金色の瞳と満月の結晶

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金色の瞳と満月の結晶

8b764843-dafa-46f3-bd61-1045e3a9f006 第1章 幻想の錬金術師  まだ生きているの? まだ生きているの?      まだ生きているの?  まだ生きているの?          まだ生きているの?  まだ生きているの?  まだ生きているの?  まだ生きているの?      まだ生きているの?  まだ生きているの?          まだ生きているの?  まだ生きているの? * * * * *  蒸し暑い夜、重たい足を引きずりながら屋上へ続く階段を上った。  後から思えば、それは重要な悩み事ではなかったかもしれない。解決策もあったかもしれない。でも……もう考えることを拒絶していた。  最後の一段。足音の余韻が階段ホールにこだまする。ドアノブに手をかけて捻ると、扉は簡単に開いた。  やっと……やっと楽になれる……さぁ。  あれを乗り越えていけば……もうすぐ……。 「え……」  目指すべきところには人影が……。その両手は柵を掴んでいて、ここは深夜のビルの屋上…… 「ま、待った……! 早まっちゃいけない!」 「え?! ちょっと、お兄さんこんなところに」  何の用、と振り返りながら言いかけたシルエットに私は慌てて飛びついた。とにかく柵から離さねば! 「あ、ちょっと待って、頼むから」 「ダメだ、ダメだ!」  力任せに無理やり柵から引き剥がした。 「誤解だって! いててて、は、離して」  その声は、若い男だ。私より若干身長が低いが力もそれなりに強い。 「う……っ!」  柵から二メートルほど離れた辺りで勢いよく振りほどかれて、私は尻餅をついた。目の前の男が振り返る。 「いったいなんだよぉ……って、お兄さんそれ……遺書だよね?」  咄嗟にワイシャツの胸ポケットから少しはみ出した封書を掴むとクシャリと乾いた音がした。  私を見下ろすのは、薄暗い中でもはっきり分かる印象的な……金色の瞳。 「ふーん……」  私の目の前にしゃがみ、視線が固定される。……すると、私の指の間をすり抜けてどす黒い墨汁のようなモヤが立ち上る。なんだ……これは……。 「なるほどね」  彼は一人納得しながら、今度は人差し指をそのモヤに向けてくるくると回すと、目の前で渦を巻いている。 「パワハラ・セクハラ……根も葉もない噂、とても辛い状況……」 「な、何故それを……」  彼が指をパチンと鳴らすと、空中で渦巻いていた黒いモヤが塊となって乾いた音を立てて地面に落ちた。  ……例えようのない不思議な響きで、それはしばらく耳に残った。 「その遺書にこもってたお兄さんの想いを詠んだ」  彼は私の足の間に落ちたものを拾い、それを目の前に突き出した。3センチほどの塊だった。 「で、これがその想いを固めた結晶」 「き……君は一体……?」 「俺は稲月(いなづき)(はるか)。お兄さんはそんなに辛い思いしてんのに、俺がここから飛び降りるかもと思って止めてくれたんだね。ありがとう」 「あ、あの……」 「あ、俺は物にこもった想いは詠めるけど、人の心は無理なんだ。言いにくいかもしれないけれど……俺で良かったら話してみてよ」 「あ、はい」  反射的に姿勢を正して座り直すと、遥もまた同じようにコンクリートの上に正座した。 「私は加賀美(かがみ)俊郎(としろう)と言います。その……君のいう通り、これは遺書です」  コンクリートの上で膝を突き合わせて半ばヤケになりながら見ず知らずの青年に経緯を話した。 「些細なことから始まって、少しずつ状況が悪化してしまって……」  現在三十二歳でベンチャー企業の人事部長。部長とは言うものの、今は諸事情で一人部署。私生活は妻と息子と3人暮らし。割と順調だった。……二ヶ月ほど前までは。  ある日突然降ってきた厄災。SNSに根も葉もない噂を投下されて誤解され、机に落書きされたり、ゴミがばら撒かれる嫌がらせ行為は日増しにエスカレート。どうにか解決できる方法はないかと数日間考えていたはずが……気づけば遺書を書いてここにいた―― 「俊郎さん、初対面の俺なんかに丁寧に話すなんて、本当に律儀だね」 「もう何をどうしていいやら……」 「嫌がらせとかは、労働基準ナントカに相談するのが良いんじゃないの?」 「いえ、もう……どのみち仕事辞めたほうが良さそうですし、マンションのローンもあるから死んだら保険金も入るし、それなら死ん――」 「何か証拠とかある?」 