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漫研には入部しないほうがいい。
結論は分かっていたけど、それを受け入れるのは辛かった。だってあたしは星蘭の漫画研究部に入るのを楽しみにしていたから。活気のある漫研に憧れて、わざわざ星蘭高校に入ったのだから。
(ああ……もう、何でこんなことになっちゃったんだろう……?)
学校の中では気丈に振舞っていても、一人になるとさすがに平常心を保ってはいられない。はっきり言ってメチャクチャ傷ついたし、涙を零さないようにするので精一杯だった。
馬鹿にされることも、理解してもらえないことも、それをはね返せるほどの実力が自分にはまだ無いことも、すべてが悔しくてたまらない。
あたしが漫画家を目指してなかったら、漫研のみんなともうまくやっていけるんだろうか。あたしが『ガチ勢』だから、そのせいで漫研の空気を悪くしているのだろうか。
何だか漫画家を目指している自分のほうが間違っているような気がしてきて、モヤモヤして苦しいし、余計に落ち込んでしまう。
大原部長の言う通り、一生懸命に漫画を描いているあたしの方が愚かなのだろうか。そんな叶えられるかどうかも分からないような夢なんてさっさと捨て去って、現実的な選択をするほうが賢い生き方なのだろうか。
考えれば考えるほど、どんどん自分が嫌になっていく。
一生懸命、漫画に情熱を傾けてきたこと。そのすべてが無駄で、馬鹿馬鹿しく思えてくる。
こんな悶々とした気分のまま家に帰りたくなかったあたしは、しばらく外で時間を潰すことにした。
星蘭高校の近くには大きな川が流れており、その両岸にはきれいに整備された遊歩道ある。夕方になると星蘭高校の生徒のみならず、近所の子どもたちが遊んだり、犬を散歩させる人の姿があちこちで見られる憩いの場となっているのだ。
あたしはその遊歩道をぶらぶらし、荒みきった気持ちが落ち着くのを待ってから家路についた。
(あー……何もしてない、漫画も描いていないのにメッチャ疲れた……)
家に帰る頃には、あたりはすっかり暗くなっていた。漫研でいろいろあったからか、足取りも疲れてトボトボしている。
母屋へ近づくと、中から中華っぽい匂いが漂ってきた。スマホを取り出して確認すると、夕飯の時間はとっくに過ぎていた。
(今夜の夕飯は回鍋肉かな。それとも餃子スープとか? 一緒にご飯を食べる決まりを破っちゃったから、壱夏ばあちゃん怒ってるだろうな)
ため息をつきつつ母屋に入ろうとしたその時、ふと離れが目に入る。蒼ちゃんの住んでいる離れのアトリエに明かりが点いていたのだ。
ひょっとして―――蒼ちゃんがいるのだろうか。
別に覗き込むつもりなんて無かったけれど、つい離れの中に目が吸い寄せられてしまった。
蒼ちゃんのアトリエは離れの古い部分をうまく残して改装した、古民家カフェのみたいな造りになっている。窓の一部は障子をそのまま残していて、そのわずかな隙間から中の様子が見えたのだ。
しかし―――
あたしはドキリとして硬まってしまった。離れの中には蒼ちゃんと立夏がいた。二人とも肩を寄せ合い、とても楽しそうにお喋りしてる。
人目を気にする必要が無いからか、母屋で皿洗いをしていた時よりずっと打ち解けていて、誰が見ても二人がただならぬ仲だと分かる。
あたしはひとり、ぽつんと真っ暗な中庭に立ち尽くし、ぼんやりとその光景を見つめていた。
(……。結局さ、ああいう要領のいい子が幸せを掴むんだよね。なりたい夢とか無くて、勉強ができるわけでも無くて、何となく日々をぼんやり過ごしている子が、いつの間にか彼氏をゲットして普通の幸せを手にするんだ……)
そう考えた瞬間、激しい自己嫌悪に襲われた。
あたし、立夏と蒼ちゃんに嫉妬してる。もちろん失恋したからって理由もあるけど、それだけじゃない。漫画は行き詰まっているし、ライバルにも先を越されて、おまけに漫研の先輩たちともトラブって何ひとつ上手くいってない。だから二人のことが妬ましいんだ。
あたしはこんなにも辛く苦しい思いをして頑張ってるのに、どうして他の人はあんなに幸せそうなの。
ずるい、卑怯だよ。
そういう自分の弱さを立夏と蒼ちゃんにぶつけているんだ。
それに気づいた途端、あたしは徒労感に見舞われた。あたしは―――こんな醜い嫉妬心を抱くために漫画を描いてるわけじゃない。誰かを羨んで妬むために漫画家になろうと思ったわけじゃない。
それなのに……!
そもそもあたし、どうして必死になって漫画描いてるんだろ。こんな惨めな思いをするために頑張って来たんじゃないのに。
―――ああ、馬鹿馬鹿しい。
辛いし、シンドイし、結果もぜんぜん出ないし、良いことなんて何にもない。もう漫画なんてやめちゃおっかな。そんな自暴自棄な考えさえ浮かんでくる。
そういう思考に陥ってしまう自分が嫌で、蒼ちゃんと立夏に嫉妬してしまう自分が嫌でたまらなくて、あたしは急いで母屋に入った。
壱夏ばあちゃんは案の定、帰りが遅くなったことを怒っていたけど、あたしはもはや言い訳する気力すら残っていなくて、夕ご飯もそこそこに二階の自室へ戻ったのだった。
「漫画、描かなきゃ……」
そう思うものの、何もする気になれない。体力はあるけど気力がなかった。こんなくさくさした感情のまま漫画を描くなんてできない。お風呂に入ったらどっと疲れてしまって、そのままベッドに突っ伏してしまった。
(あー、もう駄目だ。身がもたないし、肝心の漫画も描けない。そんなんじゃ意味がない……! 漫研は諦めたほうがいいのかも……。悔しいけど……すっごい辛くて悲しいけど……このまま漫研にこだわっていたらあたしの心の方が壊れちゃう……!!)
星蘭高校に入学して二か月。漫画研究部ではろくな活動をさせてもらえず、邪魔ばかりされ、先輩たちとは対立してばかりだ。
もう限界だった。
一日や二日ならまだいいけれど、これが年単位で続くだなんて耐えられない。
漫画を描くのはただでさえ気力と体力がいるのに、大原部長の無理解や西田先輩の嫌がらせと戦うなんて。そんな余裕はどこにもない。
それに、あたしが漫研の先輩たちと対立することで、他の部員にも迷惑がかかるのがすごく申し訳なかった。
たとえば床に散乱した画材を一緒に拾ってくれた、一年生の小坂さんと村瀬さん。あの二人だって本当は漫研の活動を楽しみにしていたのだと思う。
でも、あたしが西田先輩にいじめられ、馬鹿にされているのを見るたび、居たたまれない顔をして縮こまっている。彼女たちの邪魔する権利は、あたしにはない。
自分のためにも、漫画家になる夢のためにも、漫研のみんなのためにも。あたしは漫研にいない方が良いのだ。
あたしはその日、中学生の時からずっと憧れてきた漫画研究部に入るのは諦めようと、強く心に決めたのだった。
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