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第六話 宮永くん
壱夏おばあちゃんが用意してくれた朝ご飯をかき込んで、あたしは早々に家を出た。
いつもより時間が速いだけあって、バスや電車もそれほど混み合っていない。おかげで座席にも座ることができた。いつもなら「ラッキー」と喜ぶところだけど、今日のあたしの気分には何のプラスにもならない。
昨晩、泣きまくったせいか疲れも全然取れてないし、心がからっぽになったみたいに何もやる気が起きない。
授業中も何だかぼーっとしたまま内容が頭に入ってこない。先生たちもそういうやる気のない空気を敏感に嗅ぎ取るのか、普段は当てられない現代文で当てられ、苦手な数学でも当てられ、もう散々だった。
そしてとうとう放課後がやってきた。昨日のこともあって本当は行きたくなかったけど、当番だから仕方なく図書室へ向かった。気が進まないせいか、足取りもとぼとぼとして重たい。
(……まあいいか。今日は一人だし。昨日よりは気が楽かも)
ところが、いざ図書室へ入ってみると、来ないだろうと思っていた宮永くんが先に来ていて、何事も無かったかのような顔をして受付カウンターに座っていた。そして昨日と同じく本を読んでいる。大きさからすると今日は文庫本のようだ。
(げっ……何でいんのよ!?)
宮永くんはあたしが今一番、会いたくない人物の一人だ。教室でもなるべく視線を合わせないよう過ごしたくらいなのに。そんな人と二時間近くも一緒に過ごさなければならないなんて。あまりにも地獄すぎる。
ソッコーで回れ右をして帰りたくなったけど、図書委員の仕事を遅刻した昨日の今日でサボるなんて、そんな手前勝手はさすがにできない。
それに宮永くんには昨日、「来なくていい」って言ったのに、どうして来たんだろう。
あたしは空いている受付カウンターの席に向かいながら、できるだけ愛想笑いを浮かべて宮永くんへ話しかけた。
「あの……今日はあたし一人で受付をするって言ったと思うんだけど」
「別にそういう気遣いは必要ないよ。僕は当番で回ってきた自分の仕事をするだけだ」
(いや……気遣いとかじゃなくて、一緒にいたくないから帰って欲しいんだけど)
でも、心の声を面と向かって口にする勇気はなかった。あたしもそこまで無神経じゃない。こうなったら仕方がない。そう腹を括ると、あたしは渋々ながら宮永くんの隣の席に腰を下ろした。
それから数分後―――気まずい、とにかくひたすら気まずい。
互いに何か会話するわけでも無いのに、黙っていると昨日のあれこれが思い出されて、沈黙がよけいに重苦しく感じてしまう。
天気が良いからか、図書室の利用者もいつもに増して少ない。ただでさえ暇を持て余しているのに、めちゃくちゃ気まずいという超絶いたたまれない空気だ。
(あー、ツラいわー……っていうか、宮永くんは何を読んでるんだろ? ブックカバーで隠れて分からないんだよね。大きさからして文庫本だし、専門書じゃないと思うけど……純文学小説? それとも自己啓発本だったりして? 見るからに意識高そーだし)
あまりにやることが無さすぎて、あたしは暇つぶしがてらに隣に座る宮永くんの様子を横目で窺った。
幸い、宮永くんは読書に集中したまま、あたしの視線には気づいていない。一応、クラスメートだけど、じっくり彼の顔を見るのは今回が初めてだ。
ぶっちゃけ宮永くんはクラスでも地味で目立たないし、昨日のこともあって冷血漢で嫌な奴というイメージしかなかったけど、よく見るとイケメンだ。
派手さのない朴訥とした雰囲気なのに、不思議と野暮ったさは感じない。背も体格も標準くらいで、髪質はびっくりするくらいサラサラ。黒ぶち眼鏡の奥にのぞく瞳は真剣そうな輝きをたたえ、文庫の文字を追っている。
(まつ毛、長……少女漫画に出てくる男子キャラみたい)
そんな事を考えていると、宮永くんは本に目を落としたまま不意に口を開いた。
「あのさ……」
「な……何!?」
