《最終話》決意した王子と悪役令嬢になるはずだった令嬢

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《最終話》決意した王子と悪役令嬢になるはずだった令嬢

 私はテオフィルが好きなんだ。  泣いていることで、ようやく自分の思いに気がついた。  いつからだろう。  分からない。  とにかく、今すぐテオフィルの元に走って行きたい気持ちでいっぱいだ――。  レアンドルから受け取ったハンカチで涙を拭く。 「だけど、行けないわ」 「どうして!」 「だって私はまだあなたの婚約者だし、テオフィルにも婚約者がいるわ」 「あいつの婚約者は我が国に攻め入ろうという国の女だし、君の婚約者は他所に恋人がいる男だぞ。何を気にする必要がある!」  レアンドルは真剣な顔だ。 「……もしかしてテオフィルのために、わざとクラリスといちゃついていたの?」 「一割ぐらいはね」  ふう、とレアンドルは吐息した。 「兄上が正しくあろうとしていることは、立派だと思う。あの我慢強さは尊敬する。だけど僕は息がつまるし、辛い。僕にはもう愛する女性がいて、君との婚約解消を望んでいるんだ。兄上はもう、理性なんて吹き飛ばしていい頃合いだと思う」  ……そうなのだろうか。  ぐるぐると、思考がまわる。私はテオフィルの元に行きたい。だけどテオフィルはそれを望むだろうか。みんなの気持ちがどうであれ婚約中であることは事実で、彼はそれを重んじているのだ。 「……分かった。無理にとは言わないよ。君が兄上を好いてくれていると確認できただけ、進展したんだ。よしとしよう」  レアンドルの声に目を上げる。いつの間にか、地面を見ていた。 「僕たち四人が幸せになれるよう、頑張ろう。それには協力をしてくれるだろう」 「ええ」 「良かった。クラリスも光の魔法を諦めてはいないんだ。今は研究家の元で昨日の君を検証しているはずだよ」 「合流しましょうか」 「頼むよ。僕は兄上の様子を見てくる。昨晩から避けられているんだ。目も合わない」 「私もよ」  レアンドルは声を上げて笑った。 「きっと、どう誤魔化すかを必死に考えているのだろうな。……そうだな、『兄としてと第一王子としての責任から、君の助けになりたいと考えている』と言い訳をする気がする」  笑っているのに、淋しそうな顔だ。 「君もそう考えていると言っておく。それでいいね?」  いいとも言えないけれど、とりあえずは考える時間がほしい。  私はうなずいた。  だけどレアンドルは兄に会えなかった。私が光の魔法をに目覚めたことを城に伝えに行ったらしい。急いで書いたような筆跡の手紙が残されていて、彼はそれを私に見せた。 『気がついていると思う。お前を散々責めたのに、すまない。帰ったら、(そし)りを受ける。すまない』  テオフィルは出発直前まで、弟を探していたそうだ。きっと直接話したかったのだろう。  レアンドルは 「兄上には敵わないよ」  そう言って、丁寧な手つきで便箋を封筒にしまったのだった。  ◇◇  その日も翌日も、テオフィルは帰って来なかった。何やらユゴニオと揉めているらしいという伝聞だけが、従者伝いにレアンドルの元に届いた。何があったのかは分からない。  心配をしていた二日目の夜、疲れた顔をしたテオフィルが帰って来た。  だけど私たちの顔を見ると笑顔を浮かべたから、悪いことではないのかもしれない。  再び談話室に集まって、以前と同じような位置に座る。心持ちテオフィルが私から距離をとっている。 「ユゴニオとひと悶着があったと聞いたが」  とレアンドルが尋ねると、テオフィルはうなずいた。 「一昨日、あちらの宰相が国王の親書を持って突然やって来た。たまたま俺が城に着いた直前でな」 「宰相? ただごとではないじゃないか。親書の内容は?」 「俺とあちらの姫の婚約を解消したい、という内容だ」  そう答えたテオフィルの声には、わずかに緊張感があった。レアンドルは一度瞬く。 「……理由は?」 「聖女のお告げ」  そうテオフィルは答え、説明をした。  彼はこの八ヶ月ほど毎月姫に手紙を送り、結婚時期を早めたい、聖女が両国の友好に必要だと告げていると伝えていた。  それだけでなく、国王サイドでも交渉していたそうだ。  だがユゴニオはなんだかんだと返答を避けていた。  そして一昨日の親書に書かれていたのは、実はユゴニオの聖女は逆のお告げをしている、婚姻は来春以降でないと両国の関係は破綻するそうだ、というものだった。  ユゴニオ王は、お互いのお告げが正反対である以上、この婚姻は良くないものだろうから解消してほしい、と主張していた。 「……つまり?」とレアンドル。 「『結婚はどうしても早めたくない、戦の準備が整っていないから』というのが本心と考えられる。父上も大臣たちも警戒して、納得できかねると拒否。話し合いは平行線で、一時期険悪な雰囲気になった」  レアンドルが大丈夫なのかと尋ねる。 「これで決裂したら、戦の口実になるだけだからな。今日の午後に承諾して、書類にサインした」  そう答えたテオフィルは、言葉を切った。