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「ようよう、そこの黒髪の姉ちゃん、オレと踊ろうぜ! キスしてもいいかい!」
侍女に興味を示しているのは赤毛の男だった。ヌメッと粘つくような視線に対して侍女は張り詰めてた顔つきで後ずさる。
迂回する道もなさそうだ。侍女は意を決して歩き出して通り過ぎようとすると、急に、その中の一人が、まるで怒ったように立ち上がり大声で訴えた。
「おい! 待てよ。オレは金髪のあんたに話があるんだよ」
セシリは、いきなり呼び止められてドキッとした。建物にもたれるようにして佇む十代後半の少年がいる。彼は、貴族の子息のように背が高くて脚がスラリと長い。どこか他の人とは違う独特の存在感があった。
誰だろう。前髪が鼻先を覆うほど伸びていて、顔がほとんど見えなかったけれど、その時、サーッと、細い路地を通り抜けるように強い風が吹いて、その目と鼻が露になった。
意志の強そうな鋭い目が印象的だった。黒髪と日焼けした肌は艶やかで、そのキリッとした鼻筋は孤独な野生動物を連想させる。なぜ、この人は自分に声をかけてくるのか、理解できないままキョトンとしていると、侍女がセシリの腕を引いた。
「お嬢様、早くここから立ち去りましょう」
張り詰めた侍女の声にハッとなる。なぜだか分からないが、ハンサムな若者は、今にも泣き出しそうな顔でこちらを見つめている。セシリは、何となく、相手に悪いことをしているような気持ちになっていた。しかし、セシリは歩き出す。
「お嬢様、さぁ、早く。ささっ、早く!」
まるで駆け足のような勢いで侍女は目的地へと突き進もうとする。強く握る手からは侍女の怯えが感じ取れた。
ビュッ。首筋を刺すような強い海風がセシリのビロードの赤いリボンと髪をたなびかせている。
この港には、毎年、冬になると季節風に乗って奴隷船がやってくる。奴隷貿易の中間地点なのだ。それらの大型帆船は、ここで修繕したり補給を行なうので、その間、宿や酒場は船員達で賑わう。
マクガーナの議員の一部は奴隷制度に反対している。その非人道的な振る舞いを恥だと街角で演説する知識人もいる。
この街の商店街の一角には奴隷を拘束する手枷や足枷を売る店がある。そして、港湾には、南方から届く砂糖などの農産物の交易で莫大な富を得ている商人達の会社が並んでいる。
最近、ココアというハイカラな飲み物が社交界を賑わせている。それには砂糖がたっぷりと入っていて甘い魅惑の飲料だ。
チョコレート。コーヒー。砂糖。綿花。藍。スパイス。椰子油。
南の島から送られてくる農作物は莫大な利益を生んでいる。
しかし、黒い肌の奴隷達が収穫を支えていることを世間知らずのセシリは知らない。
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