葉桜の供物

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    * 「こっち?」 「ああ……たぶん」  彼は後輩のあとを追って山道を登っている。 「すまない、確信が持てない。でもたしかにこっちだったと……」 「大丈夫、俺は信じてます」  尻すぼみになった彼の声を力づけるように後輩がふりむいた。彼は自虐的にいった。 「狐か狸に化かされていたのを?」 「超自然的な力が作用したってことをです」 「どっちにしろ頭がおかしい案件だな」 「どうでしょう」  彼は後輩に、父の遺品の着物や手紙、そのあと訪れた土地で起きたこと、すべてを話したのだった。  彼の家を後輩が訪れた日から一年が過ぎていた。  後輩は彼が思ったよりふところの広い男だった。彼が嘘をついたとか、頭が変だとかいうかわりに「そこへ行きましょう」といったのだ。  ところが、それは思ったほど簡単なことではなかった。  まず以前彼が訪れたときのルートが使えなかった。特急列車から乗り継いだはずの在来線が廃線になっていたのだ。後輩がレンタカーを借り、やっと廃線になるまえ駅があった場所へたどりついた。そこからさらに彼の記憶にある方向へ進んだものの、道はどんどん荒れていった。 「信じる必要なんかない。自分でも信じられないんだから……」  もう何度目になるだろう。彼のぼやきに後輩は肩をすくめただけだ。 「信じますよ」 「どうして」 「あなたは俺をだますような人じゃないでしょ」 「もちろん……そうだけど……」 「いいんですよ。俺はあなたの昔の男に嫉妬してるだけです。だから正体を知りたいんだ」  彼は言葉の接ぎ穂をなくして黙った。後輩に追いつき、並んで道をいく。いつしか周囲の木々は銀色がかった桜の木肌ばかりだった。葉桜の季節だが、花はほとんど残っていなかった。日本全体を順繰りに襲った春の嵐のために、今年の桜は短命に終わった。  見覚えのある石段があらわれると、彼の息は荒くなった。 「あそこだ」  彼は走り出した。  石段の先も桜の木ばかりだ。彼の記憶にある巨大な屋敷のかわりに、朽ちた建物の残骸がところどころにみえるだけ。彼は桜の木のあいだを縫うように歩きつづけた。後輩があとを追ってくる。  突然視界がひらけ、前方に桜の巨木がみえた。 「まっぷたつだ……落雷?」  静かな森に後輩のつぶやきが響く。彼は目を瞬いた。幹に重なるようにして、あの男の姿をみたような気がしたのだ。足が自然に前に出て、たしかにここを歩いた、と彼は思った。しまいに歩くというより小走りになった。 「危ない!」  はっとして彼は足をとめたが、何かにつまづいたようにふわっと体が傾いた。だがすぐにがっしりした腕にひっぱられ、支えられる。後輩が背後から彼を抱きとめていた。彼らは淵を見下ろしていた。 「ここは深そうだ」と後輩がいった。 「……墜ちると二度と上がってこれない」彼はつぶやいた。 「そうなんですか?」 「そう聞いた」 「誰に?」  ここにいた男に。  答えようとして喉がつまった。彼は黙って水面に映る桜の木をみつめた。翡翠の水に桜の影が映っている。真っ二つになった大木は不自然な形で左右に割れ、折れかけた枝と緑の葉が水面を叩いている。視界にちらりと薄紅色が舞い、名残りの花びらが淵に落ちた。
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