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第五話 図書館の災難
どんなにしんどくても、次の日も学校がある。
あたしはヘロヘロの状態で家を飛び出し、星蘭高校へ向かった。バスと電車を乗り継いでおよそ四十分。そろそろ慣れたと思っていたけど、混雑した公共機関はやっぱり疲れる。落ち込んでいる時は余計に。
もみくちゃにされ、足が棒になりながらもどうにか高校に到着した。
昨晩、しっかり寝ていないせいか、授業中も眠くて眠くて仕方がなかった。それでも何とか六時限を乗り切り、下校時間を迎えた。
これでようやく家に帰って漫画に取りかかることができる。ここ二か月、漫研に時間を取られてほとんど漫画制作に集中できなかったから。絶対にロスした分を取り返さなきゃ。
けれど、不思議と災難というのは重なるものだ。
「あーっ! 今日、図書委員の仕事があるんだった……!!」
星蘭高校ではクラスメート一人一人に学級委員、保健委員など各種委員会の仕事が割り振られ、委員会に入らない生徒は文化祭や体育祭の企画メンバーに回される。
あたしはクラスのじゃんけんに負けた結果、図書委員になり、全学年合同の図書委員会にも出席していた。そして今週、図書室の受付当番が回ってきたのを急に思い出したのだ。
一刻も早く家に帰って漫画を描きたかったあたしは、校門のところまで移動していたから、慌てて校舎に戻って靴を履き替え、図書室へと向かう。
図書室の受付には、すでにこの日の当番である図書委員の生徒が座っていた。黒ぶち眼鏡をした、寡黙で真面目そうな男子生徒。
あたしと同じ一年B組の宮永大地という男子だ。
図書委員のほかに接点が無いこともあって、あまり話したことはない。そのせいか、ちょっと冷ややかな印象を受ける。
宮永くんは遅れてきたあたしをちらりと一瞥した。
(う……何か睨まれている気がするんだけど……。遅れてきたから怒ってるのかな……?)
「あ……えっと、ごめん。遅れて」
慌てて謝ったけれど、宮永くんは何も言うことなく手元の本に目を落とす。
図書室の中はそれほど生徒がいるわけじゃないし、本を借りる生徒に至ってはほとんどいない。そんな中で受け付けをするのも暇だし、本を読んで時間を潰すことにしたのだろう。
宮永くんの様子を横目で窺いながら、あたしも受付カウンターの隣の席に座る。
(何を読んでるんだろ? うわ、字がびっしり……。結構ゴツいし、本なんて読んで面白いのかな? ……っていうか、図書室の受付って思ってた以上に暇なんだけど、マジで時間がもったいない。でもさすがに、ここで漫画を描くのはマズいよね……?)
図書室はざわざわしているけど、教室にくらべればずっと静かだ。一緒に勉強をしている生徒に調べ物をしている生徒。でも、本を借りようとする人はあまりいない。
だったら受付がいる意味ってなくない? まあ当番だし、そうする決まりだから仕方ないけどさ。
天井近くにある大きな円盤型の壁掛け時計の秒針が、あくびが出そうなほど、ゆっくりと時を刻んでいく。
家に帰ってはやく漫画を描きたい。図書委員の当番はいつ終わるんだろう。そんなことを考えれば考えるほど焦りでじりじりする。
おまけに何やら騒がしい一団が図書室に入ってきた。めちゃくちゃ聞き覚えのある、けれど今は一番聞きたくない声。
(げっ……西田先輩たちじゃん! 何であの人たちが図書室に……いつもは漫研の部室に入り浸りなのに!)
