#1 不死者の吸血鬼

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#1 不死者の吸血鬼

 春の夜風はどうも風邪を引きそうでいけ好かない。ぬるいのに肌寒くて、おまけに乾いているものだから、埃っぽくてなんだか嫌だ。もっともそれは気分の問題かもしれないが──。  エドガー・デュバルは針葉樹の林間の道を歩いていた。その道は石畳で整備されており、どこかに通じていそうだった。満月から照らされる光が所々こぼれ落ち、足元を照らす。時々風が木々を揺らしてさわさわと音を立てる。  エドガーは常に孤独を感じていた。彼自体は明るく天満とした性格をしていたが、彼以外の他の家族は冷酷で気位が高く、あまり他の者たちと仲良くするような質ではなかった。古くから続く由緒正しき赤毛の吸血鬼一族として名を馳せていたから、そういうものかもしれない。とはいえ、自分の代ではかつての繁栄期のような権力はもうない。澄ましたって仕方がないじゃないか、と彼は思う。  彼は、自分が魔法学校の学生だった頃を思い出し、ため息をついた。彼が周りに馴染めなかったのは、家柄のせいだけではなく、上の二人の兄の存在もあった。彼らが色々と問題を起こしたお陰で、事情を知っている他の学生からは避けられ、数人を除いた教員からは睨まれることとなった。結局学校では気心の合う仲間なども出来ず、何の手応えもなしに卒業を迎えてしまった。  家族のことは嫌いではない。敬愛しているからこそ、期待や憎しみなどが混ざったよくわからない暗い感情が時々顔を覗かせてしまう。  少し、距離を取ろう。そう思った。  そして、彼は自身を外部から見つめ直すため、家族との物理的に距離を取るため、旅に出ることにした。  ──吸血鬼というのは、ふたつに分かれて存在している。ひとつは魔物の吸血鬼。吸血鬼として産まれ、そのうち子供として吸血鬼を産む。もうひとつは不死者の吸血鬼。もともとは人間で一回死んでから吸血鬼になった存在──  彼は恩師から耳にした『不死者の吸血鬼』に会いに行こうと思った。具体的な理由は彼にもよくわかっていない。しかし、さあ、旅に出ようというときに真っ先に思いついたのがそれだった。 「シュガータウン……」  古ぼけた木の看板。そこにははっきりとそう書かれていた。その先には灰色っぽい石造りの家屋が並んでいる。全体的に舗装されていて、整然とした印象を受ける。  ここに『不死者の吸血鬼』がいるのだと、どこか懐かしむように彼の恩師は独り言のように言っていた。彼はその記憶を反芻しながら、丘の家伝いに上へと視線を動かした。  丘の1番上の方にぽつんと、大きい屋敷の影が見える。いるのならきっとあそこだ、とエドガーは思った。無論そこに向かうべく、彼は石畳の道を歩いていった。 「これはすごいなぁ…!」  町へと足を踏み入れたエドガーは思わず感嘆の声をもらした。  町には店などが並び、一見すると、生者が住まう町のようにも見える。まだ早い時間なので少ないが、不死者たちがちらほらいる。支度を始める店が多く、もう開いている店も見受けられる。店は果物屋、パン屋、仕立て屋、雑貨屋、花屋……など様々で、まったく生者が住まう町に変わりがない。エドガーはポカンとして、辺りを見渡した。 「お兄さん、シュガータウンへようこそ。初めて来たんだろ。驚いてるもんねえ」  老婆らしき骨が、彼に声をかけた。 「ど、どうも、こんばんは。ええ、随分賑やかな町だと驚いております」  彼はいきなり声をかけられたことにびっくりしたが、普通に声をかけられたことに少し嬉しくなった。ついでだから色々聞いてみよう、そう思い老婆に質問した。 「なぜこんなにも生者が暮らしている町のようなのですか」 「ふふん、それはね、あそこ!」  そう言って老婆は丘の一番上の屋敷を指さした。 「あそこに住んでるミスのためにやってるのさ」 「ミス?」 「ま、もともとはね!今ではみんなやりたくてやってるんだ。