レアンドルがちらりと私を見る。弟の視線の動きに気づいたのか、彼はぎこちなく身じろぎをした。 「それで国王からの伝言だ。シャンタルは光魔法の完全な体得を、クラリスも引き続き開眼に向けた努力を、それぞれ勤しんでほしいそうだ」 「言われなくても、やっている」レアンドルが不満気な声を出す。「でも、兄上に言っても仕方のないことだからな。他に重要な連絡は?」  とりあえずはない、とテオフィル。 「それなら。兄上はどんな謗りも受ける覚悟なんだよな?」  テオフィルは目をみはったものの、うなずいた。 「俺の部屋で、」 「いや、今だ」とレアンドル。  今? レアンドルはここで、その話をするというのだろうか。テオフィルもクラリスもうろたえている。 「兄上だって、あらかじめ僕がシャンタルと話す時間を設けてくれなかった。だから僕もあげない」 「……分かった」  レアンドルは黙って兄を見つめる。何も言わない。不自然な時間が経ったのちに彼は、 「腰抜け」と意外な言葉を言った。 「兄上は理性的なのではない。理性で御しきれないことが怖いだけの、腰抜けだ。はた迷惑なんだよ」  そして立ち上がる。 「他にも言いたいことは沢山あるけど、面倒だからもういい。僕はクラリスと失礼するからシャンタルにきちんと説明しておいて」 「待ってくれ」とテオフィル。 「お休み」  レアンドルはクラリスを促して、さっさと部屋を出ていく。あとにはテオフィルと私が残された。  どうしよう。突然、心臓の音がうるさくなってテオフィルに聞こえてしまいそうだ。  そのテオフィルはゆっくりと、私を見た。 「まだひとつ、話していないことがある。レアンドルに話してから、シャンタルに言うつもりだったのだが」 「……何かしら」  緊張でうまく口がまわらない。 「父の元に行ったのは、報告のためだけではない。俺はシャンタルと結婚したいと頼むことが目的だった」  え? 「好きだ、シャンタル。お前はレアンドルの婚約者だから伝えるつもりはなかったんだ」  テオフィルの目が真っ直ぐに私を見ている。 「だけどシャンタルのそばにいられる時間が増えて、思いは膨れるばかりでたまらなくて、そしてあの晩、階段から落ちかけた俺をお前は助けてくれた。光魔法を発動して。  ――嬉しかった。シャンタルは俺が苦手だっただろう? それが今や、助けたいと思ってくれるほどになった。そう思うと、どうしても諦めがつかなかった。レアンドルを散々詰ったのに自分勝手だが、俺はシャンタルと一緒にいたいのだ」 「ええ、私もよ。テオフィル、私もあなたが好き」  私は嬉しくて泣きながら、何度もその言葉を繰り返したのだった。  ◇◇  それからしばらくして、クラリスも光魔法に目覚め、私たちは順調に上達して行った。  そうしてユゴニオに潜入させていた密偵が良い知らせをもたらした。侵攻を検討していたが、我が国にふたりもの光の魔法の使い手が現れたことと、ジャンメールとの友好協定があることから、戦を断念したということだった。  私たちは聖女の吉夢に従わなくても、侵攻されることを回避できたのだ。  良い頃合いだということでレアンドルと私は婚約を解消し、新しく、テオフィルと私、レアンドルとクラリスのペアで婚約を交わした。  ◇◇  テオフィルから初デートに誘われた。といっても放課後に敷地内の雑木林を散策するだけだけど。  それでも弾む気持ちで紅葉に色付く木々の元を楽しく歩いた。王宮に呼び出されて悪役令嬢を演じろと迫られてから、一年が経とうとしている。あの時には全く予想できなかった日々だ。  これからは卒業後に執り行う予定の結婚式の準備で忙しくなりそうだ。  そんな話をしていたらテオフィルがこほんと咳払いをした後に、手を繋いできた。嬉しくて、そっと握り返す。  と。テオフィルの目から、ぼろりと涙がこぼれ落ちた。ひと粒ではない。後からあとから、ぼろぼろとこぼれ落ちる。 「テオフィル?」 「……すまん。シャンタルの手を握れることなど一生ないと思っていたから」 「そうね。私もまさかあなたを好きになるとは思わなかったわ」  あいた手でハンカチを出し、愛しい婚約者の涙を拭く。 「あなたはいつから私を好きだったの?」 「……内緒だ」 「分かったわ。レアンドルに聞いてみる」  レアンドルは兄に償いとして、私に関する質問をされたら包み隠さず正直に答えることを要求したらしい。 「卑怯だ!」 「内緒なんて言うからよ」 「分からないんだ! 気付いたら好きだったから」 「私と一緒だわ」 「おや。先に惚気ているカップルがいた」  そんな声に振り返ると、そこには笑顔のレアンドルとクラリスがいた。 「兄上、ダブルデートにしよう」 「断る」 「そうだな。四年もの片思いがようやく実ったんだものな。がんばれ、シャンタル。兄上の愛は重いぞ」 「ならばお前の愛は軽いのだな」  兄と弟は睨み合う。クラリスと私は顔を見合せて、困った人たちねと笑いあったのだった。
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