第1章 四十里野の小夜

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 小夜がこがね丸に乗って、林の中に野犬がいないか捜索していると、林の陰で20代くらいの3人の若い男性が、連れだってウロウロと歩き回っているところに出くわした。  この付近には、もしかしたら野犬が潜んでいるかもしれない。  小夜は、この男性たちにちょっと危険が迫っているかもしれないと思い、心配になった。  小夜はこがね丸に騎乗しているから比較的安全だが、そのまま林でウロウロしている人は、もし仮に野犬が襲い掛かって来でもしたら、怪我してしまうかもしれない。 「あのー!すみませーん!」  小夜が、こがね丸の鞍上から声をかけた。  四十里野の安全を守るのが、牧士の代行者の仕事でもある。  声をかけられた男性たちは、小夜の声に気づき、振り向く。 「あの、すみません!この辺りは、もしかしたら野犬が潜んでいるかもしれないんで、林から出て行った方がいいかもしれませんよ!」  3人の男性たちは、木の枝を潜り抜け、小夜に近づいて来た。 「野犬だって?」  先頭を歩いて来た、黒い瞳が特徴的な男性が、小夜に聞き返す。 「このあたりは、野犬がいるかもしれないです」  若い男たちに囲まれると、チョット威圧的で小夜も身構えた。 「野犬がいるなら、お嬢ちゃん。アンタだって危ないじゃないか」  先ほどの、黒目がちの男性が言い返す。  なんだ、この男の人は、小夜のことを心配してくれているのか?  意外と悪い人じゃないらしい。  小夜は、少しホッとした。 「あ、私は、これがあるので、大丈夫です」  小夜はこがね丸の鞍上で背をひねって、背中に背負った半弓と矢を、男の人たちに見せた。 「野犬が来たら、射抜いちゃいますから」  そう言って、小夜が微笑む。  黒目がちの男性は、小夜の半弓を見て、大きな目を更に丸くした。  よく見ると、人懐こい感じで、なかなかいい面構えをしている。 「その矢で、野犬を射るのかよ?そんなこと、できるのか?」 「できますよ!さっき、そこで1匹、射落としましたから」 「ほえー」  男の人が変な笑い声を上げた。  わざと、変な笑い声を上げているようだった。 ――え?  その男の人の笑い声を聞いて、小夜はなんだか気分が悪くなった。  せっかく親切に忠告してあげたのに、「ほえー」という感嘆の声を上げるなんて、何だか小夜が小バカにされているような気がした。  一瞬『いい面構えだ』なんて、思わなければよかった。 「お嬢ちゃん。じゃあ、その腕前、俺たちに見せてよ」 「え?」 「ほら、あそこに、仔鹿がいるダロ?」  男の人が、林の奥を指さした。 「鹿?」  小夜が、指さす方を見ると、確かに仔鹿が木の芽を食べているのが見えた。 「なぁ、あの仔鹿を射って、その腕前を見せてくれよ」  男の人の顔が、小夜を小バカにしている。  間違いない。遊ばれている。 ――何よ、この人!私を、小娘だと思ってバカにして!  小夜は、そんな不躾な男の人たちの言うことを聞く気は、さらさらなかった。 「イヤです」 「なんでよ」 「鹿は、仔馬を襲いません」  小夜は、男の人と顔も会わせたくなかった。 「え?仔馬?」 「そうです。野犬は仔馬を襲うから、牧士さまの命で仕方なく狩ってるんです。でも鹿はダメです」 「お堅いねぇ。いいじゃん。見せてよ」 「ダメです。できません」  小夜は単純に遊ばれているので、これ以上は男の人たちを無視しようと思った。  すると、 「お嬢ちゃんがやらないなら、俺が狩っちゃおうかな」  男の人が、火縄銃を出した。 「え?それ?」  小夜は、はじめて『火縄銃』というものを見た。  隣にいた別の男の人が火をつけて、黒目がちな男の人が、火縄銃の銃口を仔鹿に向ける。  木の芽を食べていた仔鹿は、騒いでいる小夜たちの気配に気づいたようで、食べるのを止めてこちらを振り向いた。  そうして仔鹿は、火縄銃を向けた男を凝視した。  パーンッ!  大きな銃声が放たれ、それと同時に仔鹿がよろめいて、後ろを振り返って逃げようとした。  ・・・しかし、脚がもつれてうまく逃げられなかった。  仔鹿は、2歩3歩脚を出したと思ったら、バタリと地面に倒れ込んでしまった。 