《秘密の会議》

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《秘密の会議》

兄弟仲がギクシャクしている友達を何人か知っている。洗濯物を一緒にしたくないとか、あれこれと口出してきてうざいとか、そういう人から愚痴を聞くと、一つ屋根の下で暮らしているのに、そんなに不仲でやっていけのかと、心配になる。ただ、自分の場合、男同士だったから、よかったのかもしれない。異性同士の兄弟は中々、難しい気がする。やっぱり、価値観の食い違いや好みの違いで、揉めることも増えそうだ。そういうところでは、兄貴と僕はすごく近いところがある。 僕はごく普通の家庭に生まれたけれど、兄貴のことだけは誇りに思っている。兄貴の大晴とは、5歳差で、性格も体格も全然、違う。大晴はリーダー気質で、どんな時も堂々としていた。背丈が187もあるから、歩いているだけで目立つ。特に、昔から運動神経が抜群で、小学生の頃は、市のマラソン大会なんかで優勝して、朝礼大でトロフィーを貰っていた。どの競技をしていても結果は残していたはずだけど、スポーツの方は野球一筋だった。間違いなく、親父の影響だ。野球の才能もめざましく、中学も高校もスポーツ推薦で楽々、合格した。土日に兄貴の試合があれば、家族総出で応援に行った。僕はどんなに周りに勧められても、野球自体に魅力を感じなかった。比べられるのが、嫌だったのもあるかもしれない。それでも、球場の真ん中でボールを投げる、兄貴の姿自体はかっこよくて好きだった。 トンビが鷹を生んだなんて、親父は晩酌をしながら、ちょっと自虐風に、嬉しそうに僕によく話す。照れ臭くて、本人の目の前では言えないからだ。すっかり腹が出て、運動もほとんどしなくなった、父さんも昔は高校球児で、4番のピッチャーをしていたらしい。本人は弱小校だったからだと、言っていたが、真偽は定かではない。実際、プロを目指していた時もあったらしい。ただ、2年の時に腕を壊したのが原因で夢は破れ、そのまま、高卒で友人の製版会社に勤めて、今に至る。直接、本人に聞いたことはないが、やっぱり、甲子園にでるのがずっと、夢だったんだろう。 大晴が高校3年の夏、野球部のキャプテンとして明治神宮に立った時、親父は号泣していた。「俺は、幸せもんや」なんて、言いながら、試合中のほとんど、泣いていた。親戚以外の周りの観客も笑っちゃうくらい、顔を歪めて嗚咽していた。どちらかと言えば、無骨で寡黙な親父のそんな姿を見るのは、始めてだった。 僕はその涙に、人生の重みをひしひしと感じた。僕が知っているのは、たかだか、生まれてからの氷山の一角にすぎない。それまでに積み重ねてきた挫折や葛藤を、僕も大晴も知らない。ただ、その大きな後悔の一つを、大晴が叶えてあげたのだろうと、思った。大晴に聞いても、きっと、自分が成し遂げたかったからだと、即答するはずだが、その言葉の裏には、チームメイトや監督、一番はずっと、応援してくれていた親父への恩返しがあったんだろう。その証拠に、大晴は甲子園の準決勝で敗退してから、きっぱり野球を辞めてしまった。そして、普通に大学に通い始めたのだ。学校の成績も、常に10位以内を保っていたんだと、母から昔話ついでに聞いたのも最近だった。 大晴がずっと、寮生活をしていたこともあって、練習の合間を縫って、受験勉強をしていたことを、僕は知らなかった。合格を知らされた時も、大晴ならと納得した反面、いつまでも変わらない真っ直ぐさに痺れた。 そんなわけで、中学になっても、反抗期は来なかった。たまにイライラすることがあっても、親に当たり散らすのはダサい気がした。いつでも、兄貴がいてくれたから、そう思えた。このことを兄貴に言ったことは一度もない。