第1章 四十里野の小夜

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第1章 四十里野の小夜

 1598年8月、天下を統一した豊臣秀吉が62歳の生涯を閉じた。  その2年後、1600年に関ヶ原の戦いが起きた。  豊臣秀吉がいなくなったのをいいことに、徳川家康が着々と力をつけ始めてきたのだ。  家康は、自らが天下を獲りたかった。  『秀頼を守り、豊臣家に尽くすように』とする秀吉の遺言を無視し、家康は秀頼を軽視するような行動を取るようになってきた。  そこで、石田三成が『豊臣秀頼を立てるべき』として兵を挙げた。  これが、天下を分ける関ヶ原の戦いだ。  この関ヶ原の戦いで、家康は石田三成に勝利し、情勢は家康に大きく傾いた。  しかし家康は、表向きは豊臣体制を継続した。  当時7才とまだ幼い豊臣秀頼の後見的立場として、家康は実質的な権勢を得ることになる。  豊臣家の権力を削ぎたい家康の暗躍もあり、大坂城の秀頼の周辺には、有力な家臣がいなくなった。  その結果、大坂城は、秀頼の母である淀殿が中心となって運営されるようになった。  そして家康は権力を積み上げ、1603年に朝廷より武家の最高位である征夷大将軍に任命された。  家康は名実ともに天下の覇権を握り、そして江戸幕府を開くことになった。  幕府政治が機能し始めたことで、家康の影響力がますます増し、豊臣家の権威がさらに衰退していった。  征夷大将軍就任から2年後、1605年に家康は隠居し、息子の徳川秀忠に2代目将軍の座を譲った。  これによって、将軍職は徳川家が世襲することがはっきりとし、豊臣家に政権を返す気はないことが世に示された。  家康は、秀頼に新しい将軍への挨拶と、家康との会見を要請した。  しかし淀殿はこれを拒否。  「豊臣家は臣従するつもりはない、強制するなら秀頼と切腹する」と態度を明確にした。  この淀殿の回答によって諸国に緊張が走り、京都・大坂では合戦に備え逃げ出す人が多く出たという。  しかし家康は、これを穏便に済ませた。  だが家康の腹の中では、言うことを聞かない豊臣家が、いずれは目の上のたんこぶになることは目に見えていた。  如何にして大阪の豊臣家の権力を削ぎ、武力を使ってでも徳川家へ従わせる方策に、この頃の家康は頭を巡らすようになっていった。  この話は、日本という国がそのような情勢であった頃の話。  ◆◆◆◆◆  ここは、下総国の小金の地(現在の千葉県松戸市~柏市)。  『四十里野』と呼ばれる、野馬を放し飼いにして育てる広大な牧があった。 1fbdcc2b-50eb-48ea-9e01-51ae276617ec  四十里野の馬小屋の脇には、この時代には珍しく、流鏑馬の練習場があった。  その練習場で少女が、黄金色に輝く馬を駆り、流鏑馬の練習をしていた。 「ほらっ!こがね丸、野犬を射るよっ!」  少女が、野犬を模した看板をめがけて、黄金色をした馬の鞍上から矢を射かける。  パンッ  そう、小気味よい音をたてて、矢が野犬の看板に命中した。 「いやったぁ!ナイス、こがね丸!」  矢を射った少女が、手に持った狩猟用の半弓を振り上げ、相棒の黄金色の馬と喜びを分かち合う。  この少女の名は、三ツ矢 小夜(みつや さよ)。  14才になったばかりの、元気な女の子だ。  そして相棒の黄金色の馬の名は、こがね丸。  22才の、老齢な駒(乗馬用の牡馬)だった。  このこがね丸は、今から18年前、戦国時代に牛久(現在の茨城県牛久市)で岡見軍と多賀谷軍との交戦があった際に、流鏑馬による奇襲作戦で多賀谷軍に多大なる損害を与えたことをきっかけに、『黄金色の流星』と呼ばれ、恐れられていた馬だった。  そのときの流鏑馬の射手が、小夜の父、三ツ矢 弓弦(みつや ゆづる)であった。  小夜は、父の弓弦から流鏑馬の手ほどきを受け、女ながらに流鏑馬というものに陶酔していた。  その相棒が『黄金色の流星』こがね丸であったことも、小夜の流鏑馬魂をかきたてた。  この四十里野に、流鏑馬の練習場を作ったのは、小夜の母の三ツ矢 こま(みつや こま)。  若いころから四十里野で働いていたこまは、弓弦とお近づきになりたくて、四十里野を管理している牧士に頼んで『流鏑馬の練習場』などというものを作ってしまったのだ。  こうして弓弦とこまは結ばれ、2人の間に小夜という可愛い娘が生まれた。  もう1人、馬之助という弟も生まれたが、こちらは実家の農業がお気に入りのようで、四十里野にはすっかり顔を出さなかった。  馬好きな母のこまが、せっかく『馬』という字を入れて名付けたのに、小夜の方ばかりが四十里野で馬と戯れ、馬之助は農業にいそしむ結果となったのは、なんとも不憫なものだった。 