「え?」 「証拠になりそうなもの、残ってないの?」 「えっと、証拠になるかはわからないですが、いくつか心当たりは……」  言いながら、ポケットの財布の中からレシートを一枚差し出した。 「今日、昼休みから戻ったらデスクに置いてありました」  それは今日の日付のレシート。 「この暗がりで読めますか?」  月明かりがあるとはいえ、薄暗い中でとても小さい文字だ。 「うん、この明るさなら十分」  視力がいいのか、さっきの遺書のように何かを感じ取ったのか、曇った顔でレシートを見ている。裏返すとそこには黒いボールペンで「死ね」と直線的な文字で殴り書きされている。 「これはさすがに……」   遥は片手で顔面を覆ってため息を漏らす。それから遺書の時と同様にレシートから黒いモヤを発生させると、今度は掴み取るように塊にして、さっきの塊の隣に置いた。 「俊郎さん、他にも手掛かりになりそうな物、持ってる?」 「えっと、今はないですが、会社になら……」 「そう。それならオッケー」  遥はズボンをはたきながら立ち上がると、大きく伸びをしながら空を見上げた。 「今から少しの間だけ仕事するから、そのまま待ってて」 「仕事?」 「そ、仕事。今日はとても綺麗な満月だし、良いもの見せてあげるから!」  そう言って背を向け再び手すりの方へ向かった。その上には大きな満月があった。  ――しばらくそのまま佇む。  空を見たのはいつぶりだろうか。綺麗だなと、素直に思っていると薄曇が通りかかり、月の周りに虹色の光の輪が現れた。  幻想的な光景に心が震える。その時、遥が天に向けて大きく両腕を掲げた。  おそらく、その金色の瞳に金色の満月の光と輪が映っているのだろう。私はその後ろ姿に説明のしようのない神々しさを覚えて息を呑んだ。  月を捕まえるかのように、遥の右手が空を掴み、左手は右の手首をしっかりと掴む。ややあって、右手の指を頭上でパチンと鳴らすと、やがて空から雪のようなものが光りながらゆっくりと落ちてきた。  それらはコンクリートに当たると、小さな鈴のような音を立てて転がる。あまりにも幻想的で夢のような光景だった。  余韻の後、振り返った遥は手の甲で額をぬぐう。 「どう? 綺麗だったでしょ?」 「え、あ……はい」 「誰かに話したところで信じる奴はいないと思うけど、内緒にしといて」  人差し指を口の前で立てて遥が微笑む。 「あ……あぁ……喋りません」  実際に目にした私だって信じ難い……。  呆然としている私をよそに、遥はふぅと一呼吸して一粒ずつ丁寧に「何か」を拾い集めていた。  自分の周りを見渡せば、そこには淡く光る金平糖のようなものがたくさん転がっていて、コンクリートの床が美しく彩られていた。  興味が湧いたことでようやく我に帰る。 「これは、私が触っても大丈夫なものですか?」 「あ、うん。大丈夫だよ」  いちばん近くに落ちていた金平糖をつまみ上げると、蜂蜜のような黄色をしていて、光は内側から放たれていた。 「遥君、これはいったい?」 「幻想結晶。簡単に説明すると、想いを固めて結晶にしたもの。これは、夏至の日の満月の光と、それを見て感動をしているいろんな者たちの想いの結晶、かな」 「夏至の……月の光? と……想い……?」 「そう。今、俊郎さんも満月と月暈を見て感動してたでしょ? そんな想いと満月の光が混ざった結晶」 「月暈……?」 「そう、月の光でできる虹の輪は月暈とか月虹って呼ばれるんだ」 「ゲッコウ?」 「月の虹って書いてゲッコウって言うんだよ」  私の度々の質問に対して、呆れることもなく優しい声で答えてくれた。 「月虹ですか……初めて見ました」 「じゃあ、すごく幸運(ラッキー)だよ!」  見上げると満月はまだそこにいて、淡い光を放っている。 「ちなみにさっきの黒い塊は、遺書を書いた時の俊郎さんの想いと、レシートの方はアレを書いた人の想いね」  私が感心している間にも、遥は話しながら淡々と足元の結晶を拾い集めていた。 「あぁ、これは失礼」  屋上に散らばった金平糖はまだまだたくさんあった。私も慌てて拾うのを手伝い始めると、クスっと遥が笑った。 「俊郎さんって、本当に良い人だなぁ」 「そう……ですか?」 「そうだよ」 「ありがとう…………」  涙が溢れた。  目を逸らし背を向けた遥は、再び目の前の作業をこなしていた。少しペースを落としていたから、私の涙が乾くまで時間を稼いでくれたのだと思う。
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