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呪物取締課と呪いの箱
ずっと、何となくで生きてきた。
皆がそうしているから、何となく進学した。民間は向かないと言われたから、何となく公務員を目指した。内定をもらったから何となく承諾した。目標も無いのに努力を強いられる日々は、呪いのように僕の人生を蝕んで、夢や希望とは無縁のつまらないものにしてしまった。
平凡なのは良いことだ。だけど周りに合わせるだけの生き方は、ときどき胸の奥を掻き回されるようなもどかしさに襲われる――それも、今日で終わりだ。
福岡県北九州市、門司港。
二ヶ月間の新人研修を終え、はるばる九州に戻ってきた僕は、潮風を胸一杯に吸い込んで、大正時代の面影を残す古い駅舎に降り立った。
僕はこれからこの街で働く。貿易と社会の守り手『税関職員』として。
初夏の朝日の下、鉄道記念館、門司三井倶楽部、海峡プラザと、『門司港レトロ』と呼ばれる洋風の町並みを歩いていけば、やがて港の入り口に、レンガ造りの大きな建物が見えてくる。門司税関の旧庁舎だ。
入り口の前で胸に手を当てれば、緊張で心臓が早鐘のように鳴っていた。
さて。
いきなりだけど、問題が発生している。
「え……本当にここ?」
僕だけ集合場所が違うのだ。
旧庁舎はあくまで旧庁舎。観光地である。現在の税関は離れた場所にあって、同期は全員そっちに集まるらしい。こっちには何もない。
けれどメールを見直しても、指定された住所はたしかに旧庁舎のそれ。
間違いだと思って問い合わせたけど、返信は正しいの一点張りで、理由さえ教えてくれなかった。
何だよもう……まだ初日なのにさ……。
「……とりあえず入るか」
ボーッとしてても仕方ないので、動くことにする。
「失礼しまーす」
おそるおそる扉を開ける。レンガの壁と木の床が融合したレトロな造り。受付には誰もいない。門司港レトロのパンフレットが無造作に置かれている。奥も覗いてみたけど、人の気配は皆無。税関の展示コーナーがあるだけだった。
腕時計の針は、九時前を指している。
冷や汗が出て来た。何かの手違いで、本当は本庁舎に集合だったんじゃないだろうか。だとすれば、急いで走っても間に合わない。社会人としてちゃんとしないといけないのに……。
ここはもう、間違ってない可能性に賭けよう。来させたからには、誰かがいるはずだ。
そう思った僕が辺りを見回したとき、背後からハスキーな声がした。
「阿世知海斗か?」
振り返る。
背の高い女性が立っていた。年齢は二十代後半だろうか。豊かな黒髪と武人のように凜々しい顔立ちが目を引く。女性にしては体格がしっかりしていて、男物のワイシャツがよく似合っていた。
めっちゃ美人だ……。
「君が阿世知海斗か、と聞いている」
女性がもう一度僕の名前を呼んだ。僕は慌てて頭を下げる。
「は、はい。阿世知です。あなたは……」
「北条薫子だ。門司税関、呪物取締課に所属している」
眉間にシワを寄せた仏頂面で、北条薫子と名乗った女性が答えた。ちょっと怖そうな感じだけど、集合場所は正しかったみたいで、僕はひとまず胸を撫で降ろす。……ん、ジュブツトリシマリカ? そんな部署あったっけ。
まあいいか。
「君が新人だな」
「今日からお世話になります。よろしくお願いします!」
「オフィスに案内しよう。こちらへ」
北条さんが歩いて行く。僕も急いで後を追った。
エレベーターに案内される。北条さんが操作盤に手を伸ばした。ガコン、という駆動音。僕たちを乗せた箱が、奇妙なことに下へと降りて行く。
「あの」
「どうした」
「この建物に地下なんてありましたっけ……」
旧庁舎には、子供のころに一度だけ来た。地下はなかったはずだ。
「無いことになっているな」
「え? それってどういう」
「すぐにわかる、阿世知くん」
北条さんの意味深な答えに、僕は首を傾げた。
エレベーターの扉が開く。その先に広がっていたのは、ありきたりなオフィスの光景だった。奥に男性が一人いる。北条さんに促され、僕は足を踏み出した。
男の人が立ち上がって近付いてくる。中性的な美形。年齢は三十歳くらいだろうか。長髪を後ろで結い、首から勾玉を下げている。手には錫杖。先端に付いた鉄の輪が、歩く度に擦れてジャラジャラと賑やかで……インチキ霊媒師みたいだ。
たじろぐ僕の手を取って、男の人が目を細める。バニラの匂いがふんわりと漂ってきた。
「グッモーニン!」
声が大きい。
「お、おはようございます」
「おはようございます阿世知くん、そしてはじめまして。ワタクシ、課長の平と申します。課長なのに平、と覚えてくださいね」
そう言ってウインクをしてみせる。持ちネタだろうか。生憎、今の僕には笑う余裕がなかった。
反応に困った僕が意味も無く頷くと、平なのに課長な平課長は、へこんだ素振りもなく握手を求めてきた。
それに応じつつ、僕は考える。
黒髮の北条さん然り、テンションの高い課長然り、僕の名前を知っているということは、僕はこれからここで働くんだろう。歓迎はされてるみたいだし、変に構えなくて大丈夫かもしれない。
気になるのは一つだけ。
「すいません」
「なんでしょう?」
「ここはどういう部署ですか?」
それがまったくわからない。北条さんは呪物とか言ってたけど、聞き間違いだろう。無難に広報課辺りだろうか。観光地に近いと便利そうだし。
北条さんと平課長が顔を見合わせた。
「どこから話しますか、北条くん」
「そりゃ最初からでしょう」
「お願いします」
「私ですか?」
「あなたの後輩ですよ」
ポンと北条さんの肩を叩いて、課長はデスクに戻っていった。僕が北条さんを見ると、彼女は仕方ないなとでも言いたげに肩を竦めた。
「ふむ、そうだな」
腕を組んで瞑目する。武人の風格が消え、令嬢のような儚げなオーラが滲み出てきた。長い睫毛がそうさせているんだろう。
モデルと間違えそうだ。男としては仲良くなりたい。
「君は呪いを信じるか?」
「はい?」
宗教の勧誘みたいな質問がきた。僕の中で芽生えた儚げな印象は、それだけで瞬時に吹き飛んだ。
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