言ったら、兄貴は素直に喜んでくれるだろうが、伝えるまでもないような気がした。 普段は同じ部屋にいても、お互いの近況を報告しあったり、言葉を交わしたりは、あまりしない。が、そんな兄貴だから、今回のことだけは。ちゃんと話しておきたかった。 小学生から変わらずの2段ベットの下の天井を叩いて、兄貴に声かけた。 「なぁ、ちょっと、話したいことあるんだけど」 少しの沈黙の後、返事が返ってくる。 「急にどうした?言いたいことなんて、珍しいな」 僅かにベットが軋む音がした。 「悩み事か?」 違う、断って、そのまま黙ってしまった。たかだか、付き合ったことを打ち明けるだけのことに、こんなに緊張するとは思ってもみなかったけど、いざ、目の前に大晴がいると緊張感が全然、違う。 「恋愛関係っていうんかな。まぁ、そんな感じ」 早口にいった。勢いに任せじゃなきゃ、とても伝えられそうになかった。一瞬、沈黙が訪れた後で、バタバタと起き上がる音がして、横を向くと、兄貴が上から顔を覗かせていた。おぉっと、身をのけぞると、ついに、彼女、できたんか?と、兄貴はニコニコと、楽しそうに笑っていた。 「まだ、彼女じゃないけどね。ただの好きな人だよ」 「いや、それでもいいのさ。お前が好きなことが大事だ。いやぁ、めでたいな。お前もついに、そんな年になったか。焦る必要もないと思ってたが、兄ちゃんも嬉しいぞ」 「ありがとう。ただ、伝えたかったのは、それだけだから」早々に話を切り上げて、終わらせようと毛布を被った。実はこの話を始めてから、握り拳の中で、手汗が止まらなかった。なんで、いってしまったんだろう。一生の不覚だ。穴があったら、入りたい。「なに、水臭いこといってるんだ。そこまで、教えてくれたなら、もう少し、一緒に話したっていいじゃないか。久しぶりに、お前の話も聞きたいし、こう見えても、兄ちゃんなぁ、恋バナは得意分野なんだぞ」シカトを決め込むつもりが思わず、その言葉に吹き出してしまった。百八十もある大男の口から、恋バナなんて言葉が突然、出るものだから、笑わずにはいられなかった。「おいおい、笑うなって。こちとら、後輩の恋愛相談に何度も乗ってきた実績があるんだ。ほら、上においで。男だけで、秘密会議だ」昔、同級生と作った、河川敷の段ボール基地に僕を連れて行ってくれた時と同じ表情だ。こうやって、いつの間にか、誘い出だれている。息が上がったり、顔が硬っていたり、些細な仕草で気持ちを察して、わざとふざけて笑いを誘うのが兄貴の常套句なのだ。 直接、話すのは気まずいから、わざわざ2段ベットの中で話を始めたのに、結局、のせられて、大晴のベットの上。僕は正座で、兄貴は腕組みをしてあぐらをかいていた。なんだか、弟というよりも、直属の弟舎の気分だ。ただ、内心はまだ、ソワソワしていた。 「それで、どこまでいった?告白はしたか?」 「まさか。まだ、話しはじめて、そんなに経ってないし、たまに一緒に帰るくらいだよ」 「知り合って、何ヶ月だ?」 「ちょうど、3ヶ月くらい」 「名前は?」 「あまね。テンにオトで、天音」 「かわいい名前だな」 うん、僕もそう思うと、はにかみながら答えると、兄貴は情報を咀嚼するように唇に人差し指を当てて、ベットの隅をみながら、ちょっと険しい顔をした。「ひとつアドバイスをするなら、自分の気持ちは早めに伝えておいたほうがいい。その子がまだ、お前のことを好きじゃなくてもいい。振られたからって、諦めるなんて、ルールはない。別に、告白してからでも、好きになってもらうことはできる。男なら、駆け引きなんてするな。思わせなぶりなこととか、まさか、してないよな?」圧に負けて、考える前には頷いていた。心の中の動揺を悟られたらどうしようと、不安になる。