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学校での節夫は、一言で言うならば存在感のない子であった。嫌われてはいない。というより、嫌われてすらいない。学友たちの中における彼の存在は、いわば半透明だった。
何か発言をしても、その多くは誰の注意も引かない。そもそも発言していることに気づかれないことが多かった。
一方で、学級の中心的位置にいる者たちから、軽いからかいを受けることもあった。
彼の心には、自分自身に対する、ひいては物事すべてに対する諦観が、薄く、しかし確実に積もっていた。
「おはよう!」
「おはよう!」
皆がそれぞれに声をかけ合う中、節夫も、誰にというわけでもなく、おはようと声を出しながら、自分の席へと向かっていた。節夫の目を見て挨拶を返してくる者は、いない。いつものことだ。
そこへ珍しく、学友の一人が、はっきりと節夫に向けて話しかけてきた。
「よう、節夫。」
「何?」
節夫は少しいぶかりながらも、努めて何気ないふうに返事をする。
「おまえ、昨日の帰りに、おケラ様の祠の前に、一時間もぼーっとつっ立ってたんだってな?」
「い、いや。そんなこと──」
「嘘言うなよな! 見てたやつがいるんだ。」
節夫は一時間も佇んだりしていない。それに、見てたやつって──そいつも一時間もの間、そこで見続けていたのだろうか。
しかし彼はただ、
「知らない。」
とだけ言った。
それは単純に、心当たりがない、というだけの意味だったが、言葉足らずの節夫の返答は微妙に違ったニュアンスで受け取られ、学友を苛立たせたようであった。
「知らない、って何だよ? とぼけやがって。お前のせいで迷惑してるやつがいるんだよ!」
人が祠の前に立っていることで、誰がどう迷惑するのだろうか。そんな疑問が一瞬頭をよぎるが、もちろん口に出したりはしない。
口を開けて無言で立ちすくむ節夫の胸を、学友の手が軽く突いた。それはほんの軽い一突きであったが、節夫はその拍子にバランスを崩し、自席の横の隙間に尻もちをついた。
思ったよりも大きな音がして、ちょうど入室してきた大野先生が、はっとしてこちらを見た。
「どうした? 誰か寝ぼけて、椅子のないところに腰を下ろそうとしたか?」
あははは!
教室に響き渡る笑い声。先生は、節夫の名を呼びもしない。人間扱いに満たない。が、節夫の乾いた諦めの念は、もはや何も感じない程に彼を鈍化させ、それによって彼は強い苦痛を感じることを免れている。
その時。
……ど、…ばどん、がが…ど…ばどん…
遠くから、微かな祭囃しにも似た音が。一定の拍子に乗って。
それはだが、ほんの数秒で、節夫の耳元から去って行った。
節夫は、その音をはっきりと訝しむこともないまま、すぐにそれを忘れた。
***
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