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第二話
任命式から数日が経った。
マークは自室の机で日記を書いていた。昔から習慣で書いていたが、ここ最近、ルウと出会ってからは書く量が各段に増えてしまい、日記帳があっという間に埋まってしまう。
今度の休日に城下町の雑貨屋に行かなければならないなと考えながら、マークは日記帳にペンを走らせる。
「えっと、アグリスト暦一六五七年、春の三月(さんのつき)十八日、今日はルウ様が女性禁制塔にお入りになられてしまい、大変でした。」
・・・・・・・・・・・
まだ夜の宵が残る暁前、マークは自然に目が覚めた。
昨晩は夜遅くまで起きていたのにも拘らず、習慣とは便利なものである。
「ふあ~~」
腕を伸ばして伸びをすると、その声に気がついたのか、同室の友人も目が覚めたようで声を掛けてきた。
「ん、あれ? もう朝?」
「ああ、一応ね」
友人は寝ぼけまなこだったが、ベッドから降りると部屋の中央にあるカーテンを少し開けて窓の外を見た。
外はまだ暗いけれども、山の向こうから薄日が差している。後、三十分もしない内に、星や月が姿を消して、太陽が山から顔を出すだろう。
友人はカーテンを閉め直して、ベットの上で胡坐を掻き欠伸と伸びをした。
寝癖だらけの栗色の髪に、まだ閉じている瞳は木々の幹を思い出させるような焦げ茶色をしている。支給された寝巻は白地に青縞の入っている少しダサめなものだが、気に入らない場合は自身で新しく買ってもいいし実家から持って来たものを着てもいいと言われている。
貧乏性な友人と、諸事情で家から持って来ることができないマークは、軍から支給された寝巻を愛用していた。
友人がまだ夢現でぼんやりとしている間に、マークは寝巻きから制服に着替えを始めた。見習いの着る蒼の制服ではなく、正式の黒い制服だ。
友人はようやく開け始めた目でマークの制服を見ては頬杖をついた。
「いいよな~。マークは」
「は?」
「だってさ、見習いすっ飛ばして、隊員の一員になっちまうんだぜ」
友人は両手を後頭部に当てて、体を斜めにした。マークは肩を竦めてから、上着に袖を通す。
「あまり良いものじゃないよ」
「そうか? でも史上初十五歳での就任だぜ。俺的には羨ましい限りだぜ」
「なら、交代するかい? 王の許可も貰ってあるよ」
「う~ん、提案はありがたいが止めとくは。俺は騎士になりたいからな。王族だけじゃあなく、民の全てを守りたいからパスだ」
今日までで、十六人目の交代拒否だった。
親衛隊になった当日は、やはり先輩や同僚たちからの批判がすごかったのだが、隊長の「交代したければするが良い。ただし、ルウリアナ様の世話係も含まれているのだがな」と言う言葉で、交代したい人は0になった。
正直、マークも覚悟はしていた。覚悟はしていたが想像以上だった。相手の機嫌を損なわないように且つ、無礼のない様に振舞わなくてはいけないと言うことの上に、親衛隊の訓練も入ってくる。
正直、ここまで精神的に重労働なことだったとは思っていなかった。
先日も、ルウに水遊びをしようと言われて、城の頂上からホースで水を頭からかけられた上に、城を濡らしたということで、マークは全ての屋根の掃除をさせられた。
実はそのせいで、本日の就寝が遅くなったのである。
マークは自然とため息をついた。
(今日はどんないたずらをさせられるのだろう)
思っただけで気が滅入る。親衛隊になる前までは、日々、勉強と訓練に勤しみ、入隊後は厳しい訓練の中、懸命に頑張る自分を想像しては、気合を入れていたのだが、今となっては遠い昔の幻想だ。
今ではルウに振り回されないようにするにはどうすればいいのかばかり、考えてしまう。
「そろそろ、君も着替えた方がいいのではないかい?」
