49人が本棚に入れています
本棚に追加
「そんなに不満に思うこともないんじゃない?」
そこで、咽頭が言った。
「利き手があるってことは、そいつが働いてるあいだ休める時間もあるってことじゃん。わたしみたいに一つしかないと、働くときはいつでもわたしだけが働くことになる。沢原夏奈は歌を唄うのが好きだから、すごく疲れるんだ。左右で分け合えるなら悪いことばかりじゃないよ。むしろわたしは利き手じゃない方になりたいな。ぐうたらしていたいもの」
すると、左膝が微妙な顔をした。
「手はそうかも知れないけど、足はどうなんだろう。利き足が右ってことは、軸足が左ってことだから、私はいつでも踏ん張っていなきゃいけない。確かに利き足の大変さも分かるけど、軸足の負担ってすごいんだよ。だから左足の方が大きい人は多いわけだし。スポーツでもよく言うじゃない。『黄金の右』とか。まあその逆もあるけど、利き手・利き足の方が華やかで、断然いいと思うよ」
これには俺も一言申した。
「昔の漫画で、『左手は添えるだけ』ってあったんだ。沢原夏奈はその言葉が好きでさ、俺だってちゃんと働いてるのに、『左手は添えただけ』って笑って言うんだぜ。俺が支えてなきゃ右手は仕事できなかったんだ。それでそんなこと言われちゃたまんねえよ」
俺はくいくいっと酒を飲み、大皿に盛られた焼き鳥を食べた。タレがよく馴染んだ美味い焼き鳥だ。だが、食べていて哀しくなってきた。
「牛とか豚とか鶏ってさ、捨てるとこがないって言うよな。意外なとこまで食用になっていたりして。じゃあ左手はどうなんだろう。人間は人間を食わない。もしも左手を切断するしかないってなったとき、利き手じゃないから仕方ないって思われるのかな。俺が右手だったら、何とか切断を回避しようとするんじゃないかな。そんなこと言ったら、臓器はどうなんだって話だが、俺には臓器の治療技術の方が進んでいるようにしか思えない。これも一種のコンプレックスなのかなあ」
俺にはどうしても、国に大事にされている実感がなかった。心臓や肺たちと一緒だ。健康な人間は、肉体の弛まぬ努力を軽視する傾向にあると誰かが言っていたっけ。
「そうは言ってもさ」と眉毛が口を出した。
「左手はそこまで邪険にされてないと思うよ。左手は不要だと思われてないだろ。おれら眉毛は、頑張って生えたのに無駄だって抜かれて捨てられるんだぜ。国からの配給を使って生えたのに捨てられて、そのくせ眉を書き足される。こんな無力感ってないよ」
すると、酔いどれた鼻毛も話に入ってきた。
「おれもそうだよ。国内に悪いものが入らないように頑張って森を作ってるのに、恥ずかしいとかみっともないとかで切られたり抜かれたりするんだ。鼻水はおれの涙だ。いつもどれだけ傷ついてるか、沢原夏奈は分かってくれない。左手は利き手じゃないだけで捨てられることはないだろう。頭髪以外の毛はみんなそういう屈辱を味わっているんだ。左手の言うことは、ある意味で嫌味みたいに聞こえるぞ」
鼻毛がぐずぐずと泣き出したので、場がしんみりとなってしまった。定例飲み会はいつもこうだ。みんなが国に尽くしているのに、国である沢原夏奈は俺たちを大事にしてくれない。その点、やはり心臓は内閣臓器大臣であり、肺や肝臓らは大事な大臣として君臨している。末端に生まれてしまった者の虚しさは、末端の者にしか分からないってことか。
最初のコメントを投稿しよう!