《重なるレンズ》

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駅まで、ゆっくり歩いて20分ほどの道のり。サプライズもアクシデントもないのに、1ヶ月前に家族と来た横浜とは比べ物にならない。 向かいから歩いてくる栗毛のゴールデンレトリーバーをさして、かわいいねって、私がいうと、うぅん、かわいいけど、やっぱ、猫が一番かなと、あなたが返すから、いやいや、犬がいいんだって、特に柴犬。あのくるくるの尻尾がめちゃくちゃかわいいんだよなんて、くだらない一悶着を起こした。まぁ、ぶっちゃけ、別に結論なんてどうでもいいから、気づけば、アスファルトの上を飛んでいた。いつの間にか、白線渡りが始まっている。あ、落ちた、落ちてないとか、なんの賭けもない勝負に、ちょっとムキになって、ゲラゲラと遠慮なく、笑い合っている。 そうやって、あなたとしか作れない普通が、この先も積もっていきますように。突拍子もないことなんていらない。あなたと歩けば、どんな道も誰も歩いたことのない新雪の銀世界みたいに輝いてみえるんだ。 商業ビルの中にプランターとあの喫煙所が顔を出すと、え、もうって内心、驚いた。地縁がなかったのも相まって、駅に着くまで予想より、余計なことは考えずに済んだのはよかったけど、にしても早すぎる。8時20分、駅の時計を見ると、もう、こんな時間なんだねと、あなたが呟いて、私も深く頷いた。あなたはなにを思っているのかな。 このタイミングで、門限を聞くのはあからさま過ぎるし、初めてのデートでそこまで踏み込んでいいかも分からない。私たちはまだ、高校生。やりたいこと全てを、自由にできる年じゃない。 『2ヶ月なんて、まだ他人だよ』昔、恋バナの最中に友達が言っていた言葉が、思考の隙間を流れていく。じゃあ、いつ他人にじゃなくなるの、今になって、その答えを聞いておくべきだったって、後悔する。こんな独りよがりのわがままで、あなたを困らせる程の勇気はない。 改札を通って、定期の音がなって、胸が痛くなって、ホームまであと一メートル。気持ちを悟られないように、一気に決めていたセリフをはいた。 「私、こっちだから」 まだ、一緒にいたいなんて、素直に言える女の子にはなりたかったなって、振り返る間に引きつった顔を、なんとか笑顔にして振り返ったら、 「もう暗いし、送ってくよ」 その言葉にえ?って、固まる。予想外の言葉に、棒立ちになる。それから、「だから、僕もこっちだよ」って私のいく方を指すから、本当にいいの?と、ダメ押しの確認に、「彼女をひとりで帰らせるわけにはいかないでしょ」と、あなたが当たり前の顔をして、頭を撫でてくれたから、危なく泣きそうになった。 負担の量を一概に愛情として量るのはいけないことは理解していても、あなたの家の方向が私と真反対だったから余計、私のために、こんなにしてくれるんだって、感動で満たされてる。愛とか優しさとか掴んでいるのか分からないものより、はっきり見えるものの方が安心してしまう。きっと、これも私の悪い癖、でも、今夜はいいかもしれない。私の前を歩く、あなたの背中をちゃんと焼き付けて、ありがとうと、後ろから声をかけた。 休日の夜の東京向きの電車は比較的、空いていた。横須賀線のボックスシートに寄りかかって、結構、疲れたねと、眠そうに伸びをして、大きな欠伸をした、あなたはさっきすれ違った犬にそっくりで、くるりと跳ねた髪の毛を撫でたくなった。が、途中まで指を伸ばしかけて、サッと手のひらに隠す。どうしたのって、あなたがこっちをみると、ううん、なんでもないよと、遠慮がちに首を振って、横に向いていた肩を定位置に戻す。 斜め前の席で、サラリーマンが睨んでいたのだ。すごく、怪訝な顔をしていた。電車の中でやってるのも悪かったかもしれないけど、そんな露骨に嫌な雰囲気を出すことはないじゃないかと、腹が立って、視線を落としたまま、その人の様子をこっそりと伺った。型崩れたスーツと浮き輪のように膨らんだお腹を突き出して、どしりと座っていた。食べ物を溜め込んで膨らんだ体と、90度近くまで広げた足が、2席分のシートをまるごと占領している。右目の横には特徴的な大きなイボや額に流れる汗が、悪気はなかったけど、どうしても、おばあちゃんの家で見たヒキガエルを連想させた。 飲み会帰りなのか、頬のあたりが真っ赤だ。スト缶を持った手、光る薬指が次に目につく。指にはめられているのは、紛れもない結婚指輪。プラチナのリングには錆びや傷が一つもなくて、新品同様の綺麗な姿でピカピカと光っている。まるで、過ぎ去った青春の栄光を反射する小さな星のように魅惑的で、吸い込まれそうな熱い温度がある。 あぁ、この人にも、私たちのような、恋人の時代があったんだろうか、その遠いと遠い光源にまで想いを馳せると、下らない嫌悪感が切ない気分に席を譲る。いつまでも、心や体は同じではいられない。確かに夜は愛しあっていたはずなのに、魔法が解けたように次の朝には別れてしまう。そんな甘酸っぱい一場面があったのは、なんの物語だっけ? 品川駅のアナウンスの中で、その人は降りていく。ワイシャツに隠された肌には、時間につけられた傷が、どれほど刻まれているだろう。私の太ももについた痣も呼応するように疼く。 扉が閉まり、電車が動いて、「ずっと、一緒にいたいね」と、私がつぶやいたら、あなたは、ほんとに豆鉄砲を打たれた鳩みたいな顔をしてるから、ずっとねって、繰り返す。たまには、こんな逆転もいい。終わりがあるから、今を大切にできるなんて、そんな綺麗事を平然といえる、大人には死んでもなりたくもないけど、対抗するのもダルいから、私は『ずっと』って、あなたの周りで繰り返してやるんだ。 あなたの髪を撫でて、なくなりそうだって、呟くと、なにがって、あなたが能天気に聞いてくるからこの夜のことだよって、答えた。「全部を大切に覚えておきたいのに、そんなことする前に消えてちゃいまいそうで悲しいの」あなたはそれに、なんだそんなことかって風に笑って、胸を叩いた。「じゃあ、君一人じゃなく、僕の中にも入れておけばいい。そしたら、取りこぼさないでしょ」参りましたと、心の声が漏れそうになる。取り止めもない思考に執着地点をつけるのは、いつもあなたの何気なくて、まっすぐな一言。そうだった。私が頭に留めておくのは、永遠を抱きしめる、こんな夜が生涯の宝物だって、それだけでいい。
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