寄ってきた。二人がかりでユリアウスの細い肩を支えている。  何と脆弱なユリアウス。イリアは少し驚いたように目を見開いていると、それを感じ取った彼は、キュッと唇を浅く噛み締めた。自身の身体の弱さを恥じているかのように見える。 「ルシル、君は、イリアと一緒に出て、アロワを客室に案内してやってくれないか。シード達は庭にいる」 「旦那様……、顔色が悪いようですわ。大丈夫ですか」 「心配ない。少し寝不足なだけなのだよ。立ち眩みがしただけだよ。僕は、スツラがアロワを使って僕を殺そうとした証拠を集めることにするが、あまり期待しないでほしい」  ユリアウスはそう言っているが、それでも、去り際にイリアは深く頭を下げる。アロワを匿ってくれるだけでも有り難いのだ。 「どうか、お願いします」  イリアは、マーブル模様の大理石の壮麗な廊下を進みながら考えた。仮に、ユリアウスが死んだ場面を想定しても少しも悲しくならない。尊敬すべき人物だと思っているけれども、結婚したくない。それなのに、こうしてアロワの事を任せている。我ながら何て身勝手なのだろう。自己嫌悪に陥っていると、なぜか、ルシルが円柱の前で立ち止まった。 「どうしたの?」  誰もいない事を確認すると、彼女は秘密めいた眼差しのまま小声で囁いた。 「イリア様の話を聞いてしまいました。スツラの機嫌を取ろうなんて考えてはいけませんわよ。骨までシャブリつかれることになりますもの。わたしに良い考えがあります。夜陰に紛れて、あの男を殺してしまえばいいのですよ」 「えっ?」  イリアの耳朶に頬を寄せて言い継いている。
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