プラスチックの悪魔

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 ※ ※ ※  僕に初めての恋人ができるきっかけとなったのは、高一の二月に起きた些細な出来事だった。  ある日の放課後、たまたま忘れ物を取りに教室に戻ると、一人の女子生徒が席に座っていた。  顔をしかめながらペンを動かす彼女の名前は、松本(まつもと)実咲(みさき)。クラスメートではあるけれどもほとんど話したことはなく、僕が彼女について知っていることといえば、顔と名前と、部活には入っていないらしいということくらい。  松本さんの机には、A3サイズくらいのプリント。宿題か何かだろうか。学年末テストとそれに伴う提出物もひと段落したこの時期に、わざわざ放課後残って勉強している人は珍しい。  無意識に彼女の横顔に向けていた視線を意識的にそらし、教室のドアを開ける。 「ん、お疲れー」  僕の存在に気づいた彼女が社交辞令的に微笑み、すぐにまた机の上のプリントに視線を戻した。 「あ、えっと、お疲れ」  最低限の挨拶を返し、忘れ物を回収するため自分の席へ向かう。  彼女が何をしているのか少しだけ気になりつつも、わざわざ質問するほど関わりのある相手でもない。  忘れ物をカバンに入れ、廊下に体を向けた時だった。 「ヘルプ」  聞き違いでなければ、松本さんがそう呟いた。  見ると、答案用紙に目を落としたままの松本さん。 「大丈夫?」  ヘルプ、というのは僕に助けを求めているのだろうか。そう考えて、彼女の席に歩み寄る。  ところが、彼女はいぶかしむように僕を見ただけだった。 「えっと、何か?」 「いや、今、ヘルプって……」 「ああ、ごめん、独り言」  松本さんがにかっと笑って、自分のプリントに目を落とす。その視線を追った僕は、シャーペンの先が白紙の上の『help』という英単語を指していることに気がついた。  ……どうやら、完全に僕の勘違いだったらしい。 「ああ、いや、ごめん、なんでもない」 「ふふっ」 「ごめん、じゃあ、僕は帰るから」  小動物を愛でるような彼女の視線に耐えられず、そそくさと廊下に向かって歩き出したところ、 「ちょっと待って」    静かながら確かな引力を持つ声が、僕を呼び止める。 「追試の課題やってるんだけど、全然わからなくて。勘違いしたペナルティーで、ここ教えて」
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