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 真昼の秋葉原中央通り。建ち並ぶ家電量販店に「歓迎光臨」「免税」などの文字が躍る。軽快な音楽と、中国語での店舗案内アナウンスが行き交っている。少し太めで黒髪、ポロシャツ、銀縁の眼鏡をかけた男と、その妻らしき女と子供連れ。彼らは片時も黙っていない。歩きながら常に話している。近寄ればすぐに中国からの観光客だとわかる。ここ数年は、地方からのお上りさんより、中国人観光客の姿の方が多い。中国本土の好景気に陰りが見え始めているとは言え、秋葉原ではいまだ中国人による家電などの「爆買い」が続いている。両手に大きな紙袋を持ち、大声で家族や仲間と中国語で話しながら歩く姿を見ると、思わず苦笑してしまう。パトロール中、知らずに中国人観光客の一団に囲まれ、中国語のシャワーを浴びせられる。ショウは時に、自分が中国にいるのではないかと錯覚を覚えることがある。交番勤務をしている最中も、道を聞かれる、物を紛失したなどのトラブルで交番に駆け込む中国人が多い。そのせいか、自然に中国語に慣れてしまった。ちょっとした日常会話ができるように、中国語で書かれた案内ボードやメモは交番にも備え付けられたほどである。署内でも中国語会話教室などに通う者もいて、地域柄、中国語の習得は推奨されていた。ショウは警察学校時代から北京語を独学で勉強し始め、この二年間で日常会話程度なら不自由しない程度になっていた。交番内でも、中国人が来たらショウに対応を任せるようになり、入庁して半年も経たないうちに、ショウよりも年下の先輩などからは一目置かれる存在となっていた。年齢は関係なく、先輩後輩の上下関係を重んずる警察にあっては、異例中の異例であった。 「タザキ巡査って、自分より後輩とは思えないっすよ」 「先輩、敬語はよして下さいよ、周りに示しがつきませんから」  タナカが顔を紅くした。 「お、おう、そうだな、しかし、タザキ巡査のその落ち着きはどこから来るのかね、この歳になるまで何やってたの?」 「所謂、フリーターって奴ですよ」 「え? マジで? そうなんだ、で、その中国語はどこで覚えたの?」 「独学ですよ」 「そうなの? 俺はまた中国にでも留学していたのかな? って思ったよ、普通、中々独学でそこまで外国語話すの難しいでしょ、英語ならまだしも、中国語は特に」 「秋葉原にいれば、毎日ネイティブな会話聞こえてきますから」 「でもさ、何か明確な目標と言うか、例えば将来は中国で暮らしたいだとか、強い目的でもないと、人間、日々の生活に流されちゃうじゃない?」  ショウは静かに微笑していた。 「先輩は警察に入ってどのくらいですか?」 「お、俺か、俺はまだ大卒で入庁して二年目、歳はまだ二十五だけど」 「では、まだ独身ですか?」 「おお、そうだが、何か?」 「いえ、独身寮に入ったオカダジロウという同期がいるので」  タナカの表情が曇った。 「オカダ巡査と同期か」 「オカダ巡査は元気にやっていますか? 同じ万世橋署勤務になったものの、署内で数回顔を合わせただけで、中々話す機会が無いものですから、少し心配していたんです」  タナカが指で頭を掻いた。何か言いた気に唇を震わせた。 「警察官の寮は独特だから、慣れるまで大変かもしれないが」  ショウから目を逸らした。 「それより、タザキ巡査って、警察学校出て早々一人暮らしなんだって? 本当に驚いたよ、もっと上の先輩たちがどう思っているか知らないけど、少なくとも、俺たち世代じゃあ、君はすでに有名で、堅っ苦しい警察組織に入庁早々風穴を開けた男として、注目されてる。だけど、俺たちのように、君みたいな型破りな人間に期待して、好意的な連中がいる一方で、どうしようもなく頭の固い古臭い考えの奴らも、この警察には多い。目立ち過ぎるのは注意した方がいい。でも、君にはなぜかわからないけど、期待を感じるよ、噂によると、君はマンションを買って住んでるんだろう? やるね、平凡な俺たちには考えられないよ、警察学校卒業して、上に言われた通りに寮に入って、言われた通りに勤務してきただけだから」  タナカが力無く微笑んだ。ショウはそれを見て頭を下げた。
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