物が手に入れば作って売りたくなるだろ」 「あそこに住んでいる方はミスと呼ばれているのですか」 「そうなんだよ!みんな生前の職業をね、死んでからもしてるのさ!あ、でも死んでから始めるやつもいるよ。例えば、パン屋なんかはそうだね。死ぬ前にやってみたかったのに、その前に死んじまったんだってさ!まあ、でも死んで後もやりたくない!ってのもいるね。あたしなんかそうだよ、あたしはね」  火がついたように話し始めた老婆に彼は慄いた。これでは聞きたいことを聞けない。無論余裕があったなら、彼女のお喋りに付き合ってもいいのだが、彼はこの町について知りたかったし、何よりもあの丘の上の屋敷に住む『不死者の吸血鬼』に会いにいかねばならない。  彼は老婆との会話(今となっては老婆が一方的に話している……)を切り上げて、もう丘の上の屋敷まで行くことにした。町についてはきっと屋敷の住人の方が詳しいだろう。 「では、僕はこれで。ご機嫌よう!」 「ああ、またね、お兄さん!」  思ったよりも老婆はすんなり離してくれたので、彼はほっとした。もし、それでも話し続けるようだったら少し困ってしまうところだった。いい人なんだろうな、と彼は思ったが、今老婆に付き合う余力はなかった……。  屋敷への道には、とくに店も民家もなく、針葉樹が風に揺れる音だけがしていて静かだ。丘なので緩やかな登り坂になっている。一歩一歩歩くごと、屋敷に近づくごと、エドガーは気分が高揚していくのを感じた。シュガータウンに足を踏み入れた時からそうだが、ここにはいろんな未知がある。彼はもちろんシュガータウンのことを知らなかったし、ここの住民もまた彼のことを知らない。そのことが彼にとって重要なことだった。  ここまで通ってきた町はどこでも誰でもデュバル家について知っていた。関わりがなさそうな町でも、尾鰭がついた噂が未だに蔓延っているらしく、畏怖された。父母や他の兄弟達のように気にせず、むしろ敬遠される方がいい彼らとは違って、エドガーはいろんな人と仲良くなってみたかったし、困っている人の手助けをしてみたかった。特徴的な赤毛はどこへ行っても目立つし、だからといって自分を偽るのは違うと思っていた。  その分、『不死者の吸血鬼』について彼に話した彼の恩師はそういうことに無頓着であった。もちろんデュバル家についてはよく知っていたし、もしかすると初代から関わりがあるかもしれない。当然、彼の恩師は彼に対して態度を変えることはなかった。それは、他の兄弟達に対してもそうだったが、「君はあのデュバル家らしくなくていいな」と彼の恩師は彼に言った。『らしくなくていい』、この言葉を未だにどう受け止めるべきかわからないでいる……。 「ついた……」  とうとうここまで来てしまった。目前にはやや錆の目立つシンプルな鉄の柵と門。特に施錠はされておらず半開きになっている。エドガーは門の扉を少し押した。軽く軋む音を立てて門は完全に開いた。  緊張と速くなった鼓動を感じながら、彼はまっすぐ屋敷の扉へ向かった。扉への道にはまだらに白い敷石が通っている。風化してボロボロになっていたり、かなり苔むしていたりしている。ふと横を見やれば、荒れ放題の庭があった。雑草が鬱々と生い茂り、芝生は所々もぐらによって掘り起こされている。生垣や樹木は手入れされておらず、伸びっぱなしになっている。  彼はすっかり不安になってしまった。こんなに人の手の入っていない庭を見たら、屋敷には誰もいないのではないかと思ったのである。しかし、あの老婆もこの屋敷を指差していたではないか、きっと『ミス』はいるに違いない!  門から玄関まで大した距離ではないので、数歩歩いたところで扉の目の前についた。エドガーは深呼吸をして、ドアノッカーに手をかけた。重く鈍い音が二回、響く。ああ、もう引き返すことは出来ない。 「はい、お待たせいたしました……、あら、どちらさまでしょうか?」  扉が開いて出てきたのは、陶磁器のような白い素肌に華奢で細い体……、骨だった。  まさか、彼女が『ミス』?いや、老婆が言っていた『ミス』とは恩師の言っていた『不死者の吸血鬼』と同じ人物だろう。