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 中央通り沿いの家電量販店から、客と思しき男と、店の制服を着た男が、大型の台車を押しながら出てきた。台車にはノートパソコンや液晶テレビなどが高く積まれている。一見、店で「爆買い」した中国人客と、それを運ぶ店員の姿に見える。二人は路地裏に停めたワンボックスに商品を次々と積み込むと、客の男が助手席に、店の服を着た男が運転席に乗り込み、車を出した。「秋葉原駅前交番に盗難の通報が入ったのは、それから十分程してからである。ショウたちはすぐに現場に駆けつけた。容疑者の中国人が使用したクレジットカードは、フランスで実在する人物のものだった。盗難届けは出ておらず、何らかの方法でカード情報と暗証番号が洩れ、偽造されたものだとわかった。都内では中国人による同様の事件が多発していた。その使用された偽造カードの多くがヨーロッパ諸国に実在する人物のものであることから、フランスを拠点として暗躍する、国際的な窃盗団によるものと思われた。「Pluie de juin」直訳すると「六月の雨」。その組織は国際警察の間ではそう呼ばれている。謎に包まれた部分が多く、日本の警察においても確かな情報は無かった。ショウはかつてその名前を二度耳にしたことがある。一度目は祖父タザキコウゾウの口から、そして二度目は、以前歌舞伎町の「エフ」という店に潜入した時、その場に居合わせた中国人から聞いた言葉だ。あの時は何を意味する言葉なのかわからなかった。後に調べたが、国際的な犯罪組織の俗称であるということ以外情報は得られなかった。両親が殺害された事件と何か関係があるのではないか? 歌舞伎町の中国人を問い詰めるべきだった。過去の事件と繋がる男を逃してしまった。けれどもあの時の自分に何ができたであろう。自分の両親の事件を追っているというのに、どこか遠くの国で起こった他人の事件のような感覚。全てがバラバラで砕け散ったジグソーパズルのようだった。虚しさという感情が近くなり、そして遠ざかって行く。ショウは過去の記憶にそっと触れようとする。あの日の夜、自分は確かにパリにいて、弟のリュウと二人部屋で眠っていた。けれどもその景色の先はいつも雨が降っている。土砂降りの雨。窓を開けると猛烈に飛び込んでくるような雨が記憶を遮っている。眩暈がした。過去にそれ以上の記憶に触れたことは無い。  秋葉原駅前交番からはショウの他に先輩巡査が駆けつけたが、すぐに万世橋署刑事課に引き継がれ、ショウたちはまた元の交番勤務に戻った。目の前で中国人窃盗団による事件が起きているというのに、ただ指を咥えて見ているのは耐え難かった。捜査の詳しい情報が知らされるわけでもなく、毎日外国人の道案内や少年の万引き補導、取得物の処理、酔っ払いの喧嘩の仲裁を黙々とこなさねばならない。そして何よりもやり切れないのは、事件の経緯や結果を警察官でありながら、新聞やテレビのニュースで知ることだった。署に戻り詳しく事件について知ろうとしても、巡査という立場では制限がかかった。例え知ったところで、交番勤務を抜け出して直接事件に関与できるわけではない。気持ちはいつも晴れなかった。  ちょうどその頃、都内のコンビニエンスストアのATMで、偽造カードにより、一斉に現金が引き出されるという事件が起こった。短時間に数百箇所のATMで、不正な現金の引き出しが行われたにもかかわらず、銀行システムはその不正を感知することができず、システムの脆弱さを露呈する形となった。犯人らしき人物を映していたのは、コンビニエンスストア店内の防犯カメラのみであり、実行犯の殆んどが、顔を隠した十代後半から二十代後半までの国籍不詳の男たちだった。一部のコンビニエンスストアの店員の目撃証言で、アジア系、それも中国系の言葉を話していたという。その「出し子」と呼ばれる若者たちは、日本人も含め、数人が数日以内に検挙もしくは補導された。しかし彼らは事件について何も知らされておらず、単に街で声をかけられ、小遣いを渡され、軽い気持ちでATMから現金を引き出す作業を手伝わされたに過ぎなかった。彼らは街の不良少年というよりも、どちらかと言えば「普通」の若者であり、罪の意識も希薄だった。逮捕した中国人留学生数人から「陳」という共通の男の名前が浮上した。実際に会ったことは一度も無いが、携帯電話の声を聞いたことがあるという男から、陳が、中国南東沿岸、福建省あたりの訛りがあると証言した。中国福建省は台湾に程近く、台湾海峡を挟んで向かいに位置している。上海などの大都市にも近く、古くから内陸部の人間の海外進出の要地として栄えてきた。