ただひと夏の打上花火

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 夕焼け空に紫の影を湛えた雲が流れる。かあ、とカラスがひと鳴きしては去っていく。  ずらりと並んだ屋台にぽつぽつと明かりがつきはじめた。じゅうじゅうと鉄板が音を立てる。香ばしい匂いが鼻腔を刺激する。どの店も人の頭をよけなければ売り物が見えず、看板を頼りに進んでいった。  人混みをかき分けていくと、見覚えのある人影が視界に入った。 「あ、ミサキ! いたいた」  彼女の名前を呼びながら近づく。わたあめ屋の前でわたあめが形成されるのをじっと見つめていた。彼女はちらりと視線だけこちらへ寄越すと、一拍遅れて首ごとバッと振り向いた。 「シオリってば、やっと来たの? もう、待ちくたびれちゃったよ」  ミサキは溜め息をつき腰に手を当てた。彼女のほうが頭一つ分高かったのに、今では口元あたりに目線が合うようになった。 「ごめんごめん。……っていうか、むしろ私の方が時間どおりなんだけど?」  シオリとて時間にルーズなわけではない。盛大に息を吐いた。  彼女は確かに、と同意するとちらっと舌を出した。 「せっかちっていう悪い癖が出ちゃったかも。それにシオリに会えるって思ったら居ても立っても居られなくなって」  てへ、などとおどけて見せる。シオリも苦笑すると、二人して視線をわたあめ屋へ戻した。 「ミサキもわたあめ食べる?」  それとなく提案すると、彼女は少し迷ったように唸ったが首を横に振った。 「いいや。シオリが食べて」  ふわふわの雲のようなわたあめ。入退院を繰り返していた小さい頃は、めったに許されなかった外出にはしゃいだ。特に祭りならなおさらだ。初めての祭りでわたあめを見た時、雲と同じ成分でできていると思った。同時にミサキとの思い出も蘇る。 「昔はミサキも好きだったよね、わたあめ」  透明な仕切りの向こうでぐるぐると棒が回される。空を切るだけのそれは半透明の糸を纏わりつかせる。 「そういえばそうだったなあ」  ミサキの目も棒につられて動く。  ぐるぐる、ぐるぐる。  糸はみるみる白くなり、膨らみ、あっという間に大きな綿になった。 「もう全然食べなくなっちゃったから、忘れてた」  真っ白な綿にさっと袋が被せられると、また違った様相となる。  ミサキの目はわたあめに釘付けだ。子供のように無邪気なその目に、思わずふっと頬を緩めた。  彼女はさらに、その目をこちらへ向けて言った。 「そんな感じだから、シオリが食べてよ」  口角を上げにっこりと笑う。薄暮にも燦々と輝く強力な笑顔だ。シオリも「そっか」と頷いた。 「じゃ、お言葉に甘えて」  一つだけわたあめを買う。ピンク色のビニール袋にみっちり詰まったそれは、見た目とは裏腹に片手で軽々と掴めた。袋にはキャラクターのイラストが描かれている。 「あ、これ『ぶりっこ仮面』ってやつだ。今流行ってるっていう」  流行に疎いシオリでもピンときた。テレビやネットでも取り上げられ、社会現象といわれるほどの盛り上がりを見せていた。  わたあめを覗き込んだミサキは「ふーん」とだけ反応した。 「それなら、あのお面もそうじゃない?」  彼女の示した方向を見ると、わたあめ屋の二軒隣にお面屋があった。五歳くらいの男の子が熱心にお面を指さしている。母親とおぼしき女性が反対側へ誘導しようとし、男の子の抵抗に遭っているようだ。 「ほんとだ。あ、ウサギとかクマとか定番のやつもあるね」  キャラクターものに挟まれ動物系、さらにはひょっとこやおたふくのお面もあった。さすがにその辺りは子供にも敬遠されているようだが。 「すんごい名前だねえ、『ぶりっこ仮面』って。小さい子ってほんとワケわかんないものにハマるよね」  彼女が横で腕組みした。 「そう言うミサキも小さい頃『お化け戦士ユウレイダー』とかいうのにハマってたじゃん。お化けなのにヒーローっていう変なやつ」  そう反論すると彼女は人差し指を左右に振りながら「ちっちっち」と効果音を上げた。 「わかってないなあ。斬新だって言うべきとこだよ」  自分の好きなものの話題になると途端に態度を変える彼女がおかしくて、思わず吹き出した。彼女も声を上げて笑った。 「ヒーローか……」  シオリは小さい声で呟いた。  ユウレイダーはここがカッコいいとか、お化けとヒーローは両立できるとか、目の前の彼女はそんなことを熱心に語っている。  彼女は小さい頃からヒーローというものに憧れていた。こんなに体の弱い幼馴染みが身近にいたのだから、当然と言えば当然なのだが。
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