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6月10日
この町に戻ってきたのは、今日のためだった。
足の震えを押さえて、ゆっくり地面を踏みしめる。現場に足を向けるのは、あの日以来だ。
雨でよかったと、傘の中で思う。あの日のように晴れていれば、たとえ記憶より町が廃れてしまっていても、精神的に耐えられなかっただろう。
足を止めたのは、赤い傘が見えたからだ。横断歩道前にしゃがむ姿勢は、間違いなく先客だった。10メートルほど離れた自分からは、スカートを履いていることしかわからない。走り去る車の水飛沫も気にせずに手を合わせる。耐えきれなくなって、目を逸らした。
女性が曲がり角に消えていくのを見送ってから、自分もその場に花を手向けた。2つめの、花束だった。手を合わせる。
考えられることなんて、ひとつもなかった。
頭が痛むのもそのままに、立ち上がる。人の影なんて、気にする余裕もなかった。
「ありがとうございます」
「え?」
曲がり角を曲がった先で、声を掛けられるとは思わなかった。傘の色に、言葉を失った。
「あそこで事故があったの、ご存じなんですね」
「ああ」
飲酒運転の自動車と、歩行者の事故だった。歩行者の男性は即死で、静かだったこの町を騒然とさせた。
「今日は皆、工場の方に行くと思ってたから」
「そうですか」
事故の5年後、大企業の工場が火事に遭った。隣りにあるこの町からも、多くの従業員が犠牲になったと聞く。
「いつも花だけ置いて帰るんですけど、人が見えたから...すみません」
「いえ」
傘の柄を握る手に、石が輝いているのを見つけた。似合わないなと判断してしまったのは、小花柄のワンピースも、長い黒髪も、女性の年齢より若かったからかもしれない。
「覚えていてくれる人がいて、彼も喜んでいると思います」
思い出した。予感はしていたが、確信してしまった。
現場に駆けつけて、大声を上げて泣いていた女性。この人だ。
誰も彼女に言葉をかけられず、手を差し伸べることもできなかった。被害者の恋人だったのだと、後で誰かから聞かされた。
「はい」
一礼をして、別れた。揺れるスカートの裾を、見つめる。
訊きたかった。あなたは誰かを恨んでいますか、と。
事故を起した挙げ句に、自ら命を絶った加害者ですか。見ず知らずの子どもをかばってプロポーズの機会を逃した、恋人ですか。信号が赤にもかかわらず道に飛び出した、馬鹿な子どもですか。子どもを見ずに話し込んでいた、愚かな母親ですか。その家族は事故の後、人目を避けるようにこの町を後にしました。
立っていられなかった。音を立てて、傘が地面に落ちる。容赦なく降り落ちる雨が、冷たい。
このために町に戻ってきたのだと、言い聞かせる。引越を反対し続けた両親と自分は違うのだと、言い聞かせる。
どうか誰にも、この叫び声を聞かれていませんように。
夢の日
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