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一
梅雨の雨が降り続いていた。
タザキショウが調布の部屋を引き払ったのは、府中にある警察学校を卒業し、研修期間を終え、三ヶ月の初任総合科を経た後である。配属先の警視庁万世橋署に程近い、神田神保町のマンション。警察学校時代の独身者は皆、配属先の警察署に近い独身寮に入る慣習がある。しかし、ショウはそれを嫌い、神保町に4LDKのマンションを購入した。予め元警察官僚で、衆議院議員だった祖父タザキコウゾウに頼んで、話をつけてもらった。そのためか、配属先の上司に良く思われなかったが、購入してしまったものを売却せよとも言えず、例外的にショウの一人暮らしは認められた。警察という組織の古いしきたりで、独身寮を出る者は、結婚または親の介護など特別な理由がある場合に限られる。今回のケースは異例中の異例であり、ショウは着任早々に先輩や上司に強烈な印象を与えた。
独身者を警察寮に閉じ込めておく理由は幾つかある。同じ寮の同じ釜の飯を食うことで、同僚としての絆を深めるという意味もある。更に若いうちに警察の上下関係を徹底的に躾けるという狙いもある。しかし、本当の目的は、緊急な事件や事故に速やかに対処させるため、独身者の首根っこを掴まえておきたいといったところが本音だろう。それだけ警察官の勤務は不規則であり、昼夜を問わない過酷なものがある。
ショウの神保町の部屋は、以前は書籍の問屋街だった一角を再開発して建てられた高層マンションの十四階にある。南側の窓からは皇居と東京タワーが一望できる。首都高を走る車の光の列を見ながら皇居を眺め、ショウは台湾に発ってしまった弟のリュウのことを考えていた。
ミウラユキナとは相変わらずだ。この神保町のマンションを決めた時も一緒だった。
「ショウ、大丈夫か? こんな高そうなマンション借りちゃって」
と目を丸くしたが、契約の際にショウが財布から見慣れない黒いカードを出すのを見て首を傾げた。
「何だ? その黒いカード」
「ああ、これか、これはブラックカードだ、ちょっと待ってろ、すぐ済むから」
カードを不動産会社の担当者に渡すのを見て、不思議そうにしていた。
「登記の方は、お任せください」
ユキナが再び首を傾けた。
「お買い上げ、有難うございます」
担当者の声を聞いて、ユキナが思わず声を洩らし、慌てて口を塞いだ。
「ひょっとして、買っちゃったのかよ!」
ショウが悪戯っぽく微笑む。
「カードって恐いだろ?」
「もう、訳がわからん」
ユキナの声に驚いたギャラリーの客が一斉にこちらを見ている。書類に実印を押しながら、ショウが鼻歌交じりで、鍵をユキナに一本手渡した。
警察の古いしきたりで、結婚前の同棲は認められていない。あくまでユキナが通う形ではあるが、合鍵を持ち、自由に出入りすることができる。しかし、警察とは厄介なところで、年に数回、抜き打ちで上司が独身者の部屋に訪れる。そして部屋の隅々まで規定違反が無いかを調べて行く。部屋の乱れが心の乱れと言わんばかりに、整理整頓を指導される。パソコンなどの新規購入一つにしても上司の許可を必要とする徹底ぶりである。それは入寮しないショウも例外ではなかった。正直、息が詰まる。
神保町はショウにとって、第二の故郷のような街である。盛岡から上京して以来通い慣れた街であり、隅々まで知り尽くしている。調布を離れる時、ユキナには申し訳なく思ったが、彼女も快く賛成してくれた。警察学校での成績が飛び抜けて優秀だったショウは、千代田区管内の万世橋署勤務を希望し、それが叶い、現在は警視庁万世橋警察署地域課の巡査となっていた。
タザキショウ巡査、現在二十八歳。二十六歳の四月に警察学校に入学し、約十ヶ月間、全寮制の学校で警察官としての基礎を身につけた。その後、約八ヶ月間「卒業配置」として警視庁万世橋署に配属された。ここでは研修の意味もあり、様々な課を渡り歩く。地域課交番勤務を二ヶ月、刑事課を二ヶ月、生活安全課を一ヶ月、交通課を一ヶ月、そしてまた地域課交番勤務に戻り二ヶ月を過ごした。そして一度警察学校に戻り、総括的な教育を三ヶ月受け、合計二十一ヶ月を要して、ようやく一人前の警察官として、再び卒業配置で世話になった万世橋署に配属されたのである。大学出の新卒であれば警察学校での教育期間が四ヶ月短縮されるが、ショウは映画の専門学校卒であり、周囲よりも少し長く学校生活を送らねばならなかった。
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