どちらかと言うと、地域的には気性が荒く、「福建マフィア」と呼ばれる荒くれ者も多い。「蛇頭」という言葉を聞いたことがあると思う。蛇頭とは、中国内陸部、特に黒龍江省などの東北部の貧しい農民を、日本などの海外に密航させる福建マフィアのことを言う。今回の偽造クレジットカードでの現金不正引き出し事件も、この蛇頭がらみではないかと警察は見ていた。  千代田区管内秋葉原地区も例外ではない。岩本町東交番から程近い、靖国通り沿いにあるコンビニエンスストアでも、不正に現金が引き出された。その様子を岩本町東交番に勤務するオカダ巡査が目撃している。ジロウが自転車でパトロール中に、コンビニエンスストアのATMの前で、不審な動きをする二十代前半の男を見つけた。サングラスをかけ、店員を気にかけながら数枚のカードを交互にATMに差し入れている。首尾よく現金を封筒に入れる時もあれば、機械に弾かれたカードを折り曲げ、何やら呟いているのがわかる。引き出した現金は一度に数十万。それを無造作に封筒に入れ、しきりに腕時計で時間を気にかけている。ちょうど十分きっかりで店を出た。そして店の前に停めてあった自転車にまたがると、するりと路地を曲がって行った。ジロウは掌に、滴るほどの汗をかいていた。鼓動が耳元で鳴っている。いつもとは違うルートになるが、その男の後をつけた。 しばらくすると、その男はまた時計を気にしながら同系列のコンビニエンスストアに入り、ATMの前に立った。これは絶対に怪しい。経験の浅いジロウにもすぐにわかった。ジロウは無線で署に連絡し応援を呼んだ。すると、男が異変を感じたのか、慌てて店を出てきた。ジロウは時間稼ぎに、盗難自転車を調べるふりをして職務質問を試みた。しかしそれが逆に男を刺激したのか、男は制服を着たジロウの姿を見るなり、走って逃げた。男の足は速く、運動の苦手なジロウは見る見る離され、完全に見失ってしまった。男は昭和通りを上野方面に逃走した。無線で伝えるも後の祭りだった。岩本町東交番に戻ると、オニズカが待っていた。 「オイ、テメェ、やってくれたな! 犯人捕り逃がしやがって」 「す、す、すみません」  ジロウが目を瞑ったまま頭を下げた。 「犯人の特徴は? 顔見たんだろ?」 「は、はい、ですが、一瞬のことだったんで覚えてません」  オニズカは舌打ちした。 「何だと? 覚えてないだぁ? お前、そんなんでよく警察官やってんな、完全に警察ナメてんだろ? 全く、犯人と面と向かって、ビビッて捕り逃がしただけじゃなく、顔も特徴も覚えてないだぁ? 呆れるぜ!」 「す、す、すみ、すみ・・・・・・ません」 「大体、その吃は一体何だ、警察官のクセして、そのオドオドしたようなしゃべり方が気に食わねぇんだよ」  オニズカが交番の事務机を叩いた。同僚の一人が、まあまあと言いながらオニズカの肩に手をやった。ジロウの指先が震えていた。店から出てきた容疑者の顔を一瞬見たにも関わらず、黒いサングラスばかりが印象的に脳裏に甦って、顔を構成する鼻、口、顎、眉、輪郭、その全てが思い出せない。今となっては男が着ていた服の色さえ、わからなくなっている。サングラスだけが宙に浮いているだけで、他は全て、白い靄がかかっているようである。 「犯人の年齢は?」 「たぶん、二十歳くらいだと思います。痩せ型で・・・・・・」  オニズカは腕を組み、細い目の端でジロウを睨んでいる。 「や、痩せ型で、たぶん、日本人ではないと思います」 「どうしてそう思う?」  ジロウが顔を紅潮させて下を向いた。オニズカがチッと舌打ちした。ベテランの巡査長であるナカムラが咳払いした。 「残された自転車は盗難届けが出ている。先月、豊島区内で盗まれたものだ」 「豊島区? 何でそんな遠くから、秋葉原まで来て悪さしてんだ、全く」 「でも、池袋は中国人マフィアの巣窟みたいになってるんだろ? 近頃は池袋のチャイナタウンが大問題になってる」  仲間の誰かが言った。 「オイ、オカダ、お前、責任とって、池袋のチャイナタウンに一人で行って来い」  オニズカが笑う。ジロウは顔を真っ赤にした。 「そ、そんな」 「お前みたいなのはな、一度、奴らに殺されてみなければ、自分の犯した失敗に気がつかないんだよ」  さすがに度が過ぎると思ったナカムラが割って入る。 「まあ、オニズカ巡査、それくらいにしておき給え、オカダ巡査はまだ一年目だ」  オニズカはそれでも不服そうだった。 「この役立たずが」  ジロウはその場にしゃがみ込んでしまった。
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