第二話 滾る【アリシア】

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第二話 滾る【アリシア】

 ここが戦場か・・・。いったい、どのくらいの血が染み込んでいるんだろう。  周囲を見渡すと、どこにも逃げ場が無い。 見上げると空・・・とてつもなく広く大きな穴、その中に私たちはいるみたいだ。  魔法陣での移動は初めてだったが気分は悪くない。 まばたきの間に景色が変わった驚きで、少しだけ足元がふらつくくらいだ。    これから・・・。 ◆  「どうだアリシア、初めての戦場は」 後ろから肩を叩かれた。 この声は・・・。  「べモンドさん・・・」 軍団長だ。そこいらの男とは比べものにならないくらい大きな体で、話す時は見上げなければならない。  大地奪還軍の一番上だが、敬称で呼ぶ者はあまりいない。だから私も気を遣わずに名前で呼んでいる。  「思っていたよりもずっと広いです。それにどこからも出られそうにない」 「そうだな、決着がつけばまた魔法陣が光る。出られるのはその時だけだ。・・・見ろ、敵側も来たぞ」 反対側の魔法陣が光り、魔族の軍勢が現れた。  「初めて見るだろ?魔物とも少し違う」 「私は魔物を見たことがありません。街の外に出たことは無いので・・・」 「そうなのか、とにかく違うんだ」 「はい・・・」 話でしか聞いたことが無かった者たち。 私たちと同じような形をしているがまるで影だ。ただ、眼だけが妖しく光っている。    「もう、始まるのですね・・・」 こちらと同じ千の軍勢、私は腰の剣へ手をかけた。  「まだだ。夜明けと共に・・・教えただろ?」 べモンドさんは、私の先走った気持ちを止めてくれた。 慣れている。きっと初めて戦場に来た者はこうなるのだろう。  「失礼しました・・・」 「気にするな。だが、どんな時でも冷静でいることを意識しろ。お前の役目は治癒隊の死守だ。ここが崩されれば負ける」 「承知しています。そして、必ず死守します」 そうだ、私は死守隊。気持ちを鎮めなければ・・・。  「聞いていた通り、武器がたくさん落ちていますね・・・」 落ち着くために、もう一度戦場を見渡した。 そこかしこに剣や槍、戦斧や大槌、朽ちたものからまだ使えそうなもの、戦士たちの形見が残されている。  「なぜ回収しないかは教えてもらったか?」 「まだ使えるものもあるからだと・・・支援隊も全員の様子を見れるわけではないと教わりました」 激しい戦いになるので、当然武器は壊れてしまう。その時に拾って使えるように遺品だとしても回収しないらしい。  「それだけじゃない、意志を繋ぐためだ」 「意志・・・」 「勝利を・・・そういう思いの力もここに残していくんだよ」 べモンドさんは、まだ薄暗い空を見上げた。  きっと多くの死を見てきたんだろう。だから、今の言葉はとても重く感じた。  「まあ・・・落ちた武器に足を取られないようにな。それよりも陣形は覚えてきたか?我々死守隊はどこにいる?」 急に話を変えられた。  今ので闘志が薄まると思ったのかな? ・・・まあいい、戦場のことはちゃんと覚えてきた。  「治癒隊と同じ中心です」 「そうだ。ふ・・・覚えていて当然だな」 前線に突撃隊と遊撃隊、中心には支援隊と治癒隊とそれを守る死守隊、後方には反撃隊・・・たしかこれで合っている。 ここ何十年はこの陣形が一番勝率が高いらしい。  私のように初参加の者は必ず治癒隊の近くに置かれる。 術者たちが絶えず治癒領域を張っているから安全な場所だ。前線が突破されたり、飛ぶドラゴンが来ない限りはだが・・・。  もしそうなった場合、術者たちは治癒を止め守護の結界を張る。 前線の戦士たちも戻ってくるが、その間治癒隊を守り切ることが私たち死守隊の役目だ。  ・・・とは言っても、そこまでの事態にはそうそうならないとも聞いた。 だから初参加の新入りが配置される。まずは戦場の空気を知ってもらうことが目的らしい。    とりあえず、今回はよく見ることに集中しよう・・・。 次も千人に選ばれれば、その時に初めて配置の希望を出すことができる。  もちろん、それが通らないこともある。向き不向きなども考慮されるらしい。  だが血の気の多い者は前線に選ばれやすいと聞いている。つまり・・・私だ。  逆に反撃隊なんかは知略に長けた者たちが選ばれる。 私は面倒なことを考えずにただ戦いたいだけだから前線に行きたい。 ◆  「治癒、守護、支援、どの魔法も素質はないと聞いている」 べモンドさんは私のためなのかずっと話しかけてくれていた。 訓練場にいる時にそうしてくれればよかったのに・・・。  「はい、自分でも前線向きだと思っています」 「実力が高ければ死守隊もあるぞ」 「あまり・・・考えてはいません」 死守隊には精鋭たちが配置される。  最後の最後まで術者たちを守らなければならないからだ。そして、私のような新入りも守ってくれる。  死守隊に実力者が多いのは事実だ。 例えばべモンドさんは、人間側で一番強いと言われている。  訓練場ではたくさんの戦士とぶつかって鍛えてきたが、この人とは一度も手合わせをしたことが無い。 できれば、どのくらいなのかを戦って確かめてみたいものだ。  「まだ十三になったばかりだったな。たしかにお前の歳から戦場に参加ができる。訓練場も十二から入れるようにはなっているが、本当に来たバカは初めてだよ。アカデミーもまだ通っているんだろう?」 べモンドさんはからかうように笑った。 ・・・アカデミーも認めていることだから問題はないはずだ。  「訓練場に来る前から鍛えていたらしいな」 「はい」 「戦いの素質はある。候補だった待機兵を倒して勝ち取ったんだからな」 直前で逃げ出した戦士がいて、私はそこに滑り込めた。  空いた席は一つだけ。 本当は待機兵から選ばれるはずだったが「試すのは自由だ」と言われて挑戦させてもらえた。運が良かったと思う。  「来てみてどうだ?恐いか?」 べモンドさんはやっぱり私を気遣ってくれているらしい。 だが、そんな心配はいらない。    「いえ、正直に言うと・・・血が滾ります」 「ふ・・・滾るか。前線に行きたそうな顔をしているが、初めてのお前をそっちに出すわけにはいかないんだ。まずは与えられた役目を果たせ」 「わかっています」 戦場では統率が要、何度も訓練場で聞かされた。 軍だから個人の考えで乱すことはできない。  「装具も最小限にしてきたな。動きやすさ重視か?」 「そうです。そして治癒隊がいます。なのであってもなくても同じだと思いました」 必要なものは軍からひと通り支給されていた。 私はほとんどを訓練場の棚に置きっぱなしにしている。  「鍛えればあの恰好でも動けるようになるぞ」 べモンドさんの指が一人の戦士に向けられた。  「私は・・・このままで充分です」 全身重装備の者もいる。 たしかに頭は守らなければならないが、兜で視界が狭まるのは嫌だった。 ただ・・・あれで動けるのは尊敬する。 ◆  「べモンド、アリシアなら前線の方が向いてるぜ」 背中に聞き覚えのある声が当たった。  「そして、悪いがガキとも女とも思えない奴だ」 突撃隊のウォルターさんだ。  べモンドさんと同じような体躯・・・私は何度も痛い目を見せられたが、この間やっと一撃入れることができた。  「女と思われたくありません。戦士にそれは無いはずです」 「聞いたろべモンド、こいつは前に出たいんだよ」 「・・・初参加は治癒隊の死守、いくら強くても特別扱いはできない」 「だってよアリシア、残念だったな。