「やったー!狩り成功!」  男たちは、跳ね上がって喜んだ。  小夜は、罪もない動物を殺生しておいて、そんな風に喜ぶなんて、男たちの気が知れなかった。  小夜だって、害獣である野犬でさえ射落としたら、合掌して冥福を祈る。  男たちを、軽蔑した。 「ほら、できただろ?」  黒目がちな男が、得意げに小夜に話しかけた。 「もう、イヤ。最低!」  小夜は、顔をそむける。 「何が『最低』なんだよ・・・」  黒目がちな男が、不機嫌になって小夜に詰め寄ってきた。 「だって、何のために鹿を撃ったの?」  小夜が、男の気迫に負けじと睨み返した。  ここで、負けてはいけない。 「食べるためだろ?悪いんか?」 「え?食べる?鹿を?」  この当時、宗教的な背景から四足歩行の動物を殺生して食べるのは、一般的には禁忌とされていた。  だから『鹿を食べる』と聞いて、驚く小夜の反応は、この時代であればうなずけるものであった。 「そうだ、鹿鍋はうまいんだぞ。知らねえなら、お嬢ちゃんも食べさせてやるよ。それに、革は武具にしたり、足袋にしたりもできるんだ」  小夜に、禁忌である鹿鍋を食べさせる?  その言葉を聞いた小夜が、仔鹿を撃った男を見やり、キッと目を見開いた。  その表情は、修羅のように真剣そのものだった。 「ん?」  小夜の憤怒の表情に、男たちは気がついた。  小夜は、こがね丸の上で、背負っていた半弓を取り出した。 「んん?」  男たちは、弓を持った小夜が何をするのか、目をパチパチさせた。  小夜は、箙から矢を抜き出し、そうして矢をつがえた。 「おいおいっ」  その挙動を見て、男たちが後ずさる。  小夜に、矢で射られてしまうと思った。  そして小夜はギリギリと弓を引く。  男たちが後ずさって、小夜の弓から逃れようと、うろたえ始めた。  そして次の瞬間。  パンッ  鋭い音をたてて、小夜は矢を放った。  シュルシュルと音をたてて、矢が男たちの脇をとおり過ぎて行く。 「キャンッ!」  そんな鳴き声と共に、野犬が地面に倒れ込んだ。 「おい、お前・・・」  黒目がちな男が、よろめきながら、後方で倒れ込んだ野犬を振り返った。  野犬には、矢が刺さっている。  小夜は、男たちの背後に迫る野犬に気づいて、いち早く弓矢で射落としたのであった。  野犬が動かなくなったことを確認して、小夜はその場で合掌し、野犬の冥福を祈った。  黒目がちな男も、小夜の矢に射抜かれ、動かなくなった野犬を見やり、感心したように『ピュー』と口笛を吹いた。 「お嬢ちゃん、やるねぇ」  そうして小夜を振り返る。 「いい腕してるわ」  そんなちゃかした言葉にも、小夜は口を真一文字に結んだまま取り合わない。  男たちを睨む目は、あくまで冷ややかだ。 「おい、お前ら!仕留めた仔鹿を河原沿いの、例の乾燥小屋に運んどけ!」  黒目がちな男は、子分らしき2人に大声で指示を出した。  そうしておもむろに小夜を振り返る。 「どうだい、お嬢ちゃん。野犬から助けてもらったお礼に、ご馳走をするぞ?この鹿で作った、鹿鍋だ」 「何よ!あなた、ほんとうに鹿を食べんの?信じらんない!」 「そう、鹿鍋だ。うまいぞ」 「やだ。私、いらない。気持ち悪い」 「食ってみないで、文句ばっか言うな」  黒目がちな男が、不満げに鼻を鳴らした。 「行こう、こがね丸」  小夜が、こがね丸の手綱を握った。  これ以上、頭のいかれた奴らと一緒にいられない。ただ単純に、不機嫌になるだけだ。 「ちょっと待ってくれよ。礼くらいさせてくれよ」  黒目がちな男が、小夜の後を追う。 「別にいいよ。お礼なんて、いらない」 「なんだよ!せめて名前くらい、教えてくれ!」  先に進もうとする小夜に、男が呼びかける。  それを聞いて、小夜は一瞬だけこがね丸の脚を止め、  そうしておもむろに、上体だけひねって、男の方を振り向いた。 「私は小夜。四十里野の小夜」  それだけ言うと、小夜は今度こそこがね丸の腹を右足で叩いて、その場から走り去ってしまった。  黒目がちな男は、その瞳をわずかに細めて、走り去る小夜の後ろ姿を、見えなくなるまで追っていた。
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