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「知ってる、って、何が? 僕はただ、この近くでむかし間引きされていたらしい川の名前を上げただけなんだけれど。まさか、合葉さん。その川に行ったりしていないよね? それも一度や二度じゃなく、習慣的に。通ったりなんてしていないよね?」
ごくり、と唾を呑み込む。
見つめ合ったまま言い返せないでいると、「図星かぁ」と螢川くんは目を伏せて溜息を吐いた。
「本当に分かりやすいなぁ、合葉さんは」
おっとそんな怖い顔で睨まないでよ。と螢川くんは両手を上げてみせた。しっかりと喋ったことなんてなかったけれど……こんな人だったの?
戸惑いつつも、私は聞かざるを得なかった。
「で、その川がなんだっていうの?」
ふふ、と意味深に笑って、螢川くんはまた眼鏡を正してから口を開く。
「鬼除川っていうのはね、人々の祈りが込められた名称なんだ。ほら、あの話はよく聞くでしょ? 子供が親より先に死んだら、三途の川で鬼に石積みさせられるって話。でもさ、間引きされた子供がそんなことさせられてたら、流石に可哀想じゃん。だから鬼に願ったのさ。どうか、免れさせてください。うちの子供は除けてください、って」
人々の祈り――……鬼を除ける川じゃなくて、鬼が除けるようにと願われた川だったのか。
なんて頼りない名称だろう。
「……全く。自己中心的で事故っちゃえって話だよね。そんなだから悪霊が溜まるんだよ」
あっはっは。と螢川くんは手を叩いた。何も面白くない。
ひとしきり笑ってから、螢川くんは二、三歩こちらに近づいてくると、ゆっくりと屈んで見つめてくる。
「〝深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ〟」
思わず後退ると、手からスマホが滑り落ちた。
「合葉さんが水面に映っていたとき、霊もまた川底から見ていたのさ。でも、誰にでも憑く訳じゃない。確実に選んでいるよ。つけ入る隙のある人間を――心に余裕のない、愚かな人間を」
「……憑、く……? 隙……?」
「まぁ。別に、合葉さんが愚かって言っている訳じゃないよ。誰にだってストレスはあるものさ。ただ、河童にされた子供からしたら超嫉妬案件だね。だって、普通に生活できているだけで幸せでしょ? 何をそんなに悩むことがあるの? ってね」
――幸せ? 私が?
今の私が?
どろり、と鳩尾のあたりに液体が流れ込んできたような感覚がして、急に気持ち悪くなってきた。段々、息苦しくなっていく。まるで、暗闇に溺れているみたいに。
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