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咳払いなどとわざとらしいことはせず、ペットボトルの水を一口含んだあとで、侑樹のターンが再開した。
「ってことはさ。無菌室で作ったような綺麗事で一喜一憂してる連中より、俺らの方がよっぽど人間臭いんだよ。インスタに載せる写真のためにオーダーした食い物を食わずに捨てたりする奴も、やたら死にたがるくせにプロフにAmazonの欲しい物リストのURLを貼ってる奴も、みんな同じ人間なんだ。自分がここにいるんだってことを、この世界に間違いなく生きてるってことを認めてほしいだけなんだよ。そして俺も、唯さんも、また同じだ」
「わたしは出されたものは残さず食べるよ」
「知ってるよ。ゼミの飲み会の時だって、唯さんの皿だけは少し経つと空っぽになってたし」
「よく見てるね、そんなとこ」
「こんなつまんねえ飲み会に出てやってるんだから、せめて食いたいものは全部食ってやるぞ……って顔をしてた。だから予感はしてた。唯さんも、俺と同じようなことをずっと思ってるんじゃないかってこと」
当たっていた。わたしは飲み会が苦手だし、そもそも大人数で群れることは好きではない。話題に入っていけなくて、人だかりに吞み込まれて、最終的に一番下で踏まれ続けてぺちゃんこになるのが目に見えているからだ。だから本当はキャンセルしたかったし、会場にみんなで移動しているときから、さっさと帰りたかった。
そういえば―――。
「あの時は、きみが連れ出してくれたんだっけ。一般人には理解しがたい話題を繰り出してきてさ」
「理解しがたい、って言うなよ。ディープな話題って言ってくれ」
「確かに深かったね。でも、相手との共通項が見つかった時って、そんなものなのかな。わたしたちは好きなアーティストが同じだったし」
「そうそう。しかもまだ、あんま名前も売れてなくて、メジャーじゃないやつ」
「同志がいたーってお互いにテンションが上がって、誰も話題に入ってこれなくなったから、おかげさまで自然と一次会で逃げられたよね」
「あれはよかったな。ぶっちゃけ、俺も一次会でとっとと帰りたかったんだ」
「にしても、よくわかったね。わたしも同じアーティストが好きだってこと」
「持論」を口にしたことで、少し重たい色の雲がたちこめていたわたしの気持ちはいま、自然と少しずつ明るくなりはじめていた。昔も今もこれからも、誰彼構わず自分をさらけ出そうなんて絶対に思わないけれど、まさかこんなに近くに共振してくれる存在がいたとは。そう思うと、少しだけ抱えていたものの重さが軽くなった心地がする。
しかし何気なく視線を移してみたら、リラックスしはじめたわたしと裏腹に、さっきまで気楽な調子で言葉をならべていた侑樹の表情が曇っていた。思わず、いつの間にか顔にはりついていた笑みをはがして、彼に訊ねる。
「うん? どうかしたの」
「あのさ、そろそろわかんないかな」
「なにを?」
「俺は、そんなふうに人間臭い工藤唯さんのことが、ずっと気になっていた……ってことをだよ」
侑樹からしてみれば、誰が見ても明らかな三流マジックを繰り出しているだけだったのかもしれない。しかし鈍いわたしは、彼がそうやってはっきりと言葉にして伝えてきたことによって、ようやく彼が本当に伝えたかったことを理解したのだった。
下の名前でなくフルネームで呼んできたのは「他の誰かでなくお前のことだぞ」という、彼なりの作戦だろうか。そういう風に言わなければ、わたしはきっとすぐに、逃げる言い訳を考えついてしまうから。
無理だ。彼はずっと前から、同じような景色が広がる草原のなかで、わたしのいる座標を見つけていたのだ。そして簡単にはほどけないように、彼は自分とわたしのことを、共通項というたくさんの紐で結び付けていた。そして今、冷たくて長かった季節を越えて、新しい感情がわたしの胸の中で芽生えはじめている。光を浴びながら、倍速再生するみたいに、すっと上を向いていく。
どんな形であっても、一度この世界に生まれたものはいつか訪れる死に向かうだけなのだ、という気持ちに変わりはない。そう思うと全部どうしようもない気持ちになってしまうけれど。それでも、この気持ちもまた、わたしの命が生み出したもののひとつで。
ああもう、面倒臭い。難しい言い回しでカッコつけようとするな。
わたしも彼も、ただの人間でしかないのだから。
急にくすくすと笑い始めたわたしの前で、侑樹はレジで財布を開いたらスッカラカンだったみたいな、バツの悪そうな顔をしている。しくじった、と顔に書いてあるようだった。
「なんだよ」
「きみはさ。さっき、人間なんてシンプルなんだよ……みたいなことを言ってたけど、なかなかまどろっこしいことをするんだね」
「いけないか?」
「そこまで言ってない」
「その先には行けないのか?」
「ううん。むしろ完璧に先回りされてるのに、わたしに勝ち目なんかないよ。きみのおかげで、わたしは自分自身を認めてあげたい気持ちになったから」
言い切ると、席を立った。鞄を手繰り寄せて、タブレットや本を鞄に突っ込み始めるわたしを、侑樹はポカンとして見つめている。
仕返しとばかりに、わざとらしく手を止めて、彼のことを見つめ返してやった。数秒間見つめあって、やがてわたしがその「にらめっこ」に耐えられなくなって吹き出すと、彼はさっきわたしがやったみたいに唇を尖らせた。
「あっはは。やっぱり沈黙って、時に何もかも全部を面白くするよね」
「なんだよ、急に見つめてきたと思ったら」
「ほら、きみも早く片付けなよ」
「へ? 俺もか」
この瞬間、彼もただの人間だということを再確認できて、わたしはとても気分がよかった。
ぐっと顔を近づける。さて、この男は今後どれだけの時間、わたしを認め続けて、考え続けてくれるだろうか。想い続けてくれるだろうか。きっと、いつか来る何らかの「終わり」までは、わたしも彼もその答えに辿り着くことはない。
けれどせっかく芽が出たのだから、できるだけ長い間、ぴんと背筋を伸ばして花を咲かせていたい。願わくは、彼にもそう思ってもらえるとよいのだけど。
そんな想いを込めながら、彼に向かって囁いた。
「今日だけ特別に教えてあげる。交際記念日を大切にしない男は嫌われるよ。覚えておきなさい」
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