第五話 図書館の災難

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 でも、まだ図書室の仕事が残っている。そう自分に言い聞かせながら、あたしは唇を噛みしめ、溢れそうになる涙を懸命(けんめい)にこらえた。  それでも感情を抑えられなくて小さく肩を震わせていると、しばらくして隣の宮永(みやなが)くんが小声で話しかけてきた。 「今の人たち……何?」 「漫研の先輩。いや……元先輩、かな。あたし漫研に入ろうと思って仮入部してみたんだけど……なんか肌に合わなくて、結局は辞めたんだ。ただそれだけなのに……迷惑かけちゃってごめんね」  あたしが原因で雰囲気を悪くしてしまったこともあって、なるべく明るい口調で笑ってみたけど、表情がぎこちないのはどうすることもできない。  すると宮永くんは黒ぶち眼鏡の奥の瞳を細め、冷ややかに言った。 「漫画……か。まるで子どもだな」  その言葉の辛辣(しんらつ)さに、あたしは凍りついてしまう。 「それ……どういうこと?」 「どうもこうも無い。そのままの意味だ。幼稚(ようち)で下らなくて、自己中心的……つき合っていられない」 「……」  あたしは茫然(ぼうぜん)としてしまった。漫画なんて子どもが読むもの、低俗(ていぞく)で自己中心的な人間の読み物―――それって漫研の大原(おおはら)部長が言っていたこととほとんど同じ。  この人もきっと大原部長と同じで、漫画家を目指しているあたしをひどく幼稚で非現実的だと思っているのだろう。 (そりゃ小説や専門書とかに比べたら、低俗なものがあるのも事実だけど……! そんな心の底から軽蔑してるみたいに言わなくたって……!!)  今までのあれやこれが積み重なって、あたしの忍耐(にんたい)は限界に達していた。いつもだったら「まあ、そういう考えの人もいるよね」と聞き流せていた言葉が、今日はどうしても聞き流せない。 「何よ……そんな風に言わなくてもいいじゃん」 「何のことだ?」  宮永くんそう言って軽く眼鏡を押し上げるけど、あたしは溜まりに溜まった感情が(せき)を切ったように溢れ出す。 「幼稚で下らないって……まるで子どもみたいだって! 何でそんなこと言われなきゃならないの!? 漫画が好きなのがそんなにおかしい? 漫画家になりたいと努力することがそんなに馬鹿馬鹿しい!?」 「……僕はただ思ったことを言っただけだ」 「何ソレ!? 本当のことなら何を言っていいと思ってるの!? 君……宮永くんだっけ。念のために聞くけど、幼稚で下らないって断言するからには古今東西の漫画、しっかり読み込んでるんだよね? その上での客観的な判断なんだよね!?」  あたしが詰め寄ると、宮永くんは視線を逸らした。 「……。いや、僕は漫画は読まない」 「だと思った! 君みたいに漫画を馬鹿にして手に取らない人ほどイメージで決めつけるよね。そういうの、自分でおかしいって思わないの!?」  すると宮永くんは苛立たしげに開いていた本をぱたんと閉じる。 「僕がおかしいかどうかは分からないが、少なくとも君には言われたくないな」 「な……何よ!?」 「図書委員の仕事に遅れてきたあげく、漫研の部員と図書室で大げんか。その上、僕にまで八つ当たりだ。きちんとした人なら、他人に迷惑をかけるようなことはしない」 「それは……遅刻は確かにあたしが悪かったけど、西田先輩は向こうが勝手に……!!」 「……まったく、君といい二年の先輩といい、漫研はおかしいのばかりだな」 「ち……違う! 星蘭の漫研は活動が盛んで、賞もたくさん取ってすごかったの!! それを西田先輩たちがグダグダな部にしてしまったの!! あたしはただ……漫研のみんなと漫画を読んだり描いたりしたかっただけなのに……!!」  思い出すと涙が溢れてしまいそうだった。怒りと悔しさで、ただでさえこんがらがった感情がぐちゃぐちゃになる。それが爆発してしまわないよう、ぐっと唇を噛みしめた。  けれど宮永くんの態度は、あくまで冷やかだった。 「それでやめるなら、君の漫画に対する情熱はその程度だったというだけだ」 「勝手に決めないでよ! あたしがどれだけ頑張って漫画を描いてきたか……何も知らないくせに!!」 「ああ、知らないし興味もない。クリエイターは結果がすべてだ。君は何か結果を残しているのか? 違うのなら(わめ)き散らさないほうがいい。みっともないだけだから」 「……」  あまりに容赦のない言葉を突きつけられて、あたしは絶句した。  そう、あたしはまだ何も結果らしい結果を出していない。そんなこと自分が一番よく分かってる。あたしはまだ漫画家志願者(ワナビー)であって、スタートラインにすら立ってもいない。  でも……だったらこの辛さも悔しさも、何の結果も出していないあたしには感じる資格すら無くて、ただみっともないだけなの? 結果を出していない人間は、どんなに馬鹿にされても、じっと我慢しなければならないの?   あたしはそうは思わない。でも、少なくとも宮永くんはそう考えているのだろう。 (もう本当にうんざり……!! 何で漫画家になりたいってだけで、こんなに傷つけられなきゃいけないの……!? 勉強が好き、スポーツが好き、絵を描くのが好き、写真を撮るのが好き……そういう好きは応援されるのに! あたしはただ漫画が好き。漫画家になりたい。そう思うことがそんなに軽蔑されなきゃいけないこと!? せっかく高校生活を楽しみにしていたのに……どうしてあたしばかりこんな目に遭わなきゃいけないのよ!!)  考えれば考えるほど悔しくて悲しくて、情けなくて。とうとう涙がこらえきれず次から次へと零れ落ちてしまう。必死で泣くまいと耐えて耐えて耐え抜いてきたけど、限界を超えてしまったのだ。  隣でボロボロと涙を零すあたしを見て、宮永くんはさすがに動揺を見せる。 「なっ……何も泣かなくても……!」  あたしは零れ落ちる涙を拭いながら、彼をきっと睨みつけた。 「別に……君のせいじゃないから! いろいろあって……君の言葉に傷ついたとか、そういうんじゃないから勘違いしないで!!」  まあ、最後の(とど)めにはなったかもしれないけど、宮永くんには何ら関係のないことだ。  気づけば図書室の利用者が受付にいるあたし達に注目している。今度は何を()めているのだろうと、みな(いぶか)しげな表情だ。  あたしは乱暴に目元をこすると宮永くんへ言った。 「今日は先に帰る。明日、今日の分も受付ひとりでやるから。宮永くんは来なくていいよ……それじゃ」  それだけ言うと、あたしは通学鞄を担いで図書室を飛び出した。宮永くんは何か言いたげにあたしを見ていたけど、もうそんな事はどうでも良かった。  それからどこをどうやって家に戻ったか覚えていない。気づいたらいつも通り家に帰って、家族四人で食卓を囲んでいた。  蒼ちゃんは今日、母屋には来てないみたい。良かった。泣きはらした顔なんて見られたくないから。  立夏や晴夏、壱夏ばあちゃんもみな、あたしが落ち込んでいる上にひと言も喋らず、泣き腫らした顔をしているのを見て、「何かあったな」と察したようだけど、直接は尋ねて来なかった。  みんなあたしに話は振らず、当たり(さわ)りのない会話をしているけど、別に気にならなかった。  今はそっとしておいて欲しかったから。
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