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《決戦の前日》
――目を瞑ると、君と会う明日がくるのが、待ち遠しくて、いてもたってもいられない。8月25日。決戦の日のことを思うたび息が詰まっていた、そんな夜も後1日で終わりをつげようとしている。
体育祭の前日だからって、なにかがあるわけじゃなく、授業が進んでいく。「微分して、ここに数字を……」って、ありきたりな話は聞くフリをして、内職をする。今日はチャートから始めよう。大事な模試が近かった。横目で見ると、受験仲間の木崎も化学の参考書を大々的に開いていて、ちょっと笑いそうになる。試験の点数が落ちたら、野崎先生に怒られてしまう。あの人、怖いんだよなって、ため息をついて、ペンを走らせる。学業と恋と部活と委員会、両立しなければいけないことが多すぎて、頭をかかえる。全部、自分がやりたかったこと、誰に押し付けられたわけじゃない。しょうがないといったって、改めて並べ立てるとズンと気分が重くなるのも否定できない。
昼休みの鐘が鳴って、みんなが弁当を食べ出した。いつもは水嶋達とご飯を食べることが多い。が、今日はいてもたってもいられなくて、一気にサンドイッチを口にいれて、スープと一緒に流し込むと、音楽室に向かった。次の授業が始まるまで、音楽室は解放していた。練習に使っていいという名目らしいが、単に音楽担当の森山先生がいちいち鍵を締めるのが面倒になって、習慣化したらしい。当然、楽器庫の方は鍵が閉まっているが、それでも、軽音や音楽選択の生徒には重宝されている。
音楽室に一番乗りしたのは、初めてだった。一人になりたかった、僕には好都合だ。防音になっているせいだろうか、薄暗い教室内をあるくと、宇宙に迷い込んだような気分になる。耳を塞ぎたくなるほど忙しない教室から、空調の音が聞こえるほど無音の音楽室にいると、落ち着く。全ての警戒心を解いて、閉じこもる、ここは自分だけの孤城。泣いたって、叫んだって、誰にも知られずにすむ。
なんとなく窓辺に座って、ギターを弾く。手慣れたコードをなるだけで、曲にはならない音の中で、あれこれ考えてしまう。僕が告白をした後で、君はどんな言葉を返すだろう。予想ばかりが積もって、山のように膨らんで、妄想の防波堤は、今にも溢れんばかりに軋んでいる。良くも悪くもなんて他人事の前置きがあるけれど、悪い方の未来で僕はきっと、生きていけない。きっと、君に振られたら、心臓が爆発してしまう。今だって、血が沸騰しそうなくらいだ。
1週間前から、セリフは決めていたし、最近の感じなら、断られることなんてないさ。大丈夫、俺ならやれると、胸を強く叩いて、深呼吸をした。が、もう一度、心を覗くと、もう、空っぽだ。朝からこんな調子だ。自信はつくっただけ、すぐに抜けていく。合宿中にどれだけ、ご飯を食べても痩せていく現象と似ている。
ここの窓から覗くと、校庭が見渡せる。たなびく、国旗のフラッグが僕の焦りをさらに駆り立てる。次第に時間は近づいていくのだ。時計の針が前に進むことを咎めたくても、僕は学者じゃないから、セシウムだの難しいことはわからない。ただ、君に告白するまで、時限爆弾は外れない。
君とあう時はいつも、校門の前が集合だった。僕が君が手を振りかえす。それだけで、嬉しくて、ただ、嬉しくて、はしゃぐ。僕の気持ちは、初心なままで、全然、薄れも掠れもしない。
僕は体育祭の実行委員の最終打ち合わせで、君は部活。ランニングトラックが使えなかったので、今日は公園の方で走っていたらしい。夏至は過ぎたが、まだ、夜の足は早い。放課後、帰りが遅くなったって、魔法のように、君の周りだけが輝いて見える。
思い切り、息を吸う。
「あのさ、」と、言いかけて、前にいた君が振り向く。僕の視界がフェルトを水につけたように小さくなって、すごい速さで縮んでいく。断られたら、どうしよう、その思いが僕の決意をあっさりと、潰していく。
「そんな顔して、どうしたの?」と、君は笑ったが、僕は「ただ、呼びたくなったんだ」と、スカした顔をした。情けない。情けなさすぎる。プライドがボキボキに折れる音がした。
「ほんとに?呼びたくなっただけって、そんなことある?」
君が訝しむ声の中で、「なんでもない」と、ごまかし続けて、この話は終わりになった。というか、終わりにさせたんだ。
学校から帰って、君に『明日、会いたい』と、遅れて送信した。どんな文で伝えたのかも、あまり思い出せない。時々、ラインのトーク画面を見返すことがあっても、そこだけは高速でスワイプして、飛ばして振り返ることもしないからだ。
その日、ずっと頭に一枚夕食のハンバーグを派手にパーカーにこぼした。
熱でもあるんじゃないの?と、母に心配されて、温度計で測ると、36度8分、微熱があった。いっそ、このまま、病欠してしまおうか、そんな考えが一瞬よぎる。なにかを考える前には、もう、逃げる用意ばかり用意周到になっている。僕の臆病には、何度も失望したって全然、足りない。強くなったなんて、大晴はあの時、僕にいってくれたけれど、そんなの勘違いだった。木曜は毎週フットサルサークルがあって、大晴の帰宅は遅かった。大晴の前なら、こんなこと思わなかったはずなのにという妙な確信が余計に僕を惨めにさせた。
新しく始めるということは、つまり、当たり前にあったものを自分の手で壊すこと。この関係をバラバラにして、少し前のみたいな、君との繋がりのない世界に戻る勇気がこれっぽっちもない。ならば、「明日は絶対、休めないから、寝てくるわ」母親にいってからの行動は、自分でも驚くぐらい早かった。薬を飲んで、寝室のドアを閉じて、そのまま電気もつけずに床に座りこんだ。そこまで、10分もかからなかった。頭を掻きむしったって、なにも出てこない。逃げ癖が治らないなら、逃げられないように環境から追い込むしかない。最終手段だ。
僕は僕自信の弱さに反吐が出る。それでも、僕は僕以外になれない。誰かになりたいと思って、描く未来なんて、なにも意味をなさない。弱さの前でゴロゴロしてたって、進みやしないのは知っている。明日、学校に行くことを宣言しておかなきゃ、本当に学校に電話をかけることになっていただろう。
こんなに苦しいなら、恋なんて初めからしなきゃよかった。スタートを切ったから、進まなきゃいけなくなったんだ。こんな最低なことばかり奴に惚れてくれる人が、どこにいるだろう?ポジティブは誰かのほんの一言でなくなるのに、ネガティブはとことん終わらない。
今だって、君に嫌われるのが、死ぬより怖い。全然、解決していない不安を消したくて、枕を叩いたって、同じ形に戻るだけ。この震えを解決する方法なんて、世界でいつだって、ひとつしかないんだ。わかっている。
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