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「主役はお前だ、ジェシカ」
その言葉に、ジェシカは震えた。
「最近いい顔するようになったな。期待してる」
演出家兼リーダーであるライルがにっと笑う。
ジェシカはひとつ息を吐くと、まるで高貴な身分の女性のような、優美な礼をしてみせる。艶やかな栗色の髪がさらりと肩を撫でた。
「ありがとうございます」
にっこり笑って、もう一言。
「がんばります!」
オーディションの結果発表の後はその場で解散となった。仲間の祝福の言葉に感謝を伝えつつ、ジェシカは稽古場を出た。
芸術の都、シェトルヴィエル。
ジェシカはここで人気の歌劇団に所属する女優だ。入団して2年。これまで落ち続けてきた主演のオーディションに今日、合格した。
通行人や大人数での合唱、台詞があっても一言二言の端役しか演じて来なかったジェシカが今回主役に抜擢されたのは、若手限定オーディションだったという理由が大きい。今回は新人たちの演技を見てもらおうという、なんとも思いやりのある企画なのである。
小さなホールでの公演だが、それでも何人もいる中から選ばれた。誇っていい。自信をもつところだ。しかし。
「胃が……」
ジェシカはなかなか小心者だった。
夢の主演女優の座を勝ち取ったというのに、喜びと恐れが半々といったところだ。さっきだって、どちらかと言えば心よりも足の方が震えていた。
情けない自分にため息をつきかけたその時、視界の端を何かが掠めた。
猫だ。
軽やかな足取りでジェシカを抜き去った灰色の猫は、ふわりとその足を止めた。
そして丸い顔をこちらに向けたかと思うと、すぐに角を曲がって行ってしまった。
ここには猫好きが多い。代々の領主が猫好
きだったとか、もっと昔は猫が守り神とされていたとか。色々な噂があるが、真偽のほどはわからない。
ジェシカも猫が好きだ。それに、あの灰色の猫には見覚えもあった。
行き先を変更し、ジェシカも角を曲がった。
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