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瑞垣は細く紫煙を吐く。
病弱な深窓のご令嬢が、海のものとも山のものともつかぬ庭師と恋に堕ちて、更に妹に寝取られて。人生とは、解らない。
しかし、名家の娘が路上で息絶えるということが有り得るだろうか?
「火のない所に煙は立たぬ、とは云いますが、とはいえその可能性は……」
「ないですよねえ。でも、出入りの商人なんかに聞いても此の処、春菜様の姿を見たって話は殆ど聞かないんですよう」
「そうねえ、夏姫様はちょくちょくお出掛けになるから、それこそ今朝もお見かけしたけれど。どうしてるのかしら、春菜様」
と、シズエが三度首を傾げたところで、
「あら、春菜様なら見たわよ」
は? と、まったく新しい証言に、三人は振り返った。買い物カゴを抱えた上背のある女が立っている。出で立ちからして、こちらも何処かのお女中だろう。
「まあ駒ちゃん、どうしたの?」
「奥様のお遣いの帰り。いいわねえ、シズエちゃん、佳い男二人に囲まれて」
「違うわよう、こちらは新聞記者さんたち。ほら一昨日出たって」
あら、じゃあ人喰い辻の? そうですそうです、ぜひご一緒に、と瑞垣と塩塚は新たに椅子を追加して駒子を囲い込む。
「駒ちゃんのところはうちのお隣、宇佐見様のはす向かいね」
「二階に上がれば、烏屋敷の綺麗なお庭も見えるの。若旦那様、今でもご自分で手入れされてるから。本当にいいお庭でね」
成る程、それは持って来いの立地である。思わず瑞垣も塩塚も、ついでにシズエも身を乗り出す。
「では、いつ春菜お嬢様を見ました?」
「昨日だったかしら……昼下がり、お庭の椅子に座ってらしたわ。相変わらず、絹糸みたような艶やかな御髪で」
はー、っと全員が嘆息したものだ。
然もありなん。
瑞垣は此までの情報を胸の内で整える。どんなにスキャンダルに塗れても、名家のご令嬢が往来に屍を晒す等ということは起きなかろう。
では、その屍体はなんだ?
わざわざ似せた、ということか。
此だけ知れ渡っていれば難しい話でもなし、宇佐見家の醜聞に無関係ではあるまい。唯の嫌がらせか、何かの符牒か、目眩ましか。
更に五人目は消えなかった事にも意味があるのか、無いのか。
「なあんだ、やっぱりデマゴギー」
「まあそうねえ、春菜様じゃないのよ」
「……なにか?」
随分とがっかりする様子の二人を訝ると、
「それがちょっと噂があってね……宇佐見家で反魂香が使われてるって」
「は? はんごんこう?」
「えっ、たしかそれ、西行法師がナントカって」
いきなり陰陽師? 落語しか知らねえな、と、ブン屋二人もさすがに開いた口が塞がらぬ。
シズエと駒子はそっと顔を寄せ合い、少々意地の悪い笑みを浮かべて、それがね、と口々に謳う。
「死体が春菜様だっていうから」
「ひょっとしたらって、もしかしたらって」
「春菜様は既にお亡くなりになっていて、若旦那様がなんとか甦らせようと」
「髑髏と骨と、霊薬を集めて炊いて、満月の夜ごと魂を呼び戻して」
「何度も試して、人のカタチに成っては崩れるを繰り返して、失敗作を道端に捨てていた、っていう噂」
……まさに怪談。
間違いなく与太話の類だった。
しかし、そんな噂が出ていたということは……すっと目を眇めた瑞垣に、嗚呼そうだ、とシズエが声を上げた。
「思い出したわ、庭師、じゃないわ、若旦那の名前。文昭よ、ふみあき」
色男の名前が、解った。
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