第五話 図書館の災難

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 ―――それなのに。  食事が終わり、当番の食器洗いを終えて、とぼとぼと二階への階段を上っていると、下から立夏(りっか)が声をかけてきた。そのすぐ後ろには晴夏(はるか)の姿も見える。 「舞夏(まいか)、お前、今日どうしたんだ?」 「別に……何でもないよ」 「そんな見るからに元気がなくて、何も無くはないだろ。それに目元も腫れてるし……学校で何かあったのか?」 「……あったとしても、立夏には関係ない」  突き放すような言い方になってしまったのに、それでも立夏は懸命に言葉を探す。 「そりゃそうかもしれないが……だったら晴夏に話せばいい。私は虹ヶ丘で晴夏は月渡、高校はみなバラバラだけど、知恵を出し合えば舞夏の力になれるかも……」  立夏や晴夏があたしのことを心配しているのは分かっていた。心配しているからこそ声をかけてくれたのだと。  でもあたしは気分が最悪で、とにかくむしゃくしゃしていて、二人の善意を受け止める余裕なんてまったく無かった。 「だから別にいいって! それに……相談したってどうせ立夏は裏切るでしょ」 「……? どういうことだ?」 「まだシラを切るつもり? あたしが何も気づいていないとでも思ってんの!? あたしや晴夏にはあれだけ蒼ちゃんに近づくなって言っておいてさ! 自分は蒼ちゃんと離れでイチャイチャしてるんだ!? いったいどういう神経してんのよ!!」  立夏は見るからに狼狽(ろうばい)し、視線をさ迷わせた。 「あれはその……違うんだ! 蒼司が私に絵のモデルになって欲しいって言うから仕方なく……」  言葉も妙にどもっている。いつも可愛げが無いほど堂々としているのに、ぜんぜん立夏らしくない。その態度があたしを余計に苛立たせた。  何なの、今さら動揺なんかしちゃって。ホント、わざとらしいったらない! 「はあ!? 『仕方なく』!? 嫌なら断ればいいだけじゃん! 立夏の性格なら断ってるでしょ!? 蒼ちゃんにつき合ってるってことは、内心まんざらでもないって思ってるってことじゃん!!」 「舞夏……」 「うっさい……言い訳なんか聞きたくない!! 最低だよ! 平気で嘘つくクセに……偉そうに姉貴ヅラしないで!!」 「ま……舞夏!」  あたしは一気にまくし立てると、おろおろする立夏やあたしを呼び止める晴夏を振り切り、階段を駆け上がった。そして自室へ飛び込むなりバタンと派手な音を立てて、ドアを乱暴に閉める。その勢いでベッドに倒れ込んだ。 「あーもう……最悪! ぜーんぶ最悪―っ!!」  青ざめた立夏の顔と、その後ろであたふたする晴夏。  分かってる。あたしの頭がグチャグチャなのは漫研の人間関係が元凶だ。立夏や晴夏のせいじゃないし、蒼ちゃんのことに至っては完全にあたしの八つ当たりだ。  ぜんぶ分かっていたけど、何だかひどく自分が(みじ)めでイライラして……離れで蒼ちゃんと幸せそうにしていた立夏の姿を思い出したら、自分の境遇との落差に腹が立って、ついカッとしてしまった。  全部、あたしのうっぷん晴らしに過ぎないと自覚していたけれど、暴走する自分の感情を止められなかった。  立夏は責任感が強いから、きっと自分を責めるだろう。罪の意識を感じて蒼ちゃんと距離を取るようになるかもしれない。これ以上、家族を失望させたくないと言って。  三つ子の姉妹だから分かる。立夏ならあり得ることだ。  あたしはそんな展開を望んでいたわけじゃない。そりゃ裏切られたと感じたのは事実だけど、復讐してやろうなんて考えてなかった。   でも、あたしのせいで立夏は蒼ちゃんのモデルをやめてしまうかもしれない。漫画家になる夢を邪魔されたくないと思っているあたしが、蒼ちゃんの夢(作品)を邪魔してしまうかもしれないんだ。 「立夏と喧嘩するつもりなんて無かったのに……! あたし、最悪だ……!!」  もう涙が止まらない。ベッドに顔を埋めたまま肩を震わせて泣いていると、遠慮(えんりょ)がちにドアをノックする音が聞こえてくる。 「……舞夏? あまり一人で抱え込んじゃ駄目だよ。何かあったらいつでも言ってね」  晴夏は長女なだけあって、こういう時はとても優しい。でも、今はその優しさが苦しかった。もう今日は何もする気にならない。起き上がる気力さえなかった。  そのまま着替えもせず、泥沼に引きずり込まれるように眠りに落ちて、気づいたら朝になっていた。着替えもせずに眠ってしまったから制服はシワだらけだ。  ワインレッドのブレザーにチェックのスカート、緑のリボン。星蘭高校の制服は可愛いことで有名だ。制服目当てに星蘭への進学を決める生徒もいるくらいだけど、こうシワになってはその可愛さも台無しだ。  こんな状態(コンディション)で登校しなきゃいけないなんて。いくら自業自得(じごうじとく)とはいえ、気が滅入って仕方がない。 (最悪……でもお風呂だけは入らなきゃ!)  シャワーを浴びて一度脱いだ制服を再び身に着け、今日の時間割を確認してから教科書や資料集を通学鞄に詰めこむ。そして登校準備を整えると、朝食を食べるために居間へ向かった。  できれば家族の誰とも顔を合わせず、パンでも買ってお手軽に食事を済ませたいけど、せっかくのお小遣いを無駄遣いしたくない。漫画を描くためバイトもできず、ただでさえ金欠なのだ。無駄な出費をするわけにはいかない。  幸い、いつもより早い時間帯で、晴夏と立夏はまだ起きていないみたいだ。 (良かった……昨日、喧嘩したばかりだし、まだ顔を合わせたくない……二人が起きてくる前にさっさと家を出よ)  居間に足を踏み入れると、いつも通り着物をビシッと着こなした壱夏ばあちゃんが朝ご飯の配膳をしてた。  ばあちゃんはあたしに気づくと、さっそく声をかけてくる。 「おや、舞夏がこんな早く起きてくるなんて珍しいね。いつもはもう少しゆっくりしているだろう」 「うん……今朝は早く目が覚めちゃって」 「昨日、立夏と何やら喧嘩していたね。何があったんだい?」 「べ、別に……大したことじゃないよ。立夏があたしの取っておいたプリン、勝手に食べたから怒っただけ」 「やれやれ、いつまでたっても子どもだね、あんたたちは」  もちろんプリンを食べられたなんて嘘だけど、それを壱夏ばあちゃんに話すのはやめておいた。たぶん、ばあちゃんは蒼ちゃんと立夏の仲にまだ気づいてない。  二人がそういう関係だと知ったら、厳格なばあちゃんは激怒して蒼ちゃんを追い出してしまうだろう。あたしも別にそこまで望んでいるわけじゃない。
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