本当は、もちろん、心当たりがあった。僕は基本、姑息な人間だ。ただ、そんな込み入ったモノじゃない。ラインをすぐに返信しないとか、3回に1回は言うことを聞かないでみるとか、そういう当たり障りのない、ネット記事に転がっているようなものばかりだ。しかも、結果は不振続き。そもそも、好きが先行しすぎて、うまくいかないのだ。だって、どんなにスマホを遠ざけても、メッセージには5分もたたずに既読をつけてしまうし、頼み事も君が悲しそうに頷くと、やっぱ、できるかもって、なんだって引き受けてしまう。しかも、その後で、ありがとうって、嬉しそうに笑う姿が可愛すぎて、僕は最初の目的さえも忘れてしまって、後で気づいて、また、失敗だと、頭を抱えてばかりだ。なら、実質無罪といっても過言じゃない。自分を納得させて、やってないよと、後ろめたさ半分で否定を繰り返した。じゃあ、これからも、それを心がけるんだと、大晴は返して「愛されるために愛する人を傷つけるような人間になるな」と、続けた。確か、君も昔、似たようなことをいっていた覚えがあった。「いつでも、正々堂々だ。ずるい手を使っちゃいけない。愛し抜くのは難しいかもしれない。でも、そこは心配してないよ。お前なら、そのままでいても、大丈夫さ。どこをどう見たって、こんな魅力的な奴はそうそういないさ。ありのままの自分でいれば、いつか、必ず、お前の方を向いてくれる。だから、ずっと、その子が幸せになることだけを望んでいればいい。お前の幸せはその後についてくるよ。余裕を持って構えているぐらいが、かっこいいさ」 僕の自信のなさを見透かしていたように、大晴は僕を励ました。そうやって、力をもらうたび、あぁ、この人には勝てないなと、つくづく感じる。気づけば、あと一歩のところで踏み出せなかった中途半端な悩み事だって、だいぶ遠くなっていた。今じゃ、どれもちっぽけに見える。 能力的に、人間的に、いや、どれを取ったって、大晴にはかなわないとつくづく思い知らされる。完敗を極めると、負けたって、嫌な感じさえしない。むしろ、憧れるだけ。僕は正直、嬉しかった。野球をやめても、兄貴は兄貴であることが、すごく嬉しかった。 大晴はいくつになっても、僕の前の大空を飛んでいくヒーローだ。 「ありがとう。やれるだけ、やってみるよ」 下に降りよう梯子に手をかけた時、兄貴が僕を呼び止める。 「そういえば、好きになった子っていうのは、どんな子なんだ?」 「どんな子って、まぁ、不思議な子かな。変わっていっていうか、あんまり、つかみどころがない感じ」それで、大晴は自分の経験に重ねるみたいにしみじみ顔を上げた後で、からかい調子でいった。「不思議な子か。やっぱり、好みも兄弟で似ちゃうのかな。その手の子は、大変だぞ。自分を強く持っていないと、自分だけじゃなく相手も苦しむことになる」 僕は頷いた。 「うん、気をつけるよ。でもね、天音は世界で一番、可愛くて、優しい子なんだ。えっと、だから、どれだけ、振り回されても、きっと、嫌いになんてなれない。あの子が僕の世界の全てだ」 身を乗り出していいきった時、お前、変わったねと、大晴は静かに呟いた。 「そんなに?」 「もちろん、いい意味でだぞ。前より、強くなった気がする」 ほんとは、嬉しかったけれど、大晴から褒められるのに慣れていなくて、照れ隠しのように僕は「自分じゃわからないけど、もし、変わったなら、変えたのは、僕じゃなく、それも天音だよ。やっぱり、あの子が僕に沢山の色を教えてくれた」 僕が言い終わると、大晴はくぅーと、変な声をあげて、やっぱ、若いっていいなと呟きながら、足をバタつかせた。 「お前の話聞いたら、ちょっと、あの頃に戻りたくなっちゃったよ。流石に、あんなきつい練習は2度とごめんだけどさ。