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鬼の面。
「おかわり」
「………はい」
狭山早雪[さやま・さゆ]は相手が不快にならないように小さな声で返事をしながら旦那におかわりのご飯を差し出した。
かわりばえしない朝食風景、狭いちゃぶ台に、二人分の朝食が並べられている。朝食はご飯に味噌汁、鮭とこれも一般的な朝食だろう。
早雪は少食ではないけれど、どうにも慣れることができなかった。三十路を手前にして、再婚し、新しい旦那と二人暮らしを初めて1ヶ月。
いろいろなことに慣れてきたと思うのに、旦那の顔を見ることはできなかった。早雪が人見知りや引っ込み思案というわけじゃない。
どちらかと言えば人と話すことは嫌いではないし、社交的だと思うけれど、やっぱり慣れるものではない。再婚相手の旦那が鬼の面を被っている事実にやっぱり慣れることはできないのだ。
目の前でもくもくと鬼の面を少しずらして食べる男。素顔を晒すことを極端に嫌うこの男は早雪の料理に文句一つなく食べている。そのかわり美味しいとも不味いとも言わない。
とにかく無口で、無愛想。必要最低限のことしか喋らず、仕事は小説家、いつも自室にこもって執筆作業をしているので会話らしい会話もない。
時代は平成になったばかり、両親のすすめでいち早く結婚した早雪だけれど、相手が結婚詐欺師という事実が発覚したのが約一年前。
傷心気味だった早雪にやってきた再婚話にこれ幸いと承諾した両親に文句の一つも言いたいけれど、離婚した娘がいつまでも実家暮らしでは世間体も悪かろう。
親の気持ちもわかるのだ。わかるのだけれど、やっぱり相手を選びたかったというのも本音だ。まぁバツイチ娘を嫁にもらう酔狂が居ればの話。
幸いなのは早雪に子供がいなかったことくらいか。再婚相手はいつも鬼の面で顔を隠す奇妙な男。お互いわけありなら、断る理由もない、愛した相手が結婚詐欺師という傷痕を残したまま早雪はふと思うのだ。
(この人は私を好きなのかしら?)
そんなことを聞けば旦那の機嫌を損ねてしまう、この一ヶ月、早雪の心の悩みになっていた。人を愛したから裏切られた。騙された。その傷は深く、深く早雪の心に刻まれている。
そんなことを考えながら、早雪は朝食を片付ける。家事全般は苦手ではない。花嫁修行として母親からしっかり仕込まれてきた。
でも、心が折れそうになる。相手が何を考えているかわからないという恐怖があるからだ。
「早雪!!」
「え?」
そう聞こえた時には、早雪の身体が前に倒れていた。どうやら考え事しながら作業していたせいで手元がお留守になっていたらしい。
倒れることに身構えるよりも早く、大きな腕が早雪の身体を包み込む。転んだ早雪の身体を支えるように、旦那が立っていた。
大きな身体だった。男性の少し痩せ気味てはあるけれど、筋肉質でたくましい。転んだ早雪を容易に受け止めてくれた。
感謝すべきなのかもしれないけれど、早雪は反射的に旦那から離れた。
「す、すすす、すみません」
「…………いや」
「本当にすみません!!」
顔を真っ赤にして早雪は逃げた。あの日より男性がどうにも苦手だった。礼儀知らずとわかっているけれど、バタバタと慌ただしく早雪は台所に逃げた。
そんな早雪の後ろ姿を見ながら、旦那は無言で立ち尽くす。追いかけるわけもなく、さりとて怒った様子もなくその表情は鬼の面で隠されわからない。
台所に戻った早雪ははぁーとため息をついた。助けてくれたことはわかっている、早雪にとっては恐怖しかない。
ぎゅっと身体を守るように抱きしめて、折れそうになる心を立て直す。私達は夫婦。夫婦なのだ。お互いわけありだとしても夫婦。触れあうことくらい普通だろう。普通なのに早雪にとってはただ怖かった。
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