烏屋敷①

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 何処かの読本か黄表紙の類ではないのか、此の手の話は、という顔をする瑞垣に、塩塚がしたり顔で言うには。 「ま、何があったのかは当人達にしか解りませんがねえ。丁度その頃、中将様が卒中でお倒れに、ってことで有耶無耶に」 「そんな……いや、でも……有り得る、のか? 使用人の立場でどちらがいいと言える訳もない、か……?」 「ええ、そんなところでしょ。そして今は、お屋敷には姉妹と元庭師の若旦那様が住んでらっしゃると」  何とも醜悪な、と。  開いた口が塞がらぬ、とはこのこと。其れでまだ一つ所に住む、という神経が瑞垣には理解し難いが、そういうものなのだろうか。  他に行く宛ても、度胸もないのか。  恋などただの暇潰しなのか。  と、少し考えたが、それは感傷に過ぎて瑞垣は自嘲する。 「まあ、わかった。理解は出来ひんけどな」  栗でも食うか、と瑞垣が座り直すと、突然、塩塚がばっと立ち上がった。 「シズエさーん」  と、今し方、店の前を通り掛かった女性に声を掛け、手を大きく振っている。宇佐見家の向かいのお屋敷のお女中さんで、と塩塚がこそっと告げてくる。瑞垣も「こんにちは」と精一杯の笑顔を浮かべた。 「ま、塩塚君じゃない、相変わらず甘いものばっかり好きねえ。あら、こっちの男前も記者さん?」 「瑞垣さんはダメですよう、最近、いい人が出来た様子で」 「やあ、違いますよ」  とか何とか。お時間があればご一緒に、と椅子と饅頭を勧めながら、茶と栗を頼んで外堀を埋める。近所のお屋敷のお女中となれば、情報源としてこれ以上はない。この処、天候が不安定だの内地からの味噌が高いなどと話ながら、無論、事件と宇佐見家に話題を誘導する。 「シズエさんは見たんですか? 例の」 「それがねえ、もう昨日は警察が来ちゃってて」  そいつは残念、と合いの手を入れ、 「それで、最近、どうです? 宇佐見のお嬢様たちの方は」 「お元気よ、夏姫様は」 「……〝は〟?」 「見ないもの、春菜様の方は」   ああ、と調子を合わせていると、春菜様を最後に見たのはいつだったかしら、とシズエは首を傾げた。 「さんざすったもんだの挙げ句、ご婚儀があって、慌ただしくしているうちに、中将様がお倒れになってすぐお葬式で。といっても、どっちも殆ど身内だけの、こぢんまりしたものだったんだけど」 「そうでしたか、お寂しいですねえ」  と、塩塚はしたり顔で頷くが、事情が事情だけに大々的な慶事にも法事にもなりようがない。そらそうでしょうよ、とシズエも饅頭にかぶりつき、記憶を探るような仕草を見せる、 「忌中はお二人とも烏屋敷に籠もりっきりだったし、しばらーく出入りするお客もなくて……漸く、馬の調教師だったかしら、夏姫様の馬が調子が良くないって駆け込んできて、若旦那様が出て来たのは覚えてるわ。そういえば夏姫様、婚礼後は乗馬姿でお出になるの見なくなったわねえ。飽きたのかしら?」 「近頃はダンスと室内楽に凝ってるそうですよ、運転手さんに聞きましたよ」 「へえ、琴もピアノもヘッタクソだったのにねえ」  口ぶりに遠慮がない、というより容赦がない。 「それにしても、やっぱり見てないわねえ、春菜お嬢様の方は」  うーん、と腕組みするシズエにお茶を注ぎ足しながら、瑞垣は話を切り出す契機を見計らう。塩塚に目配せすると、饅頭を頬張ったまま頷いた。 「それで人喰い辻の遺体が、宇佐見のお嬢様に似ているというのは?」  ようよう本題に辿り着いて、シズエはやっと「ああ」と頷いた。 「出たのよね。とうとう、五回目だったかしら?」  うんうん、と頷く彼女の皿に栗も継ぎ足す。 「今度こそ、なんというか、普通の死体だったと聞きましたが。若い女の」  瑞垣がゆっくりと、ぼやかしたもの言いをすれば、シズエはまた豊かに謳う。 「そうなの、今度はちゃんとね。それがほんに真っ黒で、長いながい髪の、白いドレスの女っていうじゃない」  瑞垣が「それが…?」と首を傾げてみせると、彼女は「いやねえ」と顔の前で手を振った。 「宇佐見のお嬢様はお二人とも、黒くて真っ直ぐな、とても綺麗な御髪でいらっしゃるの。市松人形だッてあんな美しい髪のはないわ」 「ああ、僕も夏姫様の方なら見たことがありますよ。背中の真ん中くらいまで、まさにぬまたばの夜の更け行けば、とはあれかと」 「万葉集かいな。どちらか言うなら、緑なす黒髪梳る、やろ」 「どっちでもいいわよ。それにね、夏姫様は羨ましいくらいの衣装持ちでいろいろお召しになるけれど、春菜様は白いドレスばっかりなものだから。すわ、春菜お嬢様かって、大騒ぎになったのよ」  長い黒髪と純白のドレス、の若い、女……  の、屍。
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