「よーし、こがね丸、本番に行こうか!」  小夜が、こがね丸を下りて牧士を探しに行く。  馬の放牧場である四十里野では『野廻り』という重要な仕事がある。  本来であれば牧を管理する牧士が、野廻りを行なわなければいけないのだが、それを代行で小夜が行なおうというのだ。  野廻りの仕事内容とは、  四十里野を馬に乗って見て回り、放牧した野馬の状態を観察したり、水飲み場や野馬除け土手などの施設に不具合がないかチェックしたり、生まれたばかりの仔馬を守るために野犬を狩ったりすることである。  小夜が先ほどから励んでいたのは、流鏑馬で野犬を射る練習だった。  そして小夜の言う「本番に行こうか」というのは、実際に野廻りに出かけて、害獣である野犬を流鏑馬で射ようというものだ。  四十里野の詰所に行って、牧士から野廻り代行の許可をもらってきた小夜は、背中に半弓と矢が収まる箙(えびら:携帯用の矢の収納具)を背負い、こがね丸に跨った。 「さぁ!行くよ。しゅっぱーつ!」  そうして小夜は、こがね丸の黄金色の腹を右足で蹴って、四十里野の平原へと歩みを進めた。  ◆◆◆◆◆  小夜とこがね丸が、野馬除け土手(野馬が逃げ出さないように囲ってある大きな土手)に沿って、土手が損傷していないか確認しながら四十里野を駆ける。  しばらく走ると、林があった。  特に林は、野馬が出産する場所でもあるので、仔馬を狙う野犬がウロチョロしていやすい。  小夜は、こがね丸の進路を林の中に向け、注意深く野犬を探していた。  小夜は、野犬を狩るために流鏑馬を鍛えてきたようなものだ。  もうこれまでに何匹も野犬を射落としてきた。  野犬を見つける要領も、かなり身についている。  しばらくして、さっそく小夜は、林の中でウロつく一匹の野犬の姿をみつけた。  小夜は野犬に気づかれないように、背に背負った半弓を取り出し、箙から矢を抜いた。  矢をつがえて、野犬に狙いを定めようと思った瞬間、野犬がこがね丸の姿に気づいた。 ――見つかっちゃったか!  そう思う間もなく、野犬が走り出し、林から出て平原の方へ逃げてしまった。  慌てて小夜も、こがね丸に合図を送り、野犬の後を追う。  こがね丸が平原へ出ると、少し遠くで野犬がこちらを振り返って、様子を伺っていた。  これ以上野犬が逃げないように、こがね丸も追うのを止めて、立ち止まる。  平原を挟んで、しばらく野犬とこがね丸のにらみ合いが続いた。  その静寂を活かして、小夜が手に持った矢をつがえた。  本来であれば弓は、こがね丸から下りて矢を射った方が、命中率が高い。  だからと言って地面に立って矢を射った場合、あたれば良いが、もし外そうものなら野犬がこちらに襲い掛かってくる。  野犬が襲い掛かってきたら、人間の足では逃げ切れるものではない。  それが、こがね丸に乗っていれば、もし矢を外してもこがね丸の俊足で野犬から逃げればよい。  だから小夜は、こがね丸に騎乗しながら野犬を狙う流鏑馬を、父に教わりながら練習し続けてきたのだ。  こがね丸の鞍上でギリギリと弓を引く。  ピシッ  と放った矢は、見事に野犬に命中した。 「キャン!」  そう鳴き声を上げて、野犬がその場に倒れ込んだ。  しばらくその場で様子を伺い、野犬が完全に動かなくなったことを確認した後、野犬に近づいて小夜は野犬に命中した矢を引き抜いた。  そうしてその矢を、箙へ戻す。  矢は自腹で家から持ってきているので、あまり裕福ではない農家の出の小夜は、矢を使いすぎるとお小遣いがなくなってしまうのだ。  矢は、できるだけリユースしたい。今で言えば、環境に優しくSDGsに貢献している。  小夜は、息絶えた野犬に向かい合掌して冥福を祈った。  いくら野馬の敵だといっても、殺生してしまったのだ。 「後で綱掛の平四郎さんに言って、埋めてもらお」  平四郎というのは牧士の家の使用人で、四十里野の仕事の手伝いをしている先輩だ。もう50才を過ぎた気のいいおじさんである。  四十里野では、基本的に動物の死体は埋めていた。  埋めないと、もし腐敗でもしたら衛生上悪いので、大事な野馬が病気になりかねない。 「さて・・・まだ林の中にいるのかな?」  野犬は、集団を作りたがる傾向がある。  1匹見つけたら、近くに別の野犬がいるかもしれない。  小夜はそう思い、こがね丸に跨って、もう一度林に進路を取り、近くに別の野犬がいないか探してみることにした。  ◆◆◆◆◆  小夜がこがね丸に乗ってしばらく林の中を捜索していると、林の陰で20代くらいの若い男性3人組が、連れだってウロウロと歩き回っているところに出くわした。
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