「ん、そうだな。でも、なんで親衛隊は見習いでも制服があるのに、騎士にはないんだろう。これって、絶対に不公平だと思うわ」
「いや、僕に言われても……」
軽口を叩き合っていると、ふいに扉が叩かれる音がした。
ーーーコンコンコンコン。
「ん? 誰かきたぞ」
「こんな朝早くに、誰だろう」
ーーーコココココココココココココココ。
連続で叩かれる音に、マークは嫌な予感がした。そんなマークにお構い無しに、友人は扉を開ける。
「誰ですか~?」
友人は扉を開け放つが、誰もいない。
廊下に出て、左右を見回すが、人っ子一人いない。暗い回廊が続くだけだ。友人は首を傾げて、扉を閉めてから振り返る。
「誰もいなかったぜ」
マークは目を閉じてホッと、息を零してから友人を見た。その瞬間、絶句した。
「? どうしたんだよ」
「…………」
マークは床に膝をついて項垂れた。その様子に、友人は困惑しつつもマークに近づいた。
「おい、マー……」
「マーク! おっはよー」
「! うおおっ。姫様、いつの間に!」
友人は真後ろについていたルウに驚き、横に飛んでベットの上に逃げた。
「何よ、人を化け物みたいに言わないでくれる。扉の裏に張り付いていて、扉が閉まる瞬間に中に入っただけじゃない」
腕を組んで怒るルウに、マークは体を起こして、ツカツカとルウの目の前に立つ。
「それ以前に、ここは女性禁制塔です! ルウ様は女性ですから、入ってはいけない塔なのです!」
「きんせー?」
「……女の子は入っちゃいけない塔って事ですよ」
「そうだったんだー」
ルウは感心したように言った。確かにまだ八歳の少女に禁制と言う言葉は難しかったかもしれない。
マークは制服の胸ポケットから、小型の手帳を出して細い木炭で書き込みを入れる。その手帳はルウ専用の教育手帳である。
ちなみにこの国は森に囲まれているため、繊維資源は多く取れるのだが、鉄類はほとんど取れないので、鉛筆の元となる黒鉛が皆無に等しかった。一般の人は高価な鉛筆ではなく、紙で巻かれた細い木炭を主流に使っている。
ルウの教育は王族としての生き方だけではなく、一般常識の教養も身につけなければならない。それを教えるのは、親衛隊の試験を主席で合格したマークの仕事である。
書き終わると、手帳を閉じて胸ポケットに戻し、またルウを見下ろした。
ルウはマークと目が合うと、笑顔になって早口で言った。
「あのね、あのね。すぐにでもマークに見せたいものがあったの」
両手を後ろにして飛び跳ねるルウに、友人はベットの上から身を乗り出した。
「へえ、何々? 俺にも見せてくださいよ」
「嫌~。でも、マークに見せてからなら良いよ」
マークは床に肩膝をつけて、ルウと目線を合わせた。
「何ですか?」
「これー」
ルウは小瓶に入った葉っぱをマークの目の前に出した。
「これは……」
「朝露だよ。朝露を飲むと良いことがあるって、マークが言ってたから持ってきたの。ちゃんと、庭師の人にお願いしたよ」
嬉々としているルウに、マークは微笑みを浮かべてルウの頭を撫でる。
「ありがとうございます」
「えへへ。じゃあ、これはマークにあげるね」
「え? ルウ様が飲むのでは」
「あたしはもう、飲んだからいいの。これはマークの分だよ」
ルウはマークに小瓶を押し付けて、扉の方へ走る。
「ルウ様!」
「ちゃんと飲んでね」
マークの呼びかけを無視して、ルウはにっこりと笑い、扉の向こうへ去ってしまった。
唖然としたまま、マークは手に残った小瓶の中を見る。
青々とした葉っぱの先端に、朝露が光を中に閉じ込めて輝く。
友人はマークの肩越しに立ち、小瓶の中を見る。
「良い子じゃん」
「ああ」
「朝露、綺麗だな」
「ああ」
生返事を続けるマークに、友人は口端を上げて笑い顔を作っていた。