故に骸骨であるわけはない。 「こ、こんばんは、はじめまして。僕はエドガー・……デュバルと申します。え、えと」 「まあ!どうぞ、中へ。どちらからいらしたの?まあまあ!お嬢様にご紹介しなくっちゃ!」  よく見ると、骸骨はメイド服を着ていた。彼女の言う『お嬢様』が『ミス』、つまり『不死者の吸血鬼』なのだろう。  中に入ると、薄暗く冷え冷えとした空間が広がっていた。屋敷そのものの装飾はあるものの、入口には大した家具はなく殺風景な光景が広がっている。照明はいくつかついておらず、そのことが薄暗さと寒々しさを演出している。エドガーは寒さを感じて身震いした。同時に寂しさを覚えた。あの賑わいのある丘の下の町からすると、ここは荒れている上になにもない。まるで忘れ去られているみたいだ。 「お客様は久しぶりだから、なにもお構いできなくてすみませんね……。少々ここでお待ちいただけますか?」 「ああ、いえ!いきなり押しかけたこちらが不躾です。では、ここで待っていますね」  一礼して骸骨メイドは左奥の部屋に入った。手持ち無沙汰になったエドガーは改めて、室内を見渡した。人の手の届きそうな所には埃ひとつないのに、簡単に手が届かないような高い位置にある照明などは埃がつもり、蜘蛛の巣が引っかかっている。そのことが妙にアンバランスで気になってしまった。差支えなさそうだったら後で聞いてみようかな、そう彼は思った。  軽い音がして、左奥の扉が開いた。しかし、出てきたのは骸骨メイドではなかった。 「貴方がエドガー・デュバル?こんなところへなにしにきたの」  扉から出てきてエドガーに話しかけたのは、少女だった。艶やかな黒髪に青白い肌、痩せ気味な身体に暗いフリルの服を身に纏っている。少女は特に瞳が印象的だった。左の瞳は沈んだ黒なのに対して、もう片方は血のような赤だった。その瞳をまっすぐ向けられたエドガーは、はっと息を飲んだ。冷たい物言い、異質な雰囲気、不自然な程赤い瞳──。そうか、彼女が……! 「不死者の吸血鬼……!」  エドガーのその言葉に彼女は嫌悪するように目を細めた。 「誰かから私のことを聞いたのね。物好きな人!」 「ああ!すみません、お気分を害したなら本当に申し訳ない。恩師に貴女のことを聞きました。それで……」 「のこのことこんなところまで?その恩師って誰なのよ」 「僕が学生の時一番尊敬していた先生なんです。シルバー・フェンリル先生。ご存知ではありませんか?」 「ええ、知っているわ。彼が私のことを誰かに言うなんて思いもしなかった!」  随分ご立腹のようだ。自分のことが知らない誰かに知られている、ということが嫌なのだろう。 「先生はあちこちに貴女のことを言いふらしたりしてないですよ……」 「ならいいけれど!でも貴方には私のことを話したんでしょう?どうしてかしらね」 「せ、先生は別に僕に話した訳じゃないかも。独り言みたいに言ってたので」  エドガーはどうにかして怒り心頭の少女を宥めようとした。彼女に嫌われてはこの町にいられないような気がしたし、なによりも彼女とちゃんと話がしたかった。 「まあ、もういいわ……。そんなことを聞いたってどうしようもないもの」  エドガーの焦りと裏腹に、少女はあっさり怒りを沈めた。と、いうよりも感情的になったのが、冷静に戻ったという感じだ。それよりも興味を持つことがあったからかもしれない。 「ところで、シルバーは教師をしているの?さっき貴方恩師とか先生だとか言っていたわね」 「ええ。僕が学校に入学した頃にはもういましたよ。まだ教師としているんじゃないかな……?」 「ふうん、先生だなんてぽくないけど。ああいう人が向いているのかしら」 「さあ……?でも僕は尊敬してますよ」  エドガーは自身の恩師と目の前の少女がなんとなく似ていると思った。容姿などではなく、身に纏う雰囲気、あっさりとした言い回し、どこか冷静で距離のある眼差し……。多分どこかに共通点があって、その共通点が恩師と彼女の縁なのだとも思った。 「貴女が、そう呼ばれるのがお嫌いなようですが……、『不死者の吸血鬼』?」  その言葉に少女は、はぁとため息をついた。 「ええ、きっとそういうんでしょうね。私はそうは思ってないけど」  彼女が口を開く度にちらつく尖った歯は、吸血鬼の特徴そのものだ。しかし、不死者であるかどうかは見た目だけではわからない。普通不死者は腐食していたり、骨だったり、はたまた肉体がなかったりするものだが、彼女にはそう言ったところがなにもない。エドガーは『不死者の吸血鬼』を見るのは初めてだ。むしろ大抵はそうだ。『不死者の吸血鬼』なんてほぼいないどころか、彼女が唯一かもしれない。 「私はもう死んでるの。死んでるのだから不死だなんておかしいわ」  少女はそうぽつりと言った。エドガーはその言葉にドキリとした。目の前に立って瞬きをし、物を話す少女が『もう死んでる』というのはなかなか信じられない事だった。他の普通の不死者だって死んでいるには違いないが、皆それを感じさせない程生き生きとしている。また、エドガー達のような魔物は大抵長寿である。故に『死』をあまり意識したことがなかった。少女の物言いにエドガーは、はっきりと『死』という物を目の当たりにしたような気がした。 「もう死んでる……」 「ええ、だからそう言われるのは不本意だわ」  『不死者の吸血鬼』の話題の時から目を逸らしていた少女がふいに彼と目を合わせた。 「貴方はどこから来たの?」 「えっ?ああ!僕ですか!?」  エドガーはいきなり自分の話題になって驚いた。 「僕は……、ここからずっと南の方のワスティシティから来ました。ここに来るまでいくつか町は通りましたが……」 「ワスティシティ……」 「ここはすごいですね!まるで生者が暮らすような町みたいだ!」 「そう……?私はこの町から出たことがないからよく分からないわ。ワスティシティから来たのね。聞いたことはあるわ。ええと、確か赤毛の吸血鬼一族が治めているのよね」  そう少女は言って、ちらとエドガーの髪を見た。彼は血の気がひいた。彼女もまたデュバル家のことは知っているらしいのだ。 「確かにそうですが……」 「貴方も一族のひとり?」 「はあ、そうです……」 「ふうん、そうなのね。そういえば貴方、どうしてここに来たの?」  エドガーは、家のことについて少女があっさり話すのをやめたので、拍子抜けしてしまった。どうやら彼女はそのことについて興味がないようだ。 「貴女に会いに、というのが一番の目的ですが……。と言うのも、旅にでようと思って最初に思いついたのがそれなんです」 「そう、シルバーは貴方になんて言ったのかしら」  彼女はまた目を逸らした。エドガーは彼女の目の先を追おうとしたがよく分からなかった。 「先生は特に何も。僕が勝手に興味を持っただけですよ」  少しだけ沈黙が訪れた。どこかの木が風で揺れる音がした。シャンデリアの灯りのうち、ひとつが数回点滅して消えてしまった。一段と薄暗くなってしまい、少女は小さく溜息をついた。 「……貴方は何故旅をしようと思ったの?」 「えっ……と、強いて言うなら自分探し……ですかね……」 「そう。この町はお気に召したのかしら」 「ええ、とても!いい町ですね、ここは」  エドガーはそう言ってから、自分はそこまで町を見物したわけではなかったなと思った。でも、第一印象がよかったのだし、間違えてないからいいかとも思った。 「ならいいのだけれど」  そう言って少女は黙ってしまった。もう話すことがないと言ったように、あたりはまた静かになってしまった。エドガーは自分の聞きたいことをすっかり忘れてしまって途方に暮れた。どうにかして、何か話題を作らねばいけない。なにかを切り出そう……、なにか……。エドガーは周りを見渡して思いついた。 「そうだ!ご迷惑でなければ、この屋敷の中を見て回ってもいいですか?」 「え、……まあ構わないわ。……ジョスリーヌ」 「はい!御用でしょうか!」  見た目に反して元気な声の骸骨メイドがひとり、扉から出てきた。 「彼に屋敷の中を案内してくれる?ぐるっとひとまわり」 「はーい、わかりましたぁ!ではこちらにどうぞ、お客様!」  メイドに向いてた少女の目がエドガーに向かった。 「案内されたところ以外は入らないで。見て周って満足したら、そのまま出て行っていいわ」  エドガーは彼女の物言いにちょっぴり傷付いた。言い方が冷たくて突き放しているような気がしたからだ。それに、もしかすると彼女が屋敷を案内してくれるかもしれないと思ったし、そうだといいなとも思った。しかし、よく考えなくても、いきなり自分を訪ねてきた見ず知らずの人なんて、警戒すべき対象だ。すなわち彼女の態度は当然で、むしろ親切なものだなと彼は自分に言い聞かせた。 「ありがとうございます、ではまた会えたら!」 「ええと、どちらからご案内しましょうか……。じゃあ、こちらから!」  骸骨メイドは右の方から案内を始めた。応接間や、ややこじんまりとした書斎、ビリヤードルーム、ピアノだけが置いてある部屋……、一階をひと回りしたところで、エドガーは広間で感じた違和感についてメイドに尋ねようと思った。案内されたどの部屋も広間と同じく、手の届く範囲は完璧に掃除されているのだが、少し高い位置にある額縁やランプなどには埃がつもっていたし、時計は完全に止まっていた。また、いくつか照明が付いておらず、ずっとそのままにしてあるようだ。 「あの……、こんなことを聞くのは不躾なのですが……。とても片付いている印象はあるのですが、あの辺りとかそうでもないというか……」  エドガーは聞いた瞬間すぐに後悔した。あんまりにも失礼すぎたなと思った。 「ああ……、どうしても私らだけでは難しくてですね……。なにぶんこの体では、高いところから落ちたら大変なのですよ」  メイドは困ったように笑いながら言った──かどうかは分からなかった。骨だけではまったく表情が分からない。 「ああ、なるほど……。そうですよね」 「私らが高いとこから落ちたら粉々になってしまいますわ!誰か手伝ってくれると良いのですが……。まさかセネヴィル様に頼むわけにもいきませんし……」  それでエドガーはふと思いついた。ならば自分が手伝えばいいのでは?と。これをどう切り出せばいいか、エドガーは考えることになった……。  屋敷をあらかた見終わって、階下に降りようと言うとことでエドガーはふとある部屋のドアで立ち止まった。  そのドアは板で打ち付けられており、簡単には開けないようになっていた。異質さからなんとなく禍々しさすら感じる。エドガーはドアに打ち付けられた板をそっと触った。 「ええと、デュバル様?そちらの部屋はいけません」  ドアの異質さに惹き付けられていたエドガーはメイドの声掛けにひどく驚いた。 「あ!ああ……、すみません。なんだか変、な気がして」 「その部屋のことは私も詳しいことは存じ上げないんです。私がこの家に入って来た時からこうでしたし、聞いてみても絶対に入るなと。それだけですわ」 「そう……なんですね」  エドガーはそれ以上気にするのをやめた。知る術はないだろうし、もし知ったとて自分にはなんの因縁もない。気にする事は不利益で、この家の主人の機嫌を損ねることだ、と思った。 「それでは……、これで屋敷一周完了です」 「……案内ありがとうございました」  随分名残惜しい感じがした。そもそも案内された部屋が少ないな、とも感じた。その数少ない案内された部屋もみな全て寒々しくハリボテのように思えた。 「そうだ、お嬢さん……は、ああは言っていましたが、やはり最後に挨拶がしたいです。いいですかね……?」 「ええ!もちろんですわ。お嬢様はまだ食堂にいるはずです。そのまま会いに行きましょう」 「失礼します、お嬢様、お客様がお帰りになられるようです」 「そのまま出ていいって言ったのに……」  少し不屈そうな声が聞こえる。エドガーは開けられた扉から顔を覗かせた。 「申し訳ありません。やはりご挨拶を、と思いまして」  そう声をかけると、エドガーは不屈そうな声の主の他にもう1人少女がいることに気がつき、目を見張った。その少女はエドガーをちらと見ると、お客がいたんですね、と小さく呟いた。 「ああ……、えっと、そちらの方は……」  もう1人の少女は家主の少女と同じような黒髪だったが、さらりとしたストレートを肩口で切り揃えている。瞳はアメジストのように煌めいていた。 「キキーモラのノエラです。この屋敷に住んでいるんです」  ノエラと名乗った少女はエドガーをじっと見ながら応えた。エドガーは彼女の目力に圧倒されつつも、ある一つのことに驚きを禁じ得なかった。 「キキーモラ!?……すみません、僕が知っているキキーモラとはだいぶ印象が違うもので……」  彼が知っているキキーモラとは、嘴があり、鶏の足を持った痩せこけた老婆の姿をしていた。デュバル家の屋根裏にも住み着いており、昔々に屋敷を建てた際に、大工の怨みによる呪いの存在だ。老婆のキキーモラはエドガーが産まれる前からずっといて、存在は数回しか見たことがない。たまに屋根裏から軽い足音が聞こえたり、機織りの音が聞こえたりするが、特に無害だった。(昔は一悶着あったらしい) 「貴方の知っているキキーモラって老婆の姿をしている方?」 「ええ……」 「ふーん、貴方のお家、怨みを買ってるんですね」 「はは…………」  エドガーはノエラの問いかけに苦笑いしか出来なかった。怨みを買うような家系にあるという告白をしてしまった。 「ねえ!ワスティシティから来たって聞きましたけど、どんな所なんですか?」  ノエラはその力強い瞳を一段と輝かせて、質問をした。もう一人が「ノエラ……」と低く呟いたが、それでは彼女の好奇心を抑えることは出来ないようだ。 「ここからずっと南の方の街で、えーと、乾いていてここよりも暑いところかな」 「砂漠があるって本当ですか?」 「砂漠?砂漠はもっと南の方なんだ。三つ隣の街くらいにあるよ」  ふーん、とノエラの目の輝きが失われていった。どうやら砂漠に興味があっただけで、その他はどうでもよかったらしい。他に聞いてくることがないらしく、エドガーは軽く落胆したが、自身が彼女に対して砕けた口調になっていることに気がついた。好奇心からものを聞いてくる様子に自分の妹を重ねたからかも知れない。そう考えると、二人の少女は妹とそれほど変わらない見かけをしていた。幼さの残る少女二人と数人の骸骨メイド……。シュガータウンは治安が良さそうだが、なんとも頼りなさげで不安に感じた。  なんとも名残惜しいが、自分にはどうすることは出来ないとエドガーはそろそろお暇することにした。 「ああー!雨が降ってきましたよお!」  先程、屋敷を案内してくれたメイド(ジョスリーヌと言ったか)が、大きな声で告げた。 「どおりで冷え込むはずだわ。……結構降ってきたのね」  家主の少女は、椅子から立ち上がり窓の方へ向かった。軽い雨音が段々と激しいものに変わっていく。これで外に出るのは……、エドガーは困惑した。無理を言って雨が止むまで居させてもらおうか? 「すぐには止まなそうね。……エドガー・デュバル」 「は、はい!」  少女が自分の名前を呼んで驚いた。まさかこのまま出て行けというのだろうか。 「こんな雨だもの、仕方がないから泊まっていっていいわ」  声色と口調に不本意ながら、というニュアンスが詰まっていたが、寛大にも彼女は滞在を許可した。 「ありがとう……!ございます!」  少女はジョスリーヌに客間を案内するように言うと、ノエラと共にどこかへ行った。エドガーは、メイドと案内された客間へ向かう途中、足止めとなったこの雨に若干の感謝を覚えた。それと同時に直感的なものではあるが、もう少し長くここに滞在するような予感がした。自分がこの館の住民に何かできることがある、とも思った。その考えは随分埃っぽい客間に通されて、ますます強まった。いや、何かしなければ……。  にわかに窓の外が光る。そこから遅れて雷鳴が聞こえた。春の嵐だ。  季節はまだまだ始まったばかりである。
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