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ため息をついても不安が消えることはない。落ち込んでいても誰かが愚痴を聞いてくれるわけがない。旦那は自室に戻り、黙々と執筆作業に戻ってしまった。
広い屋敷だ。一か月過ぎても、未だに迷いそうになる屋敷を早雪は少しずつ掃除をしていく。旦那は自分達の使う部屋だけでいいと言うけれど、早雪にとってはそれなは許せなかった。
誰も使わないとしても、そのまま放置してしまうのが嫌だったし、一日の家事が一通り終わってしまうとこの広い屋敷で何をしていいかわからない。
旦那の自室に行く勇気は早雪にはない。執筆の邪魔をしてしまうし、どう会話をしていいか迷ってしまう。それもいつか解決するだろうか?
そう思った矢先、玄関からピンポーンとインターホンが鳴り響く。来客だ。早雪は掃除を中断し、玄関に向かう。
玄関先の扉には人影が見える。早雪は小声でどうぞと言うけれど、返事はない。人影はじーっとこちらの反応を待つように微動だにしない。
扉を開けてしまおうか、来客なのは間違いない。土間に降りてぞうりを履いて、外に出ようとした矢先のことだった。
「待て」
背後から声がして、早雪が振り向くよりも早く鬼の面をした旦那が玄関の扉を開いた。ぞわりと早雪の背筋に悪寒が走る。
家の中に何か入ってきた。
人影はなかった。誰もいない。さっきまで外には誰かがいたはずなのに。早雪の不安を立ちきるように旦那はピシャッと扉を閉める。
「誰か見たか?」
「………はい。人影を、インターホンがしたので、いたずらでしょうか?」
最近はインターホンを鳴らして逃げるという遊びが子供達の間で流行っている。ピンポンダッシュというらしい。
イタズラと言うけれど、近所では足腰の悪いおばあさんが来客に気がついて対応したけれど、ピンポンダッシュで迷惑をしていると聞いた。
「わからん」
鬼の旦那は、それだけを言い残すとさっさと自室に戻ってしまった。心配してくれたのかと期待した自分に早雪は少しだけ自分を責めた。
距離をおいているのは自分なのに、どうして相手に期待なんてするんだろう? あつかましいにもほどがある。早雪は悪寒を振り払うように、掃除を再開した。
夜になった。食事の最中、玄関先の出来事を旦那に聞こうかとも思ったけれど、彼はいつものように無愛想でご飯を食べ終えるとごちそうさまといい残して自室に戻ってしまった。
夜になると悪寒がさらに強くなったと思い、早雪はさっさと寝室に入って布団に潜り込んだ。広い屋敷に響く家鳴りの音がするたびに早雪はビクッと肩が震えた。
ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ。
パタン、パタン、パタン、パタン、パタン、パタン。
廊下から足音がする。それに続いて手をたたくような音がする。拍手だろうか? 旦那か?
『家が、家がほしい。腹がすいた。腹がすいた。家が持つ奴らが憎い。俺もほしい』
パタン、パタンと音が響く、拍手ではない。これは壁を叩く音だ。ぎぃーっと天井裏が開き、男が顔を覗かせた。
歯がない。あるのは歯茎だけの口に、油でギトギトに汚れた髪の毛、目は焦点があっておらず痩せ細った顔で早雪を見下ろしてニヤニヤと嗤う。
ひっ、悲鳴が出そうになりながら早雪はとっさに息を止めた。いや、身体が動かなかった。あたりをよく見ると小さな鬼の集団が早雪を取り囲み手足を掴んで離さない。
小さな鬼達は、皆一様に裸で手足が細く腹だけがはち切れんほど大きい。ケタケタと嗤い合いながら早雪に群がる。
天井裏の男、そして大量の小鬼。早雪は悲鳴をあげた。小鬼達の声が聞こえたからだ。歯を抜こうか? 舌を引きちぎろう。目玉をくりぬいてみたい。生爪を剥いだらどうだろうか? 耳を削いで、鼻を潰そう。頭を開いて脳ミソを。ヒソヒソ、ヒソヒソ。ケタケタ、ケタケタ。嗤い、嗤い、天井裏の男の口からドロリと汚い唾液が落ちてーーーーーーーーーーーーー。
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