《レンズの中の君》

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《レンズの中の君》

(序章) 数日後に、『デートは横浜がいいな』と、君がラインをしてきたから、僕は『いいね』と、返した。――もう、夜が怖くない。君といないベットの上でさえ、君の温度を僕の延長線に感じて、僕はまた、明日の訪れに胸を躍らせる。 (重なり始めた記録) やっと、キスをした瞬間、君を幸せにしたいと思った。キスは甘かった。スマホで調べた時には、なんの味もしなかったなんて、書いてあったけど、あれは嘘だ。全世界の人に、鼻高々に自慢してやりたい。 ――確かに、キスはコットンキャンディみたいに甘かったんだ、って。 君が漏らす吐息が、かすかに耳元にかかる。時々、身長差のせいでなってしまう、上目遣いが暴力的に可愛くて、僕を殺しにかかっているのかなと、疑いそうになる。いつの間にか、gこんなに距離が近くなっていたんだと、思う。僕が触れるたびに、君が笑ってくれることが、君が僕を愛してくれることが、まだ、信じられない。もし、こんなに素敵な夢があるなら、このシーンを一生繰り返したまま、醒めなくていい。 観覧車が上って、少し強い揺れがした。一瞬、二人とも様子を伺ってた。でも、幸運だったのは、前のゴンドラのカップルに様子が丸見えになっていたのに気づいたのが、僕だけだったことだ。 君が知ったら、恥ずかしがるだろうな。そう思って、すかさず、君の顔を戻す。そのまま、覆い被さるように、抱きついて、また、キスをする。不自然な気もしたけれど、どうしても、ここでやめたくなくなかった。柄にもないことをしても、君が受け入れてくれる、幸せがじんわりと僕の熱を上がらせて、ブレーキを簡単に壊してしまう。こんな小さな手も瞳も唇も、口の中さえも、全部、僕のもの。お願い、観覧車の降りるまでは、そう思いあがらせて欲しい。遠い世界にいた君に触れるたび、僕も少しは君に近づけた気がした。 ゴンドラを降りても、しばらくは無言だった。きっと、君以外だったら、苦しかった。沈黙は得意な方じゃない。でも、この沈黙は全然、気にならない。CDのギャップみたいに、むしろ、さっきまでの幻を引き立てるから。 君は「寒い」と呟いたけれど、僕はすごく暑かった。この火照りが冷めるまでなら、僕は無敵な気がした。順序違いが、一層、勢いに任せて、手を繋ぐ。初めて、僕と君の歩調が揃う。少しずつでいい。こうやって、紡いでいきたい。 gそこで、気づく。手を繋いだこともないのに、キスをしてしまったことに。ちょっとした手違いにおかしさを抱えながら、その小さな違和感や順序違いの不恰好も、なんとなく気持ち先行の僕ららしくて、鼻の潰れたパグのような愛着が湧いた。 君の手を引いて、「なんだか、夢みたいだね」っていうと、「私も同じこと思ってた」と、君が返した。  でも、そのセリフは皮肉にも的を得ていた。僕は確かに、その日まで夢を見ていた。君とずっと、何事もなく、平穏に生きていける未来が用意されていると、思い込んでいたんだ。
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