まあ頑張れよ、お前なら突撃隊の隊長・・・いや人間側の総大将にだってなれると思うぜ」 前線の突撃隊・・・憧れていた。 きっと熱くなれる場所、私の闘争本能をすべてさらけ出せると思う。  「そういや血の匂いは平気か?」 「私は平気です。むしろ・・・滾りますね」 何百何千以上の血が戦場の大地に染み込んでいて、常人では耐えられないと教わっていた。 千人に選ばれたはいいが、これがダメで辞める者もいるらしい。  「そりゃ頼もしいな。頑張りなよお嬢ちゃん」 突然強い力で背中を叩かれ、前のめりになってしまった。  「あ・・・イライザさん・・・」 「前線に来たいならいつでも歓迎だ」 この人も大きい、同じ女とは思えない・・・。 だが、私もこれからもっと成長するはずだ。  「次どうなるかはわからないけど、結果を気にする前にまずはやるべきことをやりな」 「はい!」 腕力では誰も勝てないと聞いている。 べモンドさんやウォルターさんもなのだろうか・・・。 ◆  空が夜明け色に変わってきた。 もう太陽が顔を出す。  「全軍に告ぐ!もうじき夜明けだ!今回も勝利を手にし、大地を返してもらうぞ!!」 静かな戦場にべモンドさんの大声が響いた。 始まるのか。・・・自然と拳を握ってしまう。  「支援魔法の詠唱に入れ!治癒隊の範囲からは絶対に出るなよ!!」 戦場の端まで届きそうな声・・・体が熱い。  「周りをよく見て戦え!負傷者は必ず治癒魔法の範囲内まで戻すことを優先しろ!そして治癒隊は戦いが終わるまで頑張ってくれ!我々が必ず死守する!!」 治癒隊は戦いの始りから決着まで魔法を唱え続ける。そのため想像を絶する集中力と精神力が必要だ。  「攻め込め―!!!!!」 夜明けと共に戦士たちの雄叫びが上がった。 ・・・行きたい、でも抑えなければ。 ◆    退屈だ・・・。 戦いが始まったのに、私はただ立っているだけだった。 なにも無ければいるだけの隊、これでいいのだろうか・・・。  鉄と鉄がぶつかる音、雄叫び、舞い上がる砂煙、前線では激しい戦闘になっているようだ。 私も・・・私もあそこで叫び、ぶつかり、剣を振って・・・。  「抑えろアリシア」 「はい!」 分かっている。まずは与えられた役目を果たさなければならない。  初戦で指示に従わない者は二度と戦場への参加はさせてもらえない。 統率を乱すものはいらないのだ。 でもせっかく来たのに、ただ立っているだけは嫌だな・・・。 ◆  「アリシア、かいくぐってきたものが四体・・・お前が行け」 体の熱が限界まで上がった時、待ち望んでいた機会が来た。 ふふ・・・やっと動ける。    「無理そうなら助けてやるが・・・前線に出たいならあれくらいは一人で片づけてみせろ」 「はい!」 私は駆け出した。  「アリシアにやらせる!他は動くな!」 前線のおこぼれだが私の力を見てもらえる。 ◆  「ここから先へは行かせん!」 私は向かってくる魔族を睨みつけた。 四体、人型だが不気味な奴らだ。  魔族の軍勢は声一つ出さない。私たち人間とは違い、言葉以外で意思の疎通ができるのだろう。 まあいい、まずは一番近い奴・・・。  「お前からだ!」 靴を擦り、間合いを詰めた。 敵も武器は剣・・・。  「遅すぎる!!」 腕を振り上げきったところで柄を斬り上げると、敵の剣は大袈裟に宙を舞った。 よっぽど速いなら別だが、この程度なら隙を見つける必要もないな。  「消えろ!」 首元を一突き、倒れた魔族はその場に残らず大地に吸い込まれていく。  ・・・これも聞いていた通りだ。 戦士たちは、これを「喰われる」と呼んでいた。たしかにそう見える。  「・・・私が隙だらけに見えたか?」 背後から残りの三体の気配を感じ、振り向き様に薙ぎ払った。  