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調査開始
循環? ……幻想……錬金術師?
遥は頷いて、金平糖を炭のような結晶に近づけると、触れた所から二つとも溶け始め、大きかった黒い結晶が溶け残った。
「石のように硬いものが……」
「この場合は、大雑把に解説するなら相反する想いが打ち消し合っている状況ね」
サラサラと無色の空気のように消えていく様子は、ファンタジー映画さながらだった。
「普通の人には話さないほうが良いよ。絶対に信じないから」
「……いえ、話す気は無いですが……。それに私も信じがたいとは思っていますよ」
「俊郎さんは昨日も見てるんだから信じてね?」
頷く私を見て、遥が肩をすくめてクスッと笑う。
「ところで昨日、俺がお守り代わりといって渡したのはどんな効果だと思う?」
先ほど見せてくれた現象と等しく考えるならば……
「私を自殺へと追い込もうとする想いを打ち消すため、でしょうか?」
「正解! 昨日より心が軽くなってるんじゃない?」
「言われてみれば確かに……」
遥は「そうでしょう」と言わんばかりの笑みを返した後、改めてテーブルの上の証拠品へ視線を移す。
「ちなみに物にこもった想いを読み取ることを『詠む』って言うんだ。言偏に永遠の永の方ね」
「……詠む、ですか」
「そう。空に舞っていたり、物にこもっている想いを、光の粉やモヤや結晶のように目に見える形に具現化する事を詠出。頭の中にあるイメージを、和歌に詠むことにかけているのが由来みたい」
人差し指で自分のこめかみあたりをチョンチョンと指し、そのままクルクルと動かした。
ふむ……大体のイメージはなんとなく理解したような気がする。
「人間の想いを一番詠みやすいのは、文字に書き記したものかな。手紙にしてもメモにしても、誰かに伝えるために書くから、意識しなくても想いがこもるんだ」
そう言って、昨晩のレシートを一瞥してから、遥は改めてテーブルの上を見回して、そのうちの一つを指さした。
「これはどこにあったもの?」
そのガラス片はとても鋭利な形で、その存在だけでも悪意を感じるものだ。
「私の机の電話の、受話器に粘着テープで貼り付けられていました」
「うわー……予想以上に悪質だなぁ」
気づかずに受話器を耳に当てていたら。思い出して少し鳥肌が立った。悪戯にしてはタチが悪いが、何かの証拠になるかと思って捨てずにデスクの引き出しに仕舞い込んでいた。
「それじゃ……」
遥がガラス片に意識を集中すると、昨晩と同じように黒いモヤが現われた。今日は明るい室内だからくっきりと見える。結構気持ち悪い。そして黒いモヤを掴み取ると、三センチほどの角ばった結晶に変えてガラス片の前に置いた。
「このガラス、半年くらい前のもの?」
「いや、受話器に貼り付けられていたのは先週ですが」
遥の詠む力は、必ずしも正確ではないということなのだろうか。
「半年前からこんなネガティブな感情を込めるような何かが起きていた、ということなのかな……。物にこもった想いって、本来なら徐々に空気に溶け出しちゃうんだ。だから残った想いを結晶化させてもこんなに大きくはならない……引っかかるなぁ」
眉をひそめてそう語る。
「次は、これね。随分使い込まれてるから何かこもってるかな」
そのマウスは三日前、人事部の床に落ちていたものだ。落ちていた、というより正確には投げつけられて落ちたような場所にあった。ちょうど私の椅子の後ろに落ちていて、すぐ上のパーテーションに小さな凹みができていた。
「……これは怯えた感情が少しだけ」
取り出した結晶はとても小さかった。
この作業には集中力や体力が必要なのか、遥の額には汗が滲んで、少し顔色が悪くなっていた。昨晩は月明かりの下だったから気づかなかったが、昨晩も本当はこんな感じだったのだろうか。
「遥君、大丈夫ですか。少し休憩しませんか」
「すみません、お言葉に甘えるね」