じっと横顔を見ていたことがバレたのだろうか。思わず上擦った声が出てしまったけれど、宮永くんが続けた言葉に心臓が嫌な音を立てる。
「……昨日のことだけど」
昨日のこと……たぶん、あたしがボロボロ泣いたことだ。もうその事には触れて欲しくないのに。
あたしは「うっ」と言葉を詰まらせると慌てて反論した。
「そ……それはもう終わったことじゃん!」
「そうだね、僕も今さら蒸し返したくもないし。でも……一応、言っておいた方がいいと思ったんだ」
「な……何を?」
警戒心と疑問が渦巻いているあたしに構わず、宮永くんは落ち着いた低い声で話を進めてゆく。
「あの時、『まるで子どもだな』と僕は言ったけど、あれは君や漫画に言ったんじゃない……漫研の連中に対して言ったんだ」
「……え?」
「漫研はまともな活動もしていないのに、第二美術室をまるまる占拠しているから、あちこちから顰蹙を買ってる。星蘭はクラブ活動が盛んだから、設備の整った第二美術室を使いたがっているところは多い。でも漫研は過去の栄光があるから、今も優遇されているんだ。漫研の部員たちもその事を知りながら一向に活動態度を改めない。漫研に良いイメージを持ってる生徒はほとんどいないんじゃないかな?」
「そう……だったんだ」
漫研が他のクラブからどう思われているかなんて知らなかったし、考えたことも無かった。漫研の先輩たちの態度に疑問を抱く人は、あたしの他にもいるんだ。
(まあ、あの先輩たちなら、そう思われても仕方ないと思うけど……)
宮永くんは淡々とした口調で続ける。
「だから『幼稚で下らなくて、自己中心的』というのも漫研の連中に言った言葉であって、君に向けたものじゃない」
「そうなんだ………って、ええ? ええええええええええーッ!?」
宮永くんの言葉が頭にすとんと落ちてくるまで数秒。顔から火が出るどころの騒ぎじゃなかった。大爆発して木っ端微塵になりそうだ。
『まるで子ども』、『幼稚で下らなくて自己中心的』―――その辛辣な言葉はてっきり漫画とあたしに向けられたものだと思っていた。
だからこそ、あんなに傷ついて涙まで流したのに。まさか全部、ただの勘違いだったなんて……!
(ギャ――ッ!! あたしのバカバカバカ!! ただの勘違いでムキになって怒鳴り散らしたあげく、ボロボロと泣きまくったってこと!? どんだけ早とちりしてんのよ!? ……恥ずかしい~~ッ!! 蒸発しそうなほど恥ずかしいよ~~~!!)
耳まで真っ赤にし、顔を両手で覆って悶絶するあたしを見て、宮永くんもさすがに気の毒だと思ったらしい。どこかきまりが悪そうに眼鏡を押し上げる。
「実のところ、君が勘違いしていることはすぐに気づいたんだ。ただ……何というか、君が泣き出すなんて思いもしなかったから動揺してしまって……僕は悪くない、君が勝手に勘違いをしたんだって意地になっていた。今にしてみれば、もっと早く言っておくべきだったと思う。……すまなかった」
誠実さのこもった真摯な言葉を向けられて、あたしは慌てて手を振った。
「謝らないで。宮永くんは全っ然悪くないじゃん! まあ……言い方はちょっと紛らわしかったけど、冷静に話をしてたら誤解だって分かったはずだよ! ……悪いのはあたしのほう。自分の事でいっぱいいっぱいで、宮永くんもどうせあたしを馬鹿にしたいだけなんだって頭ごなしに決めつけてた。本っ当にごめんなさいっ!!」
そう言ってあたしは、宮永くんに向かってがばっと頭を下げる。
冷静になって思い返すと、昨日のあたしはおかしかった。漫研を辞めると決めたものの、心の底ではやっぱり納得いかなくて、これ以上何かを失いたくない、せめてロスした分を取り戻したいと躍起になっていた。
焦るあまり図書委員の仕事もコロッと忘れていたし、落ち着いて相手の話を聞く余裕も失っていた。おまけに宮永くんや立夏にも八つ当たりをしてしまって……やることなすこと滅茶苦茶だ。本当にどうかしてたと自分でも思う。
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