「ちっ・・・」 二体は仕留めたが一体には受け流されてしまった。  油断・・・片づけたと思ったのに・・・。 払った剣は戻せない・・・そして、この反撃は躱せない・・・。    「ぐ・・・」  私の左腕から血が流れ落ちていく。 躱そうと無理に体をひねったが回避しきれなかった。  気にしている余裕はない。 すぐに私も反撃に出た。 攻撃後・・・私が見せたのと同じ隙だ。  「戦場で初の傷だ。このことは覚えておこう!!」 敵が防御のために戻した剣ごと叩き斬った。 最後の一体も倒れ、大地へ喰われていく。  倒した・・・うまく決まった。 なにより気持ちいい・・・。 ◆  「ご苦労、傷はすぐに治ったな」 私は配置に戻った。 ああ・・・楽しかったな。  「はい・・・治癒領域の中だったので。・・・ですが、攻撃を受けてしまいました。恥ずべき事です」 言いながら高揚していた。  「同じ油断をしなければいい。敵が完全に喰われるまでは気を抜くな」 「はい!」 傷を負った時、敵を倒した時、今まで感じたことのない興奮があった。  ケンカがお遊びに思えるくらい全然違う。 命のやり取り、もっとあの感覚を味わいたい。  もっと・・・こっちに回してくれ・・・。 ◆    『そこまでだな。今回は人間の勝利だ。大地を返そう』 うずうずしながら待っていると、どこからか声が聞こえた。  これが神の声か・・・。 生き残った者たちはいつの間にか戦場の両端に移動させられている。  「あの・・・終わったのですか?」 「そうだ、決着は神が決める。戦いが終わればこうして両方を強制的に離す。猛っているものはまだいるが、それが神の決めた掟だ」 「五百ですね・・・」 「そうだ。それで決まる」 半分、どちらかの軍の生き残りが五百になれば決着となる。 これは神が決めたこと、慈悲というものなのだろうか。 ◆  訓練場に戻ってきた。  「よーし、夜は酒場行こうぜ!!」「みんなで隊長の弔いをしましょう・・・」「新しい武器買わねーとな・・・」 戦士たちの顔は様々だ。  「静粛に!各隊長は集まれ!功労者の選出だ!・・・残った者は点呼、いない者を確認しておけ」 べモンドさんの声でざわめきが止んだ。 これが終わるまでは帰れないらしい。  「アリシア、お前今からアカデミー行くのか?」 ウォルターさんに肩をつつかれた。 現実に引き戻される言葉だ・・・。  「いえ・・・教官に伝えてありますので今日は休みます」 「遊ぶのか?」 「・・・孤児院に帰ります。院長に報告しなければなりません」 「喜んでくれるだろ」 きっとそうだと思う。 ルルたちも褒めてくれるだろう。 ◆  「では解散だ!」 功労者の発表も終わった。 当然だが私は選ばれていない。  「死んだ戦士たちのことは忘れるなよ」 べモンドさんは最後まで真剣な顔だった。 こちら側は三百三十六名の戦死者が出たらしい。すべて前線の者たちだ。  私が前線にいたら・・・。 結局戦ったのは一度だけ、だからまだ熱が冷めていない。 ◆  「アリシア、よく自分を抑えたな」 帰り際にべモンドさんに呼び止められた。 まだ成人前だから気にかけてくれているんだろうな。  「統率を乱すわけにはいきませんので・・・」 「またあそこに行きたいか?」 私の鼓動が高鳴った。  「はい!」 行きたい・・・今度は前線で・・・。  「そうか・・・。まだ半年先だが、次の戦場にも出す」 「本当ですか!」 「ああ、見てみたくなった。前線の突撃隊、ウォルターと同じ隊にしてやろう。死なないようにはさせるが、存分に暴れてみろ」 「はい!」 私は胸を押さえた。  ・・・来た。 次・・・半年後・・・早く戦いたい。
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