あたしの視線を感じ取ったのだろうか。西田先輩もすぐ受付カウンターにいるあたしのに気づいた。
慌てて視線を外したけれど、もう遅い。西田先輩はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、仲間を引き連れて受付に近づいてくる。
「あれー、結城さんじゃん。何やってんの、こんなとこで」
そんなわざとらしく質問しなくたって、受付に座ってるんだから図書委員の仕事をしてるに決まってる。分かり切ったことをわざわざ説明するのも馬鹿らしいし、迂闊に返事をしたらどんな目に遭うか。
この人たちとはできるだけ関わりたくない。だからあたしは素っ気なく答えた。
「別に……何してたっていいじゃないですか。西田先輩たちには関係ないことですし」
「……はあ? 何、その態度。部活動の先輩に、なに生意気な口きいてんのよ?」
「言い忘れてましたけど、あたし漫研には入部しないんで。だからこれ以上、関わらないでくれますか?」
すると西田先輩は無表情になって、すうっと目を細める。
「……ふーん。あっそ、入部しないんだ」
さらに意地悪そうな目つきをすると、あたしの隣に座る宮永くんへ視線を向ける。
「こっちの男子、ひょっとして結城さんのクラスメイト?」
「そうですけど……」
「ねえ、知ってる? こいつ漫画家を目指してるんだって! マジ、頭悪すぎて笑えるよね。高校生にもなってさ!」
宮永くんにそう言うと、西田先輩たちは大声でゲラゲラ笑った。周囲の注目を集めるような、わざとらしい笑い方だ。
宮永くんは困惑と迷惑が混ぜこぜになった表情をしている。図書室の利用している生徒たちも、不審そうにこちらの様子を窺っている。
それはそうだろう。本来であれば私語を注意すべき図書委員が騒ぎを起こしているのだから。
あたしは慌てて立ち上がった。あたしだけが嫌な思いをするならまだしも、他の人に迷惑はかけられない。
「ちょ……やめてください! ここは図書室ですよ!? 他の利用している人たちにも迷惑じゃないですか!」
ところが西田先輩は静かにするどころか、くわっと目を見開き、凄まじい剣幕で怒鳴り散らすのだった。
「はあ!? そんなん知らねーよ! だいたいあんたが漫研に来たせいでさ、部の空気が悪くなってんの、すっごく迷惑してたんだから! ウチらはゆっくり過ごしたいだけなのに、これ見よがしに漫画道具とかスケッチブックとか持ってきちゃってさ!! そんでさんざん漫研を荒らしといて入部しない!? ふざけんなって話でしょ!!」
それに関しては、あたしにだって言いたいことが山ほどある。はっきり言って西田先輩たちのやり方には今でも納得がいってない。漫研の部活動をしたい人を追い出すなんて、あまりにもひどいし、間違ってると思う。
でも、もうその事で揉めたくなかった。あたしは漫研には入らないし、憧れの漫研に入るのは諦めると決めたのだ。
もう関わることのない人たちにこれ以上、エネルギーを割きたくない。
「……あたしに関する苦情や文句はあとでいくらでも聞きます。でも……図書室では静かにしてください。それが最低限のマナーなので」
あたしはできるだけ冷静に突き放すような口調で返した。その様子を見た仲間の一人が西田先輩に耳打ちする。
「友香、どうする?」
「……行こ。あー気分悪っ! 胸クソだし最悪!!」
西田先輩はひときわ大きな声で吐き捨てると、あたしの肩をドンと突き飛ばし、荒々しい足取りで図書室を出ていった。それに乗じた仲間たちが、敵意と侮蔑の混じった一瞥を投げつけて西田先輩のあとに続く。
図書室の中はようやく静かになった。こちらに注目していた利用者たちも各々の用事に戻っていく。
しかし、何とも言えない後味の悪さは残った。
西田先輩に突き飛ばされたあたしは、尻もちをつくように受付カウンターの椅子へと座り込んだ。悔しさと腹立たしさのあまり、膝の上で両手を握りしめる。
あたしにだって言い分はある。あたしがどれだけ星蘭の漫研に入ることを楽しみにしていたか。西田先輩には理解できないに違いない。
どうしてただ遊びたい西田先輩たちが漫研に残って、普通に活動をしたいあたしが出ていかなければならないのか。それを考えるとはらわたが煮えくり返る。
でもあれ以上、部を混乱させたくなかったから―――喧嘩したくなかったから自分から身を引いたのに。それなのに、西田先輩にはその意図がまったく伝わっていない。
おまけに他の生徒の前で馬鹿にされたあげく、突き飛ばされてしまった。
何故、ここまでされなきゃならないの? 漫画家になるための努力もしているのに、何故、あたしの大切な夢を踏みにじられなければならないのだろう。
今まで西田先輩の陰険な嫌がらせにどうにか耐えてきたけれど、あたしの心は傷ついてボロボロだった。少しでも気を緩めると、涙が零れ落ちそうになる。
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