すこし姿勢を崩してアイスコーヒーを口に運ぶ。
「はぁ、やっぱりしんどいな……。こういうネガティブな感情って」
ノートを広げて詠んだ内容を表にして書き込んでいる。ぜんぜん休んでないじゃないか。
「やっぱり、気分悪いですよね。……本当に申し訳ないです」
「あ! いえ、ごめんなさい! そこは気にしないで。報酬はこの結晶で十分足りるから」
遥がこの調査を申し出てくれた時に、報酬は一連の詠み取りの際に採れる結晶で良いということだった。私にとっては無価値だが、遥にとってはどれだけの価値があるのだろう。
「ね、俊郎さん」
「む?!」
「俺、この会社で働きたいです」
突然の少し大きめの声での発言に驚いたが、遥がそっと背後のドアを指さす。なるほど誰かの気配か。
「ちゃんと面接っぽいこと、聞こえるように話したほうがいいかなって」
ヒソヒソ声での提案に私も頷いた。もともと私の部署でのアシスタントとして潜入調査をしてもらうという依頼だが、今日は表向きは他の社員に怪しまれないようにするための面接を装っている。
「では、明日からでどうでしょう。すぐにでもアシスタントが欲しいと思っていました」
棒読みの台詞に遥が笑いをこらえる。
笑わないで欲しい。私は演技が下手なのだ……。
人事部には吉崎菜々子さんという女性が在籍していたが、三か月前から産前休暇中だ。急に体調を崩したこともあって、予定より早めの休暇届を出した。出産後に休暇を経て復帰するかどうかは本人の状況と体調次第。
今は人事と総務と庶務の全ての業務を私一人で賄うようになって残業時間も増えた。正社員の雇用も考えつつ、吉崎さんの復帰のこともあるから、アシスタントのアルバイトの求人を出してはいるものの、まったく応募がなかった。
「バイトだけど、スーツ着たほうがいい?」
「いや、社内の仕事なので今ぐらいのラフな格好で大丈夫ですよ。短パンとかサンダルはさすがにNGですが」
「了解です! あ、それから……天体や天気や暦のイベントによっては日中に外出するときがあるけど、良い?」
昨夜の満月のように、幻想錬金術師という本業のためだろう。
「タイムカードに外出時間を打刻してくれたら大丈夫です。明日詳しく説明しますよ」
昨晩は午前二時半くらいまで一緒にいたのだが、そんな時間に別の仕事があるといって解散となった。
そんな時間にどこに向かったのかは知る由もないのだが、考えてみれば「何か役に立てるかもしれない」という申し出を受けたものの、彼の詳しい素性は自称・幻想錬金術師ということ以外は一切わからない。その人柄を疑うわけではないが、確認と社内の記録として念のために――
「遥君、明日その……履歴書を持ってきてもらうのは可能ですか」
「あー。俺のこと何も分らないのはさすがに不安だよね」
遥はとても察しが良いようだ。まさか本当は人の心も詠めたりするのだろうか。
「じゃあ明日までに履歴書書いてくるね。あと、俺は帰ってから今詠んだものを整理して来るので、明日以降に色々調べさせて」
「わかりました。明日は始業前に打ち合わせしたいので、八時半くらいに来てください」
「了解!」
テーブルに広げたものを各々片づけて会議室のドアを開けたときに、遥が付近を調べる。
「……何か痕跡があるかと思ったんだけど、俺への興味だけが残ってた」
その表情はやれやれ、と言ったところだ。
「そんなことも分かるんですね」
「こういう場合は、ほんのり程度だけどね」
彼の外見は興味を持たない人間はいないだろうとさえ思うほどだ。会議室に来るまでの間も視線を集めていたし、遥自身も慣れっこなのだろう。
「何か分らないことがあったら、連絡ください」
「はい。俊郎さんも気づいたことがあったらいつでも教えてね」
「ありがとう」
エレベーター前で遥を見送って人事部のデスクに戻ると、饅頭と一緒にメモが置かれていた。
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