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 ――少し時間を下さい。  三坂にそう告げて、優希は一人、ある建物へとやってきた。静かな公園の中に佇む二階建ての玄関前には彼女の身長の倍ほどのサイズの銅像が飾られている。そのネームプレートには『山根大輔』と刻まれていた。  ここヒーロー博物館は父が亡くなって半年ほどしてから作られた建物だ。当時は災害遺構として幾つかの破壊された建物の一部を保存しようとされていたが、反対にあったり、地元民の意見がまとまらなかったりで、結局写真などの資料展示に留まった。  中央ホールは二階まで吹き抜けになっていて、写真のパネルや精巧に当時の様子を再現したミニチュアが展示されている。壊れたビルの前に立つ銀色の(うろこ)に包まれた人形がヒーローだ。その対面には足の長い蜘蛛(くも)型のXがいる。  優希はガラスケースに収められた山根大輔の手記のコピーの前に立った。  ――大切なものを、守る。  それは父が口癖のように言っていたフレーズだ。自分にしか出来ないことがある。他の誰も代わってくれないことを使命と呼ぶんだ。父はそう話しながら、まだ小さかった優希にご飯を作ってくれた。母はいなかった。物心ついた頃には既に父一人で、仕事で出かけている間はよく近所の叔父の家に預けられた。優希はどんなに遅くなっても父が自分を迎えに来るのを楽しみに待っていた。父はどんなに疲れていても手料理を振る舞ってくれた。優希はその背中を見ながら眠気を我慢して待つ時間が、何より好きだった。  と、背後でシャッター音が響いた。振り返るとそこには緒方がカメラを構えて立っていた。 「何さぼってんだよ」 「そっちこそ、避難指示出てるんでしょ」 「忘れ物取りに来ただけだよ」  そう言って彼が視線を向けたのは一番大きなモノクロの展示写真だ。最後の戦いを終え、人間の姿に戻って横たわっているところを救護班に起こされている山根大輔が見せた、全てをやり終えた男の笑顔が、そこには写し取られていた。写真の撮影者は緒方隆宗(おがたたかむね)とある。崇行の父だ。この写真を撮影した後、緒方隆宗は事故死している。事故死、といってもXの残っていた細胞の処理中に起こった爆発事故に巻き込まれた、ある意味で人災とも呼べる死だった。 「東京湾のあいつは?」 「まだ何も変化はないって。それより山根は避難しないのか?」 「わたしはちょっと別件あるから」 「国家機密、ってやつだろ?」  緒方は青白い顔で意味ありげに笑みを作る。よく見れば首筋が汗ばんでいる。ここまで自転車で来たのだろうか。小さい頃から病弱だった彼とはよく父親が入院していた病院で話をした。優希の父はヒーロー、そして彼の父はそのヒーローを追いかけるカメラマンだった。二人してヒーローは格好良いだの大変だのと、言い争いをしたことを思い出す。 「ねえ」 「ん?」 「もし自分にしかできないことが、世界を救うことだったとして、緒方はそれをやる?」 「何だよ。それ国家機密だろ?」 「例え話よ」 「仮に、という話として考えるなら、俺はそんなもの無視する」  それは彼の小さい頃の発言とは異なっていた。 「何で世界の平和なのにそんな一個人が責任負わなきゃなんないんだよ。いっぱい偉い学者も政治家もいて、誰も他の解決法思いつかないなんてないだろ? そいつらの責任放棄だと思うぜ」 「でもさ、その偉い人たちが必死に考えて、考えて考えて、出た結果、それしか頼るものがないとしたら?」  まだ小学校に入る前だ。毎回毎回Xとの戦闘が終わる度に入院していた父に尋ねてみたことがある。 「どうして父さんじゃなきゃダメなの?」  鼻から酸素吸入をしている状態で、父は答えてくれた。 「本当はお父さんじゃなくても、いいのかも知れない。そう思うことがよくある。自分と同じような能力を持つ別の誰かが全部代わってくれるなら、それでもいいと。けど、そうなった時に父さんは考えてしまうと思うんだ。自分だったら、って。もちろんその別の誰かの方がずっと上手くやってくれるかも知れないよ。世界としてもその方がいいだろう。ただ父さん自身はね、思うんだ。どうしてあそこに立っているのが自分じゃないんだろうって。そういう気持ちがある間は、踏ん張って立っていたい。これは父さんの我がままなのかな」  ヒーローという言葉を出す時に一番に思い出すのはこの父の言葉だった。 「緒方はさ、わたしのこと、恨んでないの?」 「どうして恨む?」 「だって……父さんの責任、みたいなもんだし」 「あれは事故だ。そもそもだな、うちの親父はいつも言ってたよ。戦場に向かうんだからいつだって死ぬかも知れないを心のどこかに持っているって。例え自分が行かなかったとしても別の誰かが行くだろう。それをテレビのこちら側で見たまま指を(くわ)えてるのは、自分じゃないって。ほんと、好き勝手して、死んでいったよ」  似たもの同士だったんだと、緒方の話を聞いて理解した。 「それで、山根の選択は?」 「わたしは」 「俺は()えて言う。行くな」 「ありがとう」  そう答えると、優希は一番の笑顔を作ってみた。それなのに何故か瞳には涙が(にじ)んだ。
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