先生がいなかったら

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「先生のおかげで命を救われました、ってよく言われるんだけど、実際はそんなことないんだよね」  医師になった友人はそう呟いた。同じベンチの隣に飄々と座っているこいつとは、小さい頃は一緒に虫を追いかけていた仲だった。なのにいつの間にか彼だけ私立中学に入り、気づけば先生と呼ばれる職に就いていた。 「今まで何人もの命を救ってきたんだ、当然だろお医者なんだから」  一方こっちは一日中プログラムの文字列と睨めっこ。コロナ禍の中、あらゆるシーンでリモートが叫ばれ、システムエンジニアの仕事は急増した。医療関係者は感謝されても、我々が感謝されることなんてほとんどない。ぽつり、目の前の外灯がついた。もうそんな時間か、と夕日にまで取り残された気がして缶コーヒーのぬくもりに思わずしがみついた。 「でも考えてもみろよ、医者なんて年間1万人くらい誕生してるんだ、俺が助けなくてもきっと誰かが助けるよ。結局俺らは数ある代わりが利くピースの1つなんだよ」  そう言う彼は美人な奥さんをつかまえて、ただいま豪邸を建築中だ。典型的な勝ち組路線じゃないか、なんて考えているとすっかり冷たくなった秋風がぴゅうと通り抜けた。 「でも俺さ、医者になってから一回だけこの先生(ひと)がいなかったら絶対に助からなかっただろうな、って思った患者さんがいるんだ」  急に真面目な顔をしたかと思うと、彼はその時の出来事を夢中で話し始めた。
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