それでも、青春って、あれはいいよなぁ。一度しかないから、輝く。あの短くて、長い時間。あぁ、いいな。そうか、そうか。お前も、そんなに……。 俺の、言葉はもう、お節介だったかな。もう、お前に余計な助言はいらないよ。それより、青春はほんとに帰ってこない。そこだけは、みんな、平等なんだ。だから、心の隅々まで焼き尽くすぐらいに、燃えてこい。まっすぐにすすめばいい。 一度きりの高校生活、当たって砕けてを繰り返して、もがいて、謳歌して。それがいいんだ。きっと、どんなことも、後から振り返れば、いい思い出になる。そんなもんさ。で、もし、たまに苦しくなったり一人じゃ解決できないことがあったら、また、にいちゃんにいえばいい。お前の話なら、いつだって大歓迎だ。兄ちゃんは、今、お前の成長にめちゃくちゃ感動したんだ。ほんとに、これだけは、忘れないでくれよ。いつだって、お前は俺の1番の誇りなんだってことを」 「急に親父くさいこというなよ。父さんみたいじゃん」 冗談まじりで、やり過ごさなかったら、あやうく泣いてしまうところだった。『一番』なんて、『誇り』なんて、そんな言葉をいきなり出してくるのはずるすぎる。だって、こっちは対抗なんて、できないじゃないか。 その言葉に励まされて、僕は僕自身を認め始める。大晴のように、そんなにまっすぐでも強くもないけれど、それでも、「ねぇ、僕もヒーロになれるかな?一生、大好きな子を守れるような、そんなヒーローになりたいんだ」と、僕は言う。 「なれるさ。お前なら、なんにでも。だって、俺の弟だぞ」 あまりに自信たっぷりにそんなこと言うから、思わず、つっこんでしまった。 「根拠なさすぎだって」 「そうか?」 大晴の白々しい顔が面白くて、吹き出すと、それから、ふたりで笑い合った。大晴がベットにドサリと倒れ込む。 「今日はいい夢がみれそうだ。夢で、お前の彼女に会えるかも」 天井を見ながら、冗談まじりに僕に言う。 「まだ、彼女じゃないって。ほんと、アホだな。そういうところ、全然、変わらないよな。そういえば、明日も早いの?」 「まぁな、一コマ目から授業入れちゃったからな。まだまだ、やりたいことが、たくさんあるんだ。自分の手からこぼれそうなくらい、毎日、知らないことに会って、それがすごく楽しくて、やめられない」 ぐっと腕を伸ばして、目を輝かせる大晴を見て、球場のフェンスから声が枯れるまで応援していた一年前の夏が舞い戻る。才能や努力だけじゃない。一緒にいるだけで、前向きになれる、この感じ。自分のままでいいんだって、思い込む力をくれる。何をしてたって、この先も、大晴は人をひきつけてやまないんだろう。 「おやすみ」 下のベットに潜り込んで、ブランケットをかけると、上から声がする。 「おやすみ。兄ちゃんはいつでも、応援してるぜ」 「おぅ、頑張るよ。そっちもな」 親指を立てて、答えた。兄貴には見えなくても、そうしたくなった。いつの間にか、ガチガチになっていた肩の緊張はとけ、楽しかった記憶ばかりで満たされている。 どんな不満やすれ違いがあったって、最終的に僕は家族を愛してる。そりゃあ、好きだとか、いつもありがとうとか、そんなことを頻繁に言い合う関係でもないし、割と粗雑な感じではあるけど、関係ない。僕はこれ以上に、大切な場所を思いつかない。きっと、それが答えなんだ。 ブランケットに体温が伝わってくると、ドッと1日の疲れに襲われた。それは1日を僕が頑張った証だ。なんの根拠もないけど、全てがうまくいくような気がした。目をつぶって、夢をたぐって、僕はその夜、君に告白することを決めた。僕自身の意思で決めたのだ。
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