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
「そのとき、貰った朝露は、飲まずに取っておいている。私にとってのいいことは……、だめだな。消そう」
「どうして? そこまで書いたら続きが気になるだろ」
「!」
振り返ると、友人が立っていた。濡れた髪から水滴を滴らせて、肩なしのシャツの上にあるタオルで頭を拭いている。下は虎の絵が描かれたパンツ一丁だ。
「……寝巻きくらい着ろって」
「いいじゃん。二人だけなんだし、パンツ一丁は止めたんだからさ」
「よくない、風邪を引いたらどうするんだ」
「はっは~ん。さてはお前、俺のことを心配しているな」
「悪いか?」
即答されて、友人はヒュッと息を飲み込み、深々とため息を吐きながら肩を落とした。
「ふつう、そこは否定するだろう」
「? どうしてだ」
本当に分からない。
首を傾げるマークに、友人は再びため息を吐いた。
「お前って、本当にピュアなんだな。どうして王様がお前に姫様を託したのかなんとなく分かってきた」
「! どうしてだ」
マークは声を荒げて椅子から立ち上がり、友人に詰め寄る。
親衛隊見習いの儀式からずっと気になっていたことの一つである。なぜ、王は得体の知れないマークに、最愛なる娘の一人を預けることにしたのか。
いくら、ルウが破天荒な姫だからといって、そう簡単に他人に面倒を見せるだろうか。普通は専門家に任せるべきだろう。
厳しい目で見るマークを、友人は両肩を抑えて椅子に座り直させる。
「落ち着けって、俺の考えが正しいってことも分からないんだぜ?」
「そう、だな」
胸に拳を当てて、息を吸っては吐いて呼吸を整える。
マークが落ち着いたと判断した友人は、説明を始めた。
「いいか、今まで何十人もの人間が姫様の世話係をしてきたが長続きはしなかった。そうだろ?」
マークは静かに頷く。
「それは、硬い考えの人間が、ルウ様の柔軟な考えについていけなかったんだと俺は思う。あの儀式の日、姫様とお前の会話で、王様はきっとこう思ったはずだ。″おお、なんて柔軟な考えの持ち主だ。この者に任せておけばわしも安心じゃ ″ってな」
身振り手振りで王様の真似をする友人に、マークは挙手した。
「いや、僕とルウ様の会話は挨拶程度のもので、あまり柔軟でもなかった気がする……」
最初は、ルウの言うことを聞かずに困惑していたし、もし柔軟な考えを持つ人間なら、きっとあそこでルウと握手をしただろう。
「んじゃあ、何なんだろうな。俺にはわかんねぇ」
降参する意味で、友人は両手を挙げて、ベットに仰向けに倒れる。
マークは机に向き直って、細い木炭を取り書き加える。
「国王陛下がどのようなお考えがあったとしても、私は私に与えられた仕事を果たそうと考えた。どんなに辛くても、途中で投げ出さないことをここに誓う」
マークはノートを閉じて、鍵つきの引き出しの中に入れる。本来ここには貴重品を入れるためのところだが、マークは日記をしまうスペースとして使っている。
この引き出しが作られたのは、別の部屋の人間が同室の人の持ち物を、盗んだ事件が以前あったせいだ。だが、マークの同室の友人がそんなセコイ真似をしないと分かっているし、友人もそう思っていたので、貴重品は入れていない。
「電気を消すぞ」
「ああ」
鍵をして、机の上に置くと、マークは扉を正面として、右側のベットに座った。
それを見た友人はランプの火を吹き消した。
「じゃあ、また明日な」
「ああ、明日が良い日でありますように」
マークは横になり、目を閉じる。
今日の疲れがベットに流れ出る感じがした。柔らかい枕に、頬を沈めて、マークは夢世界へと旅立った。
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