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三ヵ月ほども前のことだ。
気づくと、夕焼けが、窓から見える空全体を覆っていた。
引っ越しの荷造り作業の手を止めて、窓の外をしばしぼんやりと見つめる。空の朱が、少しずつ色褪せて刻々と闇に変わって行く様が、胸を締め付ける。
きつい、本当に。
自分なりに精一杯やったつもりだったのだ。それが、世間には認められなかっただけ。でも、やはりどこかで全力を尽くさず、手加減していた部分があったのだろうか。それとも所詮、自分の努力など、世間には通用しないのだろうか。
異動命令。事実上の退職勧告。逆らえなかった。戦う気力は残っていなかった。社宅からも追われた。
離婚経験もある。もう何年前になるか分からないほど以前に。元妻は、気の強い――よく言えば、正義感の強い女だった。今年高校生になったはずの娘とも、連絡は取っていない。約束の養育費も、支払いが滞りがちだ。
仕事も結婚も、失敗した。職場でも家庭でも、不適合者の判定を受けた自分。もはや生きている意味がない。いや、生きている資格がない、とすら思われる。人間でいる資格がない。
テーブルの上に、同窓会の案内ハガキ。実家から封筒に入れて郵送されてきたものを、テーブルの上に置いたまま忘れていた。
学生時代は良かった。自分にだって、人並みに将来の可能性があると思っていた。
あの頃、自分と同じように何者でもなかった友人・知人が、今やひとかどの偉い様になって活躍している話など、誰が聞きたいものか。
どこか、遠くへ行きたい。知っている人間が誰もいない場所へ。二度と帰って来られない場所へ。いや、二度と帰って来なくてもいい場所へ――。
陽は落ち、世界を染める基調色はオレンジからグレーに変わりつつあった。私は、部屋の灯りを点け、煙草に火をつけた。
こんな状況でもやはり、日常は流れて行く。
夕食の支度をしなきゃな、今夜は何にしようか、などと、誰も食べてくれる人がいるわけでもないのに、ぼんやりと考えを巡らせながら、煙草をくゆらせ続ける。
と、そこへけたたましく鳴り始めた携帯の音。文字通り、暮れなずむ世界の闇を切り裂くように。心臓が鷲掴みにされた。
「よお。元気か?」
耳元に響いたのは、少し懐かしい気がする声。
名乗りもしない。着信のディスプレイを見れば相手が誰であるか分かるのだが、その時の自分は、そんなことにも気が回っていなかった。たっぷり五秒ほどの沈黙の後、ようやく声の正体に思い至った。ここ数年連絡を取っていなかった、学生時代の友人。
「ああ…。」
「何だよ、シケた声出して。俺のこと誰だか分からなかったんだろう?」
「いや、ああ、久しぶりだな。」
「まあいいや。なあ、お前、行くだろ?」
「? …何?」
「何って、ハガキ、来てないか?」
ああ、同窓会。
その瞬間、やるせなさに心臓が押し潰されそうになった。
***
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