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──怒りにまかせて雑に弾き始めた──わけでもなく、プロとしてちゃんと弾いている。──しかしいつもより力を込めた音色だった。
どうやら演奏をもって力ずくで通話を止めさせようとしているらしい。ひびきらしいな。
しかし御婦人──もうババアでいいや、ババアもいい根性していて、演奏に負けじと声を大きくして話し続ける。
「──え、聴いたことあるって──そうそうなんだっけ、親子丼のCMに使ってたやつ──そうそうハイドン親子丼ってやつ──」
ビゼーだっつーの。
なかなか止めないババアに業を煮やしたのか、演奏はさらに熱が入ってくる。
そして会場に異変が起きはじめた。
観客が足踏みをはじめて次に手拍子をはじめたのだ。たしかにノリのいい楽曲ではあるが、こんなことは初めてだった。
さらに高まっていき、ついには立ち上がってまるでダンスをするように手拍子と足踏みを続ける。ふと見るとミスターミートソースも同じようにやっていた。
つまり、ひびきの能力が発動しているのか。
ババアも立ち上がって足踏みしているが、それでも通話を止めない。大したもんだ。
そして曲のクライマックスになると、突然観客の全員──ババアも──スマホやケータイを取り出すと高く持ち上げたあと、床に叩きつけた。
驚愕と言っていいほど驚いたが、全員気にもせず踊り続ける。しかも叩きつけたスマホなどを踏み潰すように。
そしてそれは演奏が終わるまで続けられたのだった……。
※ ※ ※ ※ ※
翌日、僕らはセントレア、中部国際空港のロビーで待機していた。
「ヤッチャン、あとどのくらいなの」
「三十分くらいだって。忘れ物は無いかい、当分戻れないんだぞ」
「無い無い、あースッキリした。じゃあその辺散歩してくるね」
とびきりの笑顔をして軽やかに、スキップするように離れていくひびきを見送ってから昨日のことを思い出し深いため息をつく。
コンサート終了とともに我に返った人達がパニックをおこした。
「うわああ、私のスマホがーーー」
「買ったばかりなのにぃぃ」
「誰よこんなにしたの」
「どうしよう、どうしよう」
もちろんババアもだ。半狂乱になってスマホに話しかけていたのだけは、いい気味だと思った。
ひびきはそれを見て満面の笑みを浮かべたあと、深々と頭を下げてハケていき、僕も続いて引っ込むと、あとはミスターミートソースにまかせて早々に撤退した。
ひびきの能力は過去最高の範囲を記録した、半径2キロメートル程に影響したのだ。
住んでいる者はもちろん、通りすがった人々も突然踊り始め、自分のスマホを叩きつけたあと踏み潰したらしい。
今朝の情報番組は、突然自らスマホを破壊した現象ばかり流していた。
「宣言どおり一生の思い出になったろうな。立つ鳥としては跡を濁しまくり、有終の美をかざれなかったが……」
時間を確認する、そろそろ搭乗の準備をしなくては。
「欧州ではマナーがいい人ばかりでありますように」
戻ってきたひびきとともに、僕達は機上の人